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理解しないという楽しみ方

2月になってもう1週間経ちましたね。早いと嘆く日々がこれからどれだけあるのだろうと思うと怖くてたまりません。

それは置いておいて、1月の最終日について遺しておきたい記憶があります。
私の血や肉となり、人格を形成しているものは何かと問われるとやはり1番は人間関係にあると思うのです。2番に読書や映画などの物語。3番に勉強といったところでしょうか。(勉強低いな)

1月の最終日、とある場所に出掛けました。まぁ、そこは私にとって馴染み深く、堪らなく好きな場所です。そこに父と初めて2人で出掛けました。父と2人で出掛けることが初めてということに自分でも驚きましたが、それより父はよっぽど嬉しかったようです。出掛ける30分前から家の中をウロウロと。10分前には車に乗り込み「先、外出てるぞ〜」せっかちな人だとは前から思っていましたが、こうもせっかちだったとは。17年一緒に住んできて改めて気付かされました。


出掛けた場所というのは、映画館なのですがまず『バイオハザード』とても面白かったです。原作に近いシナリオ、リアルな描写、バイオファンにはたまらない格好良い要素や、次作が楽しみな内容でした。(あえてひとつ言うならレオンをもう少し性格イケメンにして欲しかった)


その日はなんというか、とても気分が良く、久しぶりに映画を映画館で観れるという高揚感からか、2本続けて観ることになりました。(父はここで退却)
次のスクリーンに入った時にはもう予告が始まっていて、ちらほらと席も埋まっている。そんな状態のなか、私は先程の2時間で飲みきれなかったカルピスを片手に堂々と真ん中の席に座るのです。その映画は『真夜中乙女戦争』という作品でした。
原作が大きく話題となったにも関わらず、未読。そして私の好きな池田エライザさんが出演していたからという映画好きと語っていいのかわからないほど凡庸な理由でチケットを購入し、今読んでいる別の作品の栞になっています。


結論から言うとこの『真夜中乙女戦争』という作品、私の好みドンピシャでした。自伝的に語られる主人公の思考や行動、トリッキーな登場人物に、詩的で理解の及ばない、まさに真夜中にふさわしい演出やシーン。
エンドロールが流れた瞬間、私は思いました。

「理解しない、そんな作品を好きでいたい。」

「できない」ではないのです。「しない」能動的に理解しない作品を好きでありたい。Netflixで配信された日には真っ先にマイリストに入れるでしょう。

私の頭が追いついていないのか、それともそういう作品なのか。私は『真夜中乙女戦争』のエンドについて「理解しない」という選択肢を作りました。そして、選択をした。それは私にとって好きな作品になった。
感想を。と言われるととても難しいですが、観て欲しい。ただそれだけです。理解に及ばないフィクションを思い切り楽しんで欲しい。そう思います。

長くなってしまいましたね。
私の1月最終日はこうして終わりました。何か新しいものを見つけることができて喜ばしく2月を迎えることになりました。
2月もあっという間ですね。
は〜〜〜現実逃避ではなくて現実と向き合うことをしなければ。有言不実行がいちばん苦しいのは自分が1番わかってる。

みんなもゆっくり息を吸って吐いて趣味に楽しく生きてね。

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