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イギリスワーホリに行ってよかったこと

3月18日の早朝、ヒースロー空港を出発した。帰国して1ヶ月がたった。
早朝だったから、お腹も空いてたし眠たいしでまあまあイライラしていた。
ありったけの小銭を使いたかったので、こまごまとしたお菓子を買っていたら、小銭が詰まってロンドン最後の日に店員とバトったのもいい思い出笑
店員「♩鍵が〜な〜い〜」的なノリでちんたらやってたので
る「いやもういいよ。この商品いらない。小銭使いたかっただけだから」
店員「今助けようとしてるじゃない!でも(セルフレジの)鍵がないの」
る「他に誰かいますか?」
店員「私しかいない。リッスン。いま、わたし、あなたを助けようとしてるの」
まあ、こんなやりとりをしてた。思い出しただけでもイラっとする。

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(朝6時半のフライトってこともあるけど、ガラガラの空港)


色々あってパリ経由で帰って来た。ロンドン〜パリ間は乗車率ほぼ100%だった。ソーシャルディスタンスは全くなかった。
何なら、乗客はややサイズでかめの人が多かったので、感覚的には私の席は5%ずつ両隣の人に占有されていた。今までのどのフライトよりも密だった。カオスだった。あちらこちらで席を間違えている人が見受けられた。(そんなことある?)そしてびっくりするほどうるせえ。みんなめちゃくちゃ喋る。(もしかしたらフランス語に耳が慣れていないから、より不快に感じたのかも?)私はコートも脱がず、背筋をピンと伸ばしたまま眠って、いつの間にか離陸していつの間にか着陸してた。


さて、ようやくパリ〜成田便。
3列ー4列ー3列のタイプの飛行機。私は3列席に1人だけだった。今回はソーシャルディスタンスばっちり。またしても、いつの間にか離陸していた。
目を覚ますとCAさんがお食事を持って来ていたので自分の順番を待っていたら、いつまでたっても来ない。(たぶん私を通り過ぎた後に起きたんだろう)そしてまた眠る。映画とか見たかったし、本も準備して行ってて、充実したフライトを楽しみたかったのに、ずっと寝てた。


ようやく起きたら機内は真っ暗だった。
今まで乗ったどのフライトよりも、暗い時間が長かったように思う。
散々寝たので、機内を暗くされても今度はだんだん目が冴えるばかり。でも、これと言った映画はなかったので、ロンドンでの2年間を振り返ることにした。


やっと本題!!


飛行機のゴォォォっていうノイズの中、ブワーーって書いたもの。
周りの知らない人たちは、おそらく寝ていたから、ひとり噛み締めるのにとても好都合だった。
1ヶ月経ったら違うことを思い出すかなと思ったんだけど、やっぱり変わらなかったから、ここにも書いておく。


あの夜のことを清算できた

しつこいよね。7年前ロンドン留学中に起こった些細な幼稚なミステイクなんだけど、それがきっかけで、ちょっと人との距離感がわからなかったんだ。(特に恋愛とかそういう系)それで何故かずっとロンドンに未練とか執着があって、ずっとロンドンに恋い焦がれていたみたい。だから、また同じ街に住んでみて、全く違う生活をして全く違う記憶で塗り替えたことが、結果的にはよかったんじゃないかと思っている。

でも今は、あの時にガツン!と屈辱を受けて傷ついたことで、「人に優しくしよう」と思えるようになったし、「自分はルーザーだ」と思っていることで文化的な受け取り方がかなり変わったと思う。(このセンチメンタルフィルターのお陰で村上春樹やアメリが好きになった)だから悪いことばかりじゃない。

人との距離感なんちゃらについても、また自分の中で新たな学説が浮上して来たので(自分のことなんだけど)、克服できそうな気がしている。



素敵な人たちに出会えた


月並みかよ。。
残念ながら?2年間イギリスに住んで(日本人から見て)外国人の友人はほぼいない。
でも、日本だったら知り合えなかったし、会っても仲良くなれなかったであろう人たちと仲良くしてもらって、いろんなことを話した。ほとんどが10歳くらい年上の人たちだった。
そういえば、社会人になってから友達ってできなかったかも。東京で働いていたときは、社外の繋がりといえば、学生時代からの友人か、下北沢の英会話カフェに通っていたくらいで、英語で話しているから?あまり真剣に通ってなかったから?そんなに深い仲になる人はいなかった。
それに今までは「⚪︎⚪︎会社の人」とか職業が先行して、パーソナルなことまで知ることがなかったな。

個人的に、その街で生活して充実していると感じるのは、仕事、学校、家族以外にもコミュニティがあることだと思っている。たくさん知り合いがいる必要はないんだけど、違うくくりでの知り合いも欲しいな。だから自分の居場所がいくつか作れたことは、かなり7年前から成長している⭐︎

正直、「チューザイ(駐在)」って勝手に豪遊してキャバクラに行きまくってる人たちだと思って、最初は避けてた。(まあもしかしたら、相手の方も「ワーホリ」の奴らは遊びにきてるって思ってたかも。)そしたら全然そんなことなくて、というよりも、そういうチューザイコミュニティには合わない人たちとたまたま出会ったのかも笑

この人たちに出会ってよかったのは、もっとキャリアプランとか人生とか老後とか考えるようになったこと。今までは、たまに美味しいものを食べて遠出をして変な柄の古着を買って、その月を無事に赤字にならずに乗り越えたらいいと思っていた。仕事もとりあえずなんか興味あるものの延長で働けたらよかった。でも、お姉様方とお兄様方を見ていて、私は「こんなに器用に生きられないし、強くもない」と思ったし、「そろそろキャリアについて考えよう」と思うようになった。イギリスでほんのちょっぴり転職活動をしようと躍起になっていた直後、「あー自分のCV(履歴書)は薄っぺらいな」って思って、日本に帰って職歴厚くしたいと思ったのもこの方達のおかげ。

その一方で、「大人になってもこんなに遊んでいいんだ!」とも思った。すごく遊ぶことに関して真面目だった笑
今まで「おとな あそぶ」って脳内グーグル検索すると、=不倫かギャンブルみたいなイメージだったんだけど、なんというか、旅行とか季節のイベントとか週末の使い方とか、コミットがやばかったし、休日楽しむためのアイテムのレベルが違った。
年を重ねることについて、ちょっと焦りがあった。(まだ何者にもなれてないとか、もう人生のピークがどうのこうの〜とか)でも、みんな全然若い。そしてお姉さん達は綺麗だった。だから年を重ねていくことにもすごくポジティブに捉えられるようになった。

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(首相にも送別してもらった)

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(クイーンも駆けつけてくれた)


ロックダウンのおかげ


2年間のうち、丸々1年間はできないことが多かった。例えば冬に日光を求めてバルセロナに行ったり、仕事でムカつく!!!ってなって突然休日パリに行ったりしたかった。ドイツに行って、バウハウス関連のあれこれも見たかった。そんなことを書き出すとキリがないんだけど、でもロックダウンのおかげで、「イギリス国内でどう楽しむか」「お店に入らないでどう楽しむか」にシフトした。幸い1年目に知り合いができていたので、全く孤独で辛いロックダウンではなかった。(どこに行ったとかは、気が向いたらいつか書く)むしろ、友人たちとの繋がりが強くなった気がする。節度を持って、規制の中で親睦を深めていた。もしロックダウンじゃなかったら、おそらくみんなバラバラのタイミングで旅行に行きまくってたから、あまり会えなかったかもしれない。だから、そういう意味ではロックダウンのおかげだった。不自由だったんだけど、不思議と精神的な充足感があった。

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(お店が開いていないから、団地を巡るという謎な遊びを開発したり、大好きなPrimrose Hillに何度も行ったり)


仕事で認めてもらえた

私はもともと、イギリスの食品卸会社で2019年5月から2020年6月の13ヶ月の産休カバーとして働いていた。別の人の産休とか、ロックダウンに突入して多くの人がオフィスに通えなくなったけど私は家が近かったから通ってて(しかも家族がいないから)こき使いやすかったとか、色々他の外部要因内部要因があったかもしれないけど、2021年3月まで契約延長して働けた。さらには、会社から「ビザ出しましょうか?」っていうオファーもあった。結果的にビザは取れなかったんだけど、そういうオファーがあったこと自体ミラクルなので、それは純粋に誇らしかった。

(ビザ関連で発狂した件笑)


おそらく副社長には気に入ってもらっていて、私がオフィスに残って仕事していたこととか(本当は残業反対派なんだけど)それでなんとか会社のオーダー回せていたこととか、他の部署に働きかけていたこととか、そんなことを見てくれていたっぽい。ロックダウンの恩恵も受けていて、食品会社は医療従事者とともに”Essential Worker”(生活に必要な職業)に含まれていたから、結構急に忙しくなった。新規顧客獲得は難しい中、会社としては確実なキャッシュが欲しいので、オーダーを回していた私の部署は重要だった。そして、通常なら30人くらいいるオフィスだけど、1/3しか来てなかったから、物理的に私が視野に入るようになって、私のプレゼンスが高まったんだと思う。同じ仕事をリモートでやってたら、同じように評価されていたかはわかんない。新卒で働いていた会社でも、それなりに「頑張ってるね」みたいに言ってもらえたけど、会社としての評価判断には合わなかった。だから、「契約延長」とか「ビザを出します」とか、そうやって形を持って評価してもらったのは、初めてでとても嬉しかった。仕事をしていて「報われたー」と思えた。

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(下の方にある青いパッケージのTOFUは、たぶん私が送ったもの。Marks & Spencerにて)


東京で働いてたあれやこれも清算できた


時間はあったので、「なんで東京で働いていた時辛かったんだろう」っていうのを考えてた。あ、このことも気が向いたら別で書こうかな。自分なりに答えが見つかった。簡単にいうと、あの時私はすごく大人を求めていて、で、その大人っていうのはすごく気付きのある言葉をくれる大人で、でもそれは私の一方的な要求で、しかも私がそんなことを考えているなんて周りの上司は知らないから、そりゃあ私の期待値よりも上回ることはなかった。

ずっと上司からの「言葉が欲しい」と思ってた。でも、自分が一方的に期待して執着していたことにふと気づいて、この呪縛から抜け出せた時、イギリスの会社で一緒に働いてた人達から素敵な言葉をもらえた。人生憎いよね。


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(出勤時の景色。徒歩25分くらいかかるんだけど、自分にとってはメディテーションタイムだった。これを撮った時はなんてことない景色だったけど、残しておいてよかった。すでに懐かしい。)


おわりに

海外体験って、今までは「きっかけ」になることが多かった。高校生で1ヶ月くらい滞在したシンガポールは「アメリカだけじゃない!」「Japan as No.1ではないかも」って視野が広がったし、7年前の留学も「やっぱりサステナブルファッション分野で働きたい!」って思ったし。でも、今回のロンドンは、なんか「終止符を打つ」「整理をする」みたいな2年間だった。自分が今まで思ってきたことや悩んできたことに対して、そして生活パターンや人生設計においても、2021年3月における答えを一旦出しておく、みたいな感じ。よくわかんないけど、ゆるーく次のステージに移行しているのかもしれない。


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完。

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