【「裏」Ruiの人生経験】幼少期〜これまでの毒親との付き合いを焦点とした自己紹介

るいです。僕は物心ついた15歳から今でも毒親に悩み続けています。

そう、僕は実はアダルトチルドレンなんです。

普段は、フリーランスでIT系のWebサイト制作・運営・SNS運用をしております。

早速ですが、僕の生い立ち・仕事の変化・毒親の言動・行動・受けた影響について、時系列順でお話ししていきますね。

もし似たような出来事があり、共感していただけたら幸いです。

1.毒親の症状

・モラハラ 
・過干渉 

2.毒親が原因で起こったこと

・人間不信
・愛情不足による人や環境に依存
・恋愛依存っぽい
・常に不安
・他人軸で生きる
・承認欲求が激しく強い
・居場所はあるのにない感じ

3.趣味・嗜好

・スパ
・カラオケ
・つけ麺
・ジャニーズ 
・整体
・SNS
・ブログ運営

4.幼稚園時代

いつも親の影に隠れており、恥ずかしがり屋でした。

多くの園児がいる中で、一人の友人とものすごく仲が良く、毎日その友人とべったりでしたww

(もちろん他にも友人がいましたが、特にその彼にはべったり。)

その友人が風邪ひいて欠席した時はひどく落ち込み、帰りたいと思ってましたね。

完全に依存ですww

戦隊ヒーローが好きで、てれびくんの付録を作ったり、フィギュアを集めて遊んでました。

あまり外で遊んだ覚えはないので、ほぼ園内ですね。

毒親の影響は全くなく、幼稚園生活は友達とも仲良かったので楽しかったです。

5.小学生時代

ポケモンや遊戯王などのカードゲームやゲームボーイ、マリオ64、スマブラにハマってゲーマーになったのがこの頃です。

ロックマンやFF、ドラクエなど、王道どころは大抵やりました。

ドッチボールやサッカー、鬼ごっこ、ドロケイ、大縄などアウトドアな人が多かったなか、小学校でもインドアなことは変わりなかったです。

友達と自由帳で作ったオリジナルのRPGを進めたりしましたし。

バトエンもハマって授業中にやる→先生に見つかる→怒られる→没収というな流れを何度も繰り返したのを強く覚えています。

ゲームばかりしたり、バトエンを持ち込んで校則に違反することをして注意され、全く勉強しないことで親にブーブー言われたりしましたが、これはどこの家庭にもあることなので、得に毒親だとも思わず。

友達とゲームボーイ、64、ゲームキューブ、カードゲーム三昧で楽しかった思い出しかありません。

友達にゲームを取られた、なくなった、濡れ衣を着せられた、データ消された・消してしまって喧嘩したのも素晴らしい思い出になってます。

6.中学生時代

特に14歳・15歳で一気に変わりました。僕が。

これまでは、ただのインドア・ゲームやってばかりの少年でした。

が、当時ワルワルしかった友人と仲良くなったことをきっかけに、今でいう陰キャから陽キャになりました。

友達からは、


「ゲームばっかつまらんことやってんなよ。」
「外で遊ぼうぜ。」


などと言われ、(仲良くなったきっかけは、ゲームでしたが)気づけば、毎日行動を共にするように。

15歳で携帯電話(ガラケー)を初めて持つようになり、当時のパケホーダイがバズり、デコメールやチェーンメールなどで男女問わず楽しんでいました。

電話のしすぎで料金が毎月3万になり叱られることも多々あり。

また、反抗期ということもあってか、万○きや器◯破◯を繰り返し、夏休みに学校に新入して自転車に乗りながら花火などして警◯に捕まり、学校にも親にも相当叱られていた学生生活でしたね。

未成年なので厳重注意で終わりましたが、軽◯罪は一通りやった記憶があります。

また、音楽を好きになり、トランスやパラパラを友達と聴き始め、当時KAT-TUNだった赤西くんに憧れて”ジャニーズになりたい”と思うようになったんですよ。

ここから毒親は始まったかと。

僕「ジャニーズになりたい。」
親「狭き門だから諦めろ。」「昔恥ずかしがり屋だったじゃないか。」

と言われてましたし、ドリームキラーを初めて経験しました。

当時は”ドリームキラー”なんて言葉も知らなかったですけど、

7.高校生時代

16歳・高1になってもまだ癖が残っていたのか万◯引きをやめられず、警◯に再度捕まる。

「君、中学の時もやってたよね?」

と叱られ、高校は義務教育ではないのでクビになりかけるも、

「次やったら学校にも通報するから。」

と厳重注意で済み、また親からもこっぴどく叱られたことで子供ながら、学校に行く意味がわからないながらも”高校だけは卒業しおかなきゃ”と強く思って危機感を抱いたため、万◯きはこれを最後に辞められました。

高校生の時は、自分のクラスよりも他のクラスの方が仲良かったので、常に放課後や休み時間になっては他のクラスに入り浸ったり、食事に行ったり外で遊んでいました。

ただ、中学の友達の方がノリがよく、笑いのセンスも高くて一緒にいて面白かったので、地元がホームでしたよ。

高校の友達を地元のいこいの場である駄菓子屋に連れて行ったり、お祭りに誘ったり。

中学と高校の友達同士が仲良くなったり、彼氏彼女になったりと見ていて不思議でしたが、3年間は横断してました。

この頃はジャニーズは諦め、仮面ライダーとして役者になる道を考えていました。

毒親には進路はどうするのか?と聞かれ、決断を迫られただけであまり毒親らしいことはされませんでしたね。

ちなみに勉強は全くしておらず、10歳から通っていた明光義塾の勉強のみで卒業しました。

一度だけ追試をしてしまったものの、留年や退学の軽々はないんです。

塾はサボったり宿題をやらずに通ったりして先生からも怒られていたので、毒親からも「ちゃんとやらないならやめさせる!」と言われました。

ですが、学校なんかよりも塾の勉強の方が楽しかったので高3まで通いたくて「ふざけるな!」とやめたくない意志を伝え続けてました。

講師が僕の歳と近いことが続けたい理由でしたね。

僕が中高生で講師は大学生や20代の社会人でしたから。

・恋愛の話
・ゲームの話
・服や髪型の話

何気ない話、先生のプライベートも聞いてましたし。

話が合ってましたもん。

そりゃあ無駄に歳だけ食った学校の教師より言うこと聞いてちゃんとやりますわ笑

最後、高校卒業と同時に明光義塾も辞めたわけですが、室長宛に手紙書いたんですよ。

「8年間、お世話になりました。悪いことしてたくさん困らせたけど、塾が学校だったらもっとがんばってたのになぁ、、、、それくらい本当に楽しかった。ありがとうございました!」

もっと長いですし、具体的に何書いたかは覚えてませんが、後日室長から「泣いた・・・」と言われました笑

他の生徒にも「あれ?なんで泣いてるの?」と言われ、困惑したそうです。

バイトは皆してる中、僕は「まだ働きたくない!一生親のスネをかじっていく!」と豪語し、学生ニートというやつでした笑

ですが、高校・地元・塾と全部楽しめた生活でしたね。

8.専門学生時代

高2の時、将来をちゃんと考えるようになりましたが、

「自分バカだし大学は無理か。」
「でもまだ働きたくない。」
「勉強は嫌いだから大学は行きたくない。」
「好きなことだったら勉強できるか。」

ということから中学生からギャル男に憧れ、服や髪型にこだわり始めて好きだったことがきっかけで、少人数の服飾の専門学校にスタイリスト科として入りました。

しかし、1年生の時、

「やっぱり俳優になりたい。仮面ライダーとしてデビューしたい。」

と諦められずにやめたいと親に伝え、期間は忘れましたが長らく学校を休むことに。

その間は地元の友達や後輩と遊んでましたが、やはり毒親に、

「高い金払ったんだ!なんのために通ってるんだ!辞めるなんて許さない!俳優やりたい、俳優学校に行きたいなら自分の金で行きなさい!」


と言われ、アパレルか俳優か決断を迫られた時に、現実的に考えてアパレルを選んだんです。

俳優になれば確かに大成したときはすごいけど、それまで稼いでいけるか、いくらもらえるかもわからない。

アパレルならいろんなキャリアもあるし、会社に入りさえすれば一定の金額はもらえる。

それに、学校の先生にアパレルショップイベントをやらないかと誘われて代表としてショップ店員を務めてたんですよね。

その経験で販売員に憧れ、当時は雲の上の存在だった店長になりたいと思うようになりました。

なので、学校の勉強は最低限、資格も一切取らなかったです。

卒業まではこの欠席期間で課された課題と今までの課題をもくもくと。

卒業式終了後も課題がまだあったので残ってやり、完了報告・提出をして正真正銘卒業しました。

9.アパレル販売員・店長・SV時代

思えば最初はジーンズショップマルカワという地元の量販店アパレルショップ勤務でした。

接客が必要ないユニクロのような店舗運営で、ほとんど品出しやレジ打ち、書類業務、慣れてきたら売り場作りで終わり。

やはり当時19歳の僕は、服・人と話すのが好きでショップ店員になったわけですから、接客がお客さんから声をかけられたら応答するというスタイルが合わなく、対人スキル・提案スキルが全く身につかないと思い、半年で退社しました。

ここでまた毒親っぷりが炸裂したのですが、思えば毒親っぷりが発揮されたのは社会人になってからだったなと。

このマルカワでは、自分で辞める意思を伝えたのに、

「おいクビじゃねーか!!」
(クビになったことは仕事で一度もなく、この時も普通に辞めたくて辞めました。)

勤務先までわざわざ行ってなんでやめたのか聞きに行っていたと思うと普通に毒親ですよね。

定かではありませんが、もし来てたなら「なんで来てんだよ!」と怒っていたはずです。

つなぎのために2週間だけメンキャバ(ホスト)をしていだこともありましたが、これも毒親に、


「ホストなんてなにやってんだ!早くやめなさい!」

と一蹴されてました。

もちろん、

・体調不良で休むなら病院の診断所が必要
・歌舞伎町は路上で寝そべってる人が多くて汚い、その他色々汚い

あー、もうダメだなと思い、自分でそのまま自然消滅しましたけど。

風邪引いて休んだ時にわざわざ病院行かないといけないことが終わってるなと、そのまま連絡遮断。

ニート期間がここで生じたので、親から、

「働かざる者食うべからず!」
「仕事どうすんだ!」
「将来どうすんだ!」
「でてけ!」


など、何言われたかは詳しく覚えてないですが、とにかくそれにカチンときて、ブチギレました。




ひたすら顔や腹を殴ったり蹴ったりして、顔が真っ赤になり、鬱血するまで
ボコボコにしました。

これが1回目の修羅場でしたね。



その後は、アパレル販売代行会社で今はなき池袋マルイのブランドの販売スタッフとして入り、21歳で副店長、22歳で店長になりました。

この副店長あたりでまた修羅場が起きたんですよね。


「いつまでもバイトじゃなくて正社員になれ!」と言われたことがキッカケで、階段から蹴り飛ばして突き落としました。


店長で初めて正社員になり、その後会社が変わってSVになり、そしてやめて起業を志したのですが、ここで3度目の修羅場が起きた気がします。


また「働かざる者食うべからず!」などと言われてカチンときて殴る蹴るの暴行を毒親にし、それに加えて、自分の部屋にたまたま落ちてたハサミを顔面に突き刺そうとして今回は警察沙汰になりそうな出来事でした。


幸い、大きい音が聞こえたのか隣の家にいる祖母が間に入ったことにより、未遂に終わりました。

祖母を◯すつもりは全くなかったので力が一気に抜けて骨抜きになり、毒親にはがいじめにされて終わりました。

初めて僕が負けました。

10.起業塾から起業→塾の代表が詐欺師で失敗→自己破産 

この頃は、特に毒親感はなかったですね。

というより、「正社員になれ!」というしつこさは変わらなかったけど、僕がスルーしていたのと、色々波瀾万丈だったからかなという記憶です。

アパレル業界を辞めてから、懐かしきかなmixiがきっかけで最初はブックメーカーという投資をやらないかととある女子から誘われました。

2016年だったので、mixiがギリギリ活用できて、Twitterとfacebookが激アツだった時です。

普通に食事しながらビジネスの話をしていたんですが、最終的に偽の給与明細を作らされたんですよね。

なんか違うと思って、今思えば詐欺師の営業でした。

怪しい社長に僕を紹介されましたからね。

後々その女子の名前を調べてみたら、なにやら怪しい集団との詐欺疑惑が。

結局は女子と疎遠になりました。

次は、ネットワークビジネスのモデーア(アムウェイと同業)に騙され、20万円を支払いました。

mixiで誘われて会ったのがきっかけですね。

でも、クーリングオフで2週間以内に全額返金しました。

宗教でよくある、脱会者は悪の手先・裏切り者扱いされましたが笑

実は、ネットワークビジネスやブックメーカーの投資詐欺の前にも、FX・バイナリーオプションの自動売買ツールや、転売・アフィリエイトコンサルに会っては避け会っては避けを繰り返していました。

そして「〇〇で稼げる。」だとそれに依存だ。

だから本質的な起業について学ぶ必要があるんだと思い、Twitterきっかけで知りあった社長のセミナーに参加しました。

参加者は僕一人だけだったんですが、独り占めできて色々質問できるチャンス!と思い、その方と親交を深めようと。

強く興味を持ったので、その後も3回参加したんですよね。

そしたら次々に社長を紹介され、起業の仕方や稼ぐこととは?マーケティングとは?雇われとの違い、給与をもらうと稼ぐは違う、などその他色々なお話を伺い、入塾しました。


その額98万円


契約書のサービス内容にもあったようにオフィス出入り自由でしたので、作業をして、最初はセミナー参加を毎週欠かさずしていました。

しばらくすると僕のブログをLINEに流していたのをみていた社長の一人が、もう一人のB社長に(社長出てきすぎですよねww)、

「A くんはライティング上手いですよ!」

と言っていたそうです。

実は起業も、アパレル業界にもWebスキルが必要だと気づき、自分で学んで実践せねばならないと思い、提案接客が活かせるライティングならできるか!喋るか文字かで、何かを伝えるということは同じだから!

とアメブロを始めてました。
(はてなブログにすぐ移行しましたが。)

それは知り合いの不動産会社をWebマーケティングで助けたいということで、B社長が僕にやって欲しかったそうです。

そのためにはまず、ライティングが上手い人・人の気持ちがわかる人を呼んでるんだと言ってました。

ただ、Webマーケティング案件に携わるためには、今以上にまずライティング力をつけてもらうとのこと。

実践を兼ねた勉強をすることで、速く身につき成果も出ると。

「でも、流石にタダとは言えない。コピーライティングは本来めちゃくちゃ稼げるもの。100万円以上の価値はある。でもA君も含めて、100万円は皆厳しいじゃん?だから80万円でいいよ。」

と言われ、断る理由がなかったので、即やりたい意思を伝えました。

ここで、最初の98万円と一緒に銀行やサラ金から用意して起業塾に振り込み。

ここからライティング講義と実践に他のメンバーとのめり込みました。

98万円の基本コースは、時代に意味のないことに気づいていかなくなりました。


・セミナーばっかやって成功者の話をただ聞いても意味がない
・実践がない
・起業サークルみたいになってる
・意識高い系


これらの理由から、ライティングメンバーはライティング講義のみに集中するように。

いきなり実践ありきだったからか、順調にライティングの知見やスキルが身につき、振られた案件のLPのライティングも何度も何度も何度もリライトを重ねては、代表からフィードバックをもらい、実践を重ねては勉強、実践と進んでいきました。

いつしか新たなメンバーを加えて、会社を創立することにも。

しかし、ここで明らかにおかしなことに気がつくのです。

「何度も叩き直したLP出さないの?」
「そういやメルマガも作ったな。」
「不動産のWebマーケティングはどうした?」


となってしまうほど、YouTubeスクールだのなんだの新しいことを次々にやり始めたのです。

イベント開催やカフェ会でのリスト取り、大阪出張でセミナーなど、それ自体はいいのですが、今まで作った不動産LPには一切関係ないことが問題なんです。

そして、プロジェクト進行中の代表たちの暴言・パワハラ・支離滅裂なチャットワークのやりとりが・・・

これは僕が9月にこいつらを見切る1ヶ月前のやり取りです。

この辺りから僕ともう一人の間で、詐欺か?このまま続けてても余計悪化するだけ・・・?

と話しだしました。

一番最初に組織を抜けたのは僕ですが、後から芋づる式に抜けていき、メンバー皆で直接会って

・返金対応はするか?
・役員はどうやって抜けるか?
・どう訴えるか?
・証拠はあるのか?

を話しましたが、個々で状況も金額も違うし、やりたい人は個別でやろうと。

僕はどうしても許せなかったので徹底的にやろうと、元々運営側にいた。同じく彼らに苛立ちを隠せないスタッフと共に起業塾に返金対応・著名活動・弁護士探しをして動きました。

運営側とのやり取りですが、話になってませんね。

弁護士側とのやり取りでは・・・

元々の弁護士が辞任するとかしないとか、LINEで満足してると言ってるとか、完全に逃げる気満々です。

それに最初は良くても、何も成果が出なかったどころか大損してるからこんなにキレてるのにこれはありえないですよね。

しかも、警告書と称した脅迫文まで送ってきやがりました。

当然完全無視を決め込みました。

他に被害者への呼びかけも、

「返金はして欲しいけど、これ以上関わったらもっと事態が悪化する。」

と言っていた方がほとんどですね。

「僕は全く詐欺だなんて思ってないです!入って〇〇とつながって、仕事も紹介してもらったし。」

なんて詐欺られたことにすら気づかない頭アッパラパーなおつむの弱い人も一部いましたが。

一緒に動いていた元運営側の人が今携わっている仕事の関係者に相談してくれ、その人のサービスを使うことで、彼らから返金はできないが実質元を取り戻すことはできると言われました。

ですが、怪しさを感じたことと、全く何をするのかよくわからなかったので、同じメンバー(被害者)に相談したところ、

「やめた方がいいです。」
「Tさんと縁切らないと、いつまでも先に進まないですよ。」
「そうやって怪しんで誰かに相談できるなら大丈夫ですね。」

と、後押しをしてくれたんです。

色々と手を尽くしてくれたので元運営側の人には申し訳ないですが、謝りながら断りましたが、

「は?こっちは上司に啖呵切ってまで協力してもらったんだ!」
「まぁどう解決するか知らんけど、わかった。」

と、元運営側の人とも縁を切ることができました。

しばらく元メンバーとやり取りして今後どうしていくかを話し、普通に転職する人が多く、自分もそういう方向性で行くことにしました。

先ずはバイトをして食いつないで行かねばということでなんでもいいから探してましたね。

綺麗さっぱり終わったわけではないですが、たまに元メンバーと呑みに行ったりもしていました。

気づけば苦楽を共にしたメンバーとも全く連絡をとらなくなり。

で、僕はお金も尽きていて自転車操業だったため催促に追われ・・・

・電話が毎日18:00まで5社からくる
・催促状もくる
・家にまで来られる


漫画のような家のドアをガンガン蹴られ、出たら胸ぐらを捕まれ・・・のようなことはなかったですが、静かに来られたり、丁寧な文章の催促状なのがまた恐怖でした。

たまたま高校の時の友達とfacebookでつながっていたため相談したところ、弁護士を紹介されて会いましたが、

・証拠不十分
・言ってることがよくわからない
・時間の無駄

と言われて門前払いされる始末。

今となってはわかりますが、詐欺師は弁護士よりも法律に詳しく、抜け穴を知ってます。

リスクマネジメントやお金を奪ってからどこでどう逃げるかまで全て計算して詐欺ります。

だから弁護士に相談、返金対応されるのを前提に、証拠をなるべく残さなかったり物事を複雑にするんですよ。

「早く借金をなくしたい、早くこの状況から脱したい。」

と僕があまりのパニック状態だったこともありますが、全く説明できないのも無理はないですね。

このことを高校の友人に話したところ、

法テラスは?家の近くにあるところに行ってみれば?本当にお金がないけどなんとかしたい人のためのところだから、ここだったら大丈夫かもよ。」

とアドバイスを受けたので、行ってみました。

自己破産か債務整理か、もしくは他の策かを決めるために。

本当に無職だと受けれないということで、まずは週に3、4回シフトが入れる売り上げに関係ないラブホテル清掃のバイトの面接を受け、なんとか働けました。

ラブホテルは抵抗ありましたが、こういう時じゃないとできないと思ったのですが、いい経験でした。

やはり接客や営業などの対人の仕事をしてない方々はコミュ障ばかりで大変だなと。

僕はこれまでアパレル販売員・店長と、起業塾のコピーライターしかやったことがないので俗にいう「底辺職」と呼ばれている人たちのことがわからなかったのです。

でも清掃員が「底辺職」と言われてしまっている理由がわかります。

・ほぼ全員タメ口、敬語が使えない(僕が店長やってたこと聞いてないのかどうか)
・学校みたい
・老害ババァが多い
・すれ違いざまに「お疲れッ」と捨て台詞のように挨拶してイライラさせてくるバカがいる
・実績、管理職経験が何もない奴に老害ババァが「あなたはAくんの教育係ね。」と舐めたこと言う
→笑ったのと同時に俺に何教えられるんだコイツは?お前は教育される側だろ?と思ったがもう本当にどうしようもないんだなと3日で悟った。


ハッキリ言って、注意しても無駄な人種。バカだなコイツらと思いながら過ごしてました。

最初は転職が決まってからと思ってましたが、

すれ違いざまに「お疲れッ」と捨て台詞のように挨拶してイライラさせてくるバカがいる

コイツのネチネチっぷりがうざかったので、やむなく決心した自己破産が成功するまでの1年間で退職。

最後の最後までなんで僕がコイツに対して・・・というか全員に冷たくしてたかわからなかったでしょう。

最初からアウトなんですよ。

第一印象が今まで出会った中で最悪の連中だったから。

どうせ言ってもわからんだろうな。逆ギレされるだろうなと言うのがわかってたので。

こうなったら終わりですよ。

そんなこんなで東京地方裁判所に行く日程連絡が弁護士から来ました。

出席しなかった場合は、罰金や免責不許可確定になるということだったので、とにかく遅刻だけは絶対しないよう意識を集中させて臨みました。

1時間以上待ったのに、裁判は10分もしないうちに終わり、最後に弁護士から90%免責許可確定だと告げられ。

今後も油断せず、2度と詐欺師とは関わらないこと・原因はリサーチ不足と感情的に勢いで入ってしまったこと・これからは似たような話が来た場合は一旦一歩引くことを誓い、解散。

自己破産したことも毒親に伝わりましたが、

「生きていけるのか?」

と聞かれただけで終わりました。

11.Web・パソコンスキルの習得→Webサイト・SNS運用でフリーランス

自己破産後は、本来転職活動を終えてから辞めるはずのラブホテルへすぐに退社報告。

これからWebの会社に転職・復活するのにまずはWebサイトが必要だと思い、WordPressを4ヶ月間独学し、ファッション関連のサイトを制作しました。

その後はTwitterを開始し、コピーライティングを活かしてツイート・作ったサイトを引っ提げて発信。

Webディレクターを目指していたこともあり、Webデザインやプログラミングも学びながら発信しているとWebデザイナーやプログラマーの方ともつながりができるようになったんです。

そこで、Webページから入れるコミュニティをslackで作り、多くのWebデザイナー・プログラマーの方に参加していただけました。

オーナー兼参加者として始めましたが、僕がいなくてもコミュニティが盛り上がる形になり、上手くいきました。

いつしか、

「そのサイトカッコいい!」
「Aさんみたいなサイトが作りたい!」
「どうやって作ったのですか?」

とフォロワーさん方に言われるようにもなり、新しくサイト制作をサポートするサイトを作り、そのことについて発信するようになりました。

コミュニティよりもそちらのサイトの関連の方が長続きするし、自分のためにも皆のためにもなると思い、続けていくと幅広いWeb系職種の方とつながれるようにもなり。

貴重なアドバイスをもらったり、尊敬できる方・ツイートで紹介したくなる方と知り合えたりも。

そんなこんなで幅広いスキルを学んで実践していくうちに幅広いWeb系職種の方とつながれて良い評価をいただけた僕ですが、そこでも毒親が・・・


「まだ正社員にならないのか!」
「正社員になって稼いでくれよー!!」
「嫌ならとっととでてけよ!」


などと、入浴中・手紙・ショートメール・罵声、ことあるたびにあらゆる方向から攻撃をしてきました。

僕はもう完全に見切っているのでずっとスルーしてましたが、2022年11月、僕が部屋で作業中突然"ガシャガシャ!!!"

と扉を開けて、


「俺が一番働いてんのにお前らは何やってんだ!バカどもが!」


と邪魔・迷惑どころじゃないことをしてきたので、どうしようもないとはいえ、やっぱりスルーしてはいけないんだなと思い、こっちも罵声を浴びせながら殴る蹴るの暴行を加えました。


「俺がどれだけ大変なのかわかるのか!」


と言ってましたが、ハッキリ言ってわからないしわかる必要がありません。

こっちは散々傷つけられてきたんだから。

それに、学校の教師は子供にいびり散らして終わりなのでめちゃくちゃ簡単な仕事です。

僕は22歳で店長になったことや、時代の変化に合わせて知見やスキル、人付き合いを変えて行き、起業失敗もして毒親なんかよりも10000000倍辛い思いをしてるのに。

それを知らない、とっくに話にならないほど僕の方が圧倒的に強くて上ということにすら気づかず、知ろうともしないと全力で言われた時は本当に救いようのないクズなんだなと。

だったら黙ってろよ!俺の言うこと黙って聞いてりゃいいんだよ!

何も知らない・できない・時代にも遅れている・遅れてることにも気づかない・自分が作業邪魔してきてるくせに逆ギレ・こちらを理解しようともしない・古臭い価値観の押し付け。

他にも言葉遣いが悪すぎる・常識が無さすぎるなど、人として扱ってはいけない奴です。

ここで、本当に今まで少しでも許そうと思ったのが間違いでしたし、今後何があっても一生許さないことを誓いました。

最後に・・・

最後までお話を聞いていただきありがとうございました。

つたない文章ですが、僕の毒親遍歴が経歴と一緒に伝わりましたら幸いです。

仕事の話や学生生活の話は割愛してることが多いです。

毒親の話を交えた話ですので。

僕の話を聞いて、全ての過干渉・モラハラな毒親の元で育ったアダルトチルドレンの方が、


「こんな境遇なのは自分だけじゃないんだ!」


と少なくとも悲観的になりすぎない思考になってくださったら幸いです。

毒親は治りません。

反省もしないし、そもそも毒親だと思ってませんし認めません。

だからこそ、許してはダメなのです。

少しでも許そうと思ったあなたの油断が、あなたをまた傷つけることにつながるのです。

アパレル販売員から自己破産までの詳しいお話は”人生経験マガジン”で


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?