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客観 主観 しかちゃん 語り 🦌

「自己紹介」ということを人生で何度もやらされてきましたが、未だこの時に何を話すのが適当なのかわかりません。相手が何を知りたいんだか、私は忖度できません。

好きなものを話してみて「それを好きになったきっかけは何ですか」とか聞かれると、申し訳ない気になります。食べ物の好き嫌いもそうだけど、好きは好き、嫌いは嫌い。理由とか必要?と思うと同時に、この人は「それ」に興味ないんだろうと感じます。

そもそもがセルフイメージ由来の主観的「自分語り」と、他人が自分をどう見ているかという客観は、たいてい、ずれがあるものです。

他人の印象と実態との乖離が大きいものだと、「酒豪」「達筆」ってやつな・・・どっちも違うから(汗)。


先月5月は誕生月だったこともあって、身近なひとたちからモノを頂くことがありました。

身近な人がくれるもの=わたしが好きそうなもの たぶん。

他人が私をどう見ているか、知ることのできる機会です。


KITTY×ANNASUI
とか、
私以外、どういう人が・・・?



もらった本。「オートファジー」って、「自食」のことです。時々、身体に飢餓感や危機感を持たせることで、自分の中の良い部分が悪い部分から栄養を絞り出して(=自分の一部を食べて)生命維持をさせる → 結果として自分の悪い部分を低減消失させることができる という作用。いつもと違う異常な状態に置かれることで、代謝促進とか抵抗力強化が期待できるということ です。

今回もらった本は生物学的なことに特化して書いてありましたが、私が初めにこの言葉を知ったのは、相場や人生におけるティンカリング(いじくりまわし)の必要性を書いている文章からです。

小さい間違いへの対応、試行錯誤を通して、悪いものを損切りし、少しずつ仕組みを強化させる。(=小さい間違いはたくさんするけれど、一回で壊滅的被害を被るような間違いは回避する。)うまくいっていないものにかける時間と費用を、うまくいっているもの、うまくいきそうなものに振り替えていって強化する という考え方。

「規則的」に物事が進めば未来予測が立ちやすいから、誰しもそれを選びたがるけれども、それに頼り切ると想定外の事態にフリーズしてしまう。予測不能を受け入れて、自分の中身も少しずつ変形させていくことの必要性と重要性。「絶対ないは、絶対ない。」これは私の脳内の原理原則の部分。

これをくれた人にこんな話はしてないのですが・・・よくこの本を選んできたな~・・・

「私は重い女だろ。作ってきたぜ!」
と友達がくれた手作り大仏クッキー。
土偶版もありました。
私自身はお菓子作りとかしたことありません。


そして私はどうやら、ものすごくキティちゃんが好きな人だと思われてます。私としては、自分と同じ世代の女性は、みんな私と同じレベルでサンリオキャラをかわいいと思ってると思ってます。違うの?

しかし今は、もらったキティちゃんグッズが更なるキティちゃんグッズを呼び、私はもはや、かなりなキティラーかも・・・🦆?

消防庁×企業 
コラボクリアファイル
ももらった。
火消しに励むに!


自分としては自分の性格は各種「分析」やら「占い」があたってる気がするんですね。

AB型 動物占いはペガサス 16性格分析はINTJ建築家 長距離走者タイプ

自分軸、内向的。斬新な考えた新しい視座へを受け入れる自由度がとても強い。突飛で特殊なことを思いつく。(←でも周りに丁寧な説明できず、結論しか言えない。)

他人の(評価の)ためではなくて、自分の興味と価値観を満たすためにやるという姿勢。ってゆーか「誰かのため」「何かのため」って他責的でないですか?

可能な限り回避しているものは、自分の身内の話、おせっかい、TV、「あなたのため」「普通は」「みんなは」とか言われること、予防接種、健康診断、同調圧力、懇願、情緒に訴えたがる人たち、泣ける話、苦労自慢、主語不明の話。


てくてくらくらく


「私は」

荒廃した小学校に通っていました。低学年の時、中島みゆきの「ローリング」という曲の「淋しさを他人ひと)に言うな 軽く軽く傷ついてゆけ」歌詞に泣きそうに感動して以来、今も中島みゆきが好きです。近所を走る近鉄電車を見て、あれに好きに乗って好きなところに行ける大人になりたいと思っていました。

中学校も荒れていたので、仮病を使い倒してあまり行かなかったです。部活で堤防とか走りながら、週刊少年ジャンプの最新号の話したりするのは楽しかったです。学校の部活なのに、学内にいない陸上部中長集団。ジャンプはジョジョの4部5部世代です(好きなのは5部7部)。スラムダンクも好きです(海南大付属が)。あとは国語の教科書の漢詩の頁は好きでした。

高校は体調も絶悪なこともあり、ますます行かず、成績表は出席日数もぎりぎりだけど、大学入試受かれば大学はテキトーに行けるし、受かれば高校側も卒業させざるを得なくなるだろうから、とタカをくくって評定とかどうでもいい日々です。卒業アルバムは一度も開かず、受け取った当日にゴミ箱にぶち込みました。

大学は会計ゼミにして(哲学者)ポパー「開かれた社会とその敵」を輪読したりしました。タイトルがいい。けど中身はあまり理解できません。第二外国語の中国語の授業で「鴉片戦争」(阿片戦争)や「上海租界」をやったってことも覚えてます。勉強ではなく京都市内を徘徊している学生でした。椎名林檎「歌舞伎町の女王」の「同情を欲した時にすべてを失うだろう」という歌詞だとか、一青窈、周華健、王 菲の歌とかが好きでした。


奈良公園も鹿ちゃんは小さいころからすきです。
鹿を飼いたいとは思いそうで思いません。


子どもの頃は何も考えずに楽しかった、とか、20歳前後は花だった、とか、そういうの私は全然ないです。昔はよかったとか、全然ない。私は年齢とともに各方面が楽になりましたし、好き勝手出来るようになりました。時間の経過はだいたい私の味方なので、将来に対する悲観はあまりないです。ネット時代というのも、自分には大きくプラスになりました。買い物も相場も一人の決断で他人の意見を無視してやれる。

noteは「しか」で何をどこまで書こうか、自己規制したおしてそろそろっとやってましたが、はじめの試し掲載みたいなものは整理して、あほかこのひと と思われること承知でもうちょっと自分の本音を走らせてもいいかな~と、今は思料しております。







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