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謎に包まれた高徳院 と 蕎麦屋と


鎌倉は江ノ電の長谷で降りて、長谷寺と高徳院はセットで回るというのが一つのお決まりコース。鎌倉長谷寺も縁起に聖武天皇の名前があります。平城京から見てもここは要所であったのですね。いわゆる教科書的な歴史観とは違うものを感じます。源氏がここに幕府を決めたのも、地形的要因だけではなさそう。


高徳院入り口。大佛とな。
屋外にいらっしゃる。

有名で存在感のある大仏様なのに、開基開山について不詳なことばかり。木造の大仏様が失われて、改めて鎌倉幕府が作ったのではないか、というのが主力説(だと思う)。でも、この大仏様の由来は調べてみてもわからないことが多いですね。私にはそもそも長谷寺と一つづきの信仰体系だったと思われます。高徳院は江戸時代から浄土教に転じた、とありますが、どうしても大仏信仰というのは衆生救済の精神や思想を感じさせます。定印は密教系らしいですが。細かい宗派はあるものの、私の中では因果応報系上座部と、衆生救済系大乗で大きく二つの別の流れを認識しています。

信賞必罰自業自得か、みんなまとめて救われるか、どちらが正しいとかそいうことは一概に言えるものでは、当然ありません。

台中の八卦山の大仏様と、
佇まいとか大きさとか、お外にいらっしゃる感じがよく似てるわ。背中も窓が空いてはった。


高徳院の道を挟んで向かいにお蕎麦屋がありました。

そして鴨せいろにする。


大人になるまで、実は蕎麦が美味しいと思ったことはなかった。育ってきた近畿圏はうどん文化。蕎麦に変更可能とかのうどん屋もあるけど、いや、うどん屋ではうどん食べますから。私はそもそも蕎麦をまともに食べることも少なかった気がします。関東関西でうどんが違うと聞かされてきたので、関東のうどんは心の中で「関東うどん」と呼んで別物と思おうとしたのですが、いや、せっかく関東では蕎麦屋多いし蕎麦も食べてみようか?と思って食べるようにしてみたら美味しかった。こちらのお店でも美味しくいただけました。鴨蕎麦なんてほんと、ここ数年で初めて味を知りました。食べたことなかったです。私は東では蕎麦、西ではうどんを食べることにしています。

食の違いね、うどんは違うって知ってましたけどね、ところてんよ、あれ違うとか知らなんで、東京で買った時には、なんで酸っぱいんよこれ腐っとるわと思って捨てたことがあります(実話)。私が食べたかったところてんは、関東では葛切りという食べ物が近いことをかなり後になってから知りました。関東ところてんは未だに食べることができません。

関東は端午のちまきも売ってないらしいですね。なんでなんかなー。ういろとか求肥みたいな食感のものってあんまりない気がする。

桃虚様の記事でも言及されていました。

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