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思うこと298



『タクシードライバー』(1976年)を観た。
実は初マーティン・スコセッシ。

 薄汚くて柄の悪そうな街と、そんなゴミ溜めみたいな街でどんより生きる主人公トラヴィス。彼はタクシー運転手として働くようになるけれども、決してそれはホワイトカラーと言えないような仕事。うんざりしながら街ゆく人を眺めてタクシーを走らせる。

 総じて、彼は真面目な男だ。あと、正義感の強さ。(軍や戦争経験によって形成されたものかもしれないが)だけども一人で日記を書きながら色々思い詰めていくうちに、その行動はどんどん過剰に、しかも傍から見たら異質な方向へと突き進んでいく。一目惚れからの失恋、社会の底辺で生きているような気持ち、自分で決意した計画が上手くいかないもどかしさ。それは結構誰にでもある人生の出来事に見える。

 いつかの通り魔、見知らぬ者への殺人。ただただ彼らが「異常」で、それをしない者たちは「正常」かと言えば、そうではないと思う。人が何に傷つき、何を思うかに大きな差はなく、何処かの時点でふとすれ違った世の中と自分との関係性が、最後の引き金になる。

 何か大きなことがしたい、と先輩ドライバーに相談するトラヴィスだけど、俺たちみたいなタクシー運転手ができることなんてたかが知れてるし、
人生はなるようにしかならない、俺たちは所詮負け犬だ、みたいに言われて
ガッカリ。そんなことってあるのか、と。

 彼らが負け犬かどうかは別としても、ある種の不相応は間違いなく存在する。かと言って夢を持たないで生きろというわけではない。ただ、己が何者であるか、社会の中でどう生きているか、どう生きていくのか。自分自身を冷静に見つめることは大事なことだし、しかもそれは一人きりで行い続けてはいけないし、適度に他人と関わらないと見えてこない。

 その辺りをすっ飛ばして「俺の考えた最強の装備」と「俺の考えた最高の計画」を携えたトラヴィス。けれど、それで何もかもが上手く行くってことは、…まあ、やっぱりないんだよなぁ。

 私には、恥ずかしながらたいして人にも合わず、実家でニートをしていた期間が数ヶ月ほどある。それ故か私は、トラヴィスのあの毎日の気だるさと焦燥が身につまされた。(トラヴィスは働いてるけど!)「なんとなく上手く生きていけてない自分」と一緒にどんどん鬱屈していくことで、思考が妙な方向へ変容してしまう。で、たまに外に出て人に接したかと思えば、色々慣れてなくて、自分の滑稽さが浮き彫りになって「なんだよチクショウ!世の中が悪い!」ってなる。その鬱憤を何か行動に移すか移さないか、自分のためか他人のためか、あるいは、良いことか悪いことか、みたいなのは、それこそ人それぞれだろう。

 無論、作品はベトナム戦争後が背景にあり、元海兵隊であったトラヴィスの精神状態にもそれは色濃く反映されているわけだが、やっぱり同じ「人」としての普遍性や共通性を見出さずにはおれなかった。

 さて、ちょっととりとめがなくなった。てなわけで、タクシードライバー、とても良かった。いつか観なくてはいけない映画リスト(自作)に入っていたので、やはり素晴らしい映画だ。ソール・ライターの写真を思わせるような雨の風景や夜のネオンもグッときた。なるようにしかならん、という点では『アメリカン・ビューティー』(1999年)や『イージー・ライダー』(1969年)を思い出した。その二つに比べたら、トラヴィスの方がまだちょっと救いがあるようにも見えるが…。

 ところで監督がタクシーの客を演じていたと知り、ちょっとニッコリ。
黒人男性と浮気していると思しき妻を恨み、殺しを計画してるんだ、どう思う?とかいや答えは言わなくていい、とか何とか早口で話す男。キャラとしても話のポイントとしても良い役だし、私のお気に入りのシーンでもある。
ニッコリ。


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