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穏やかで鮮やかな街は、自分で創るしかないから


個人が主体性をもってそれぞれの色を放つ。
いろんな色が相互に反応して街を形成する。


そんな穏やかで鮮やかな、創造性あふれる、個のための街づくりに対して自己効力感を感じる街に住めたならどれだけ心地が良いだろう。自然体の自分ってどんなだろう。



いつも教室を見渡して仲間はずれを見つけては気にかけ、両親に不和が生じればせっせと仲裁し、バイト先では心身を擦り減らして働く社員の相談にのる。僕のことだ。

苦ではなかったし、なぜ自分のことを蔑ろにしてまで他人に働きかけていたのかに気付いたのはつい最近。他人のために生き過ぎたと反省し、数年間は内に籠ってとにかく自分を守ることに努めてみた。ダメだった。人間は社会的な生物だという。自分も例外ではないらしく、創造的な社会で息をすることが何よりも幸せであると気付けた。

どうやら自分らしく生きられていない人間が周囲にいることで、心の平穏が僕から遠ざかってしまう。まだ上手く言葉に変換できないが、そういうことらしい。

街を見てるといつも思う。こんなに人がいるのにとても寂しい。
社会に不満がある人達が責任をなすりつけて今日も駅前で喚いている。薄っぺらい歌詞を拡声器で撒き散らしなんとも言えない衣装で踊り狂っているアイドル。自分が何を布教しているのかも分からずに恐ろしい微笑みで立っている宗教勧誘のおばさん達。カラオケ店の前で無心で突っ立ってるキャッチのお姉さん。こっちまで気分悪くさせる怒り方の下手な子に怒鳴る親。見かけるとがっかりするオーラの暗い人達による宝くじの行列。絶対にそんなに急ぐ必要のない危なすぎる爆走ピザ配達員。暇すぎて誰も触ってない服をたたみ直す婦人服売り場の店員。

自分の人生の時間を削る何かに駆り立てられた人たちが隣の人間には一瞥もくれず、自分の意思を無視して、色も持たぬまま機械的に毎日を送っている。柔軟に適応することができてしまう人間という生き物は機械的になることもできてしまう。

活き活きと生きてほしい。
温かみのある街になってほしい。
創造性あふれる鮮やかな社会になってほしい。

僕はきっと、どこでも住めるとしても幸せにはなれないだろう。
存在する選択肢の中にないなら、自分で創ろう。

正の感情から負の感情まで、いろんなことに敏感に気付いてしまう自分の幸福を叶えるために、自分だけを幸福にすることは諦めた。自分らしく輝いてる人を増やすことが自分の幸福に繋がるはず。そういう使命の人間なんだと思うのが一番楽だ。

そんな社会のためのキッカケのひとつとなる新しい空間を街の中に創れたらいいなと思っている。そのために僕は今、5年間のフリーターを経てあれだけなりたくなかった社会人として生きている。今の社会のいいところも間違いなくあるはずで、潜入して体験する必要があるから。

毎日大勢の大人たちの流れに乗り、同じ方向へ、一生懸命に歩幅を合わせて歩く。流れ着いた先では、どんなにこなしても減らない代わり映えのない業務を与えられ、真面目なふりをしてこなす。絶対に機械的にならない、目的を忘れない、心を失わないように。

こんなに大勢の人間が毎日同じ動きをしてると考えるとゾッとするけど、その寒気すら毎日感じ続けることが大事だと覚悟を決めている。

全体の為に作られた街に自分をあてがうんじゃなくて、個を確立させた人たちで形成された柔軟な街を創るんだ。

現存する街に馴染むデザインではなく、少し違和感を覚えつつも心地の良い空間。決して街の流れを悪くする空間であってはならない。むしろより循環を促し、街の凝りをとる。構造自体に透明感のあるカフェのようなダイナーがいい。店の半分はスタンディングでドリンクを楽しむスペースが望ましい。飲食店という「場所」のイメージを持ってほしくない。あくまで「地点」であり、人々を寄せては流す形を変える浮き足立った空間。創造性あふれるメニューとクリエイティブを刺激する空間づくりには努力を惜しまない。そこを通り過ぎる街の人々を変え、街ごと変えてしまおうという魂胆。

言葉足らず、世間知らず、現実味に欠ける、まだまだ未熟な人間なのが本当に悔しい。自分のこの遠回りのような努力がいつか、自由な創造的な社会づくりの実現の一助になることを願ってやまない。

あしたも頑張る理由が僕にはある。

いただいたサポートは、夢の実現に必要な勉強(空間づくりの勉強になる本や映画の購入、気になるカフェや公共空間へ実際に足を運ぶなど)に投資させていただきます! 吸収した知見はできるだけ記事にして皆さんに還元し、一緒に共有できたらと思ってます。よろしくお願いします!