見出し画像

時間が解決するってのは嘘だと思う

家族が亡くなったとか、恋人に振られたとか、何か深く傷付いたとき。
何にも感動しないし、頭が重いし、すぐイライラしちゃうし。もう本当に解決の糸口がないんじゃないかと思うことが、生きてたらあるんじゃないかな。

そんな時に周りの誰かが「時間が解決してくれるから大丈夫。」みたいなことを言ってくれるかもしれない。英語では””Time will tell”
(そういえば宇多田ヒカルの歌にあったな)

でも正直私はこんなこと言われると、さらにもやっとしてしまう。
じゃあ悩んでいる「今の私」はどうしたらいいんだ?

私がこの言葉が嫌いなのは、実態がないからだと思う。
意味があるようで意味がない。

画像3

方法論
私なりに考えた、今の所の結論としては、
1. その悩みAよりも、上回る悩みBができたら解決する(というか、一旦どうでもよくなる)
2. その悩みAの深刻さよりも、はるかに上回るいいことAで塗り替えられたら解決する


ネガティブA<ネガティブB
1に関して言うと、悩んでいるときこそ忙しくする、とかそういうことかな?仕事上の問題Aがあるけど、それが解決しない間に次の問題Bが発生して、Aに関して感がる時間がなくなってそのうちに忘れた。みたいな。

Aさんの嫌いなポイントがあるんだけど、それよりもどうしても許せない要因を持つBさんがいて、AさんのそれはどうでもよくなってAさんと仲良くなるとか。

実際には解決している訳じゃないんだけど、ネガティブ要素はさらに強力なネガティブ要素によって、打ち消されることがある。

画像2

(ヨーロッパの電車の窓、引くくらい汚いんだけど、そういうのももう気にならなくなる。ちょっと意味が違うけど笑)

画像6

(ツッコミどころ満載だけど、もうなんだかエモい。ちなみに目の前は海だから、このポストから強烈に海風ビュービュー入ってくる。)


ネガティブA<ポジティブA
2に関して。ちょうど昨日ふと思い出したんだ。

6年前、留学中に起こったプチハプニングだけど、それから数ヶ月かなり落ち込んでしまった。結局(大袈裟だけど)傷を負ったまま日本に帰ることになった。

それから1年半後、大学を卒業するちょっと前に、友達と卒業旅行で、再度イギリスに行くことになった。実はこれ、私の中では裏テーマがあったの。

6年前、「引きこもっててもダメだ」と思って、ロンドンの街を徘徊してたんだけど、コンディションが最悪なので、途中で息が苦しくなることがあったり、急に悲しくなったりすることがあった。(そう思うとまあまあ打撃が強かったんだな)

自分の中では、いくつか印象的なポイントがあって、Backingham Palaceの近くの路地とか、Oxford streetのバス停とか、夜のMillennium Bridgeとか、あとはPrimrose Hill。
留学から帰ってきて約1年半の間、私は本気で、それらの場所に、私の生き霊のようなものがうずくまっていると思ってた。だから社会人になる前に、その生霊を無事に解放してあげなくちゃと真面目に思っていた。

友達は初めてのロンドンだったから、私がほとんどコースを決めた。満遍なくそれらを巡礼できるルートで。何をしたかったわけじゃないけど、何となく、もう一度そこに行くことで、楽になると思ったんだと思う。そして、1人ではちょっと怖かったから、友達にも付いて来てもらった。

帰る飛行機で「あ!」と気がついた。「忘れてた。裏テーマ。」
ちゃんと巡礼ルートは辿った。でも何を喋ってたかはわかんないけど、ゲラゲラ笑って呆気なく通り過ぎてしまっていた。ロンドンにはたくさんの「生霊リトルルイ」がいると思っていたのに。
友達のお陰で、Primrose hillは切ないところから奇跡の一枚誕生の場所になったし、ミレニアムブリッジが紫色にライトアップされている感じも、なんだか前は虚しさを感じていたのに、全く違うものになった。
もし1人で再度訪れていたら、食べたり観光したりよりも、もうそのことしか考えてなくて、なんなら献花しちゃうレベルだったかもしれない笑
旅行中、おそらくしょうもないことしか喋ってないんだけど、でもそのしょうもないことが、ハプニングの衝撃を上回って、私の記憶を更新してくれたんだなー。

私のなかで、この悩みAと、それを上回る「いいことA」は何かしら関連性がないと意味がないと思っている。だからやけ酒とか、甘いものを食べるとか、ショッピングやカラオケでストレス発散とかは、一時的には効果があるかもしれないけど、根本的には解決にならない。

画像7

画像8

(いつかのPrimrose Hill)

画像4

(なんかドヤ顔だけど、別にうまいこと言ってないと思うけどね。)


時間は解決するのか?
時間が解決するというのは、たぶんそうなんだと思う。
多くの人が長い間そう言ってきたんだから、多分そうやってみんな乗り越えてきたんだろう。
でもさ、これって当事者に言うことじゃなくない?
振り返ってみたときに「あーそんなこともあったっけな」みたいな感じで、自分から出てくる言葉なんじゃなかな。
当事者に投げかける言葉としては、無責任すぎる。空虚な優しさ。


でも「時間」とは何かを、こっそり教えてくれたらいいのかもしれない。
ただの年月の経過すれば解決するのか?それとも何かしらのコミットが必要なのだろうか?
私はforget→forgiveだと思っている。意志が弱いので「許そう!受け入れよう!忘れよう!」と思ってもなかなかそうはいかない。だからこんなにも、あの時のちょっとしたハプニングを咀嚼している。

なんでこんなことをまた思い出したかと言うと、なんだか新年だし?留学時代に行ったところを巡ってみようと思って行ったら、全く刺さらなかったんだよね。6年も経っていたらいろんな趣味も変わるし、当たり前なんだろうけど。カフェラテも美味しくなかったし。お店の活気の感じも、記憶の中のそれとはだいぶ違った。期待していたノスタルジーさえも感じなかった。なんか、「あーもう違う街で生活してるんだな」と思った。ちゃんと忘れられてた。いい意味で。私は今ちゃんと違うチャプターで、生きているんだなと思ったんだ。という話。

画像1

(6年前に寒さから救ってくれたカフェ。あんまり美味しくなかった飲みかけラテと、あんまり可愛くない犬)

画像5

(学校の前のカフェ。大好きだったはずのサンドイッチ、胃もたれ笑)

映画「P.S. I love you」で夫を亡くした主人公が、その悲しみのなかでずっと苦しみ続けるんだけど、ふっと抜け出せた瞬間。(1時間57分あたり。Netflixスクショできなかった)
“I don’t feel him around me anymore”
すべてが時の中に消えてしまったわけじゃないんだ
『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』(村上春樹)




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?