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思うこと306

 しばらく離れていたコルタサルの読書を再開。短編集の『八面体』(水声社/2014年)に収録された「夏」という小説がもの凄く良かった。

 町外れに住む夫婦は、ある日友人の小さな娘を翌日の朝まで預かることになり、いつもの決まりきった毎日に少し変化が訪れる。行儀の良い娘に夕飯を食べさせてみたりしているうち、娘が寝付いた頃、突如家の傍で馬が暴れる気配がする(野良馬?)。夫は「きっと農園から逃げたんだろう」と推測するが、一方で妻は「馬が家に入ってくる!」と怯えまくり。それをイラつきながら宥める夫。やがて寝ていたはずの娘が寝ぼけて起きだしているのを見た妻は、あの娘が馬を呼んでいるんだ!、などとさらに錯乱。夫は相変わらずイラつきながらとにかく騒ぐ妻を黙らせる。寝ぼけていた娘は再びベッドですやすや寝る。そして夫は妻を無理矢理寝かしつけ、明け方に一人でぼんやりする…。

 そのうち父親が娘を迎えに来て、また夫婦には同じような毎日が来るんだろうな、という感じで終わるのだが、要するに、筋だけまとめれば、「町外れの夫婦は短い間だけ知人の娘を預かることにした。その夜、馬が家の外を
興奮気味にうろうろするので妻はパニックになったが、結局馬はそのまま何処かへ行き、いつも通り朝が来た。」みたいな感じで、もっと言えば「真夜中、家の中に馬が入ってくるかと思ったけど、入ってこなかった話」だ。

 確かにもっとこう、何か暗示があって、とか、あるいは原文で読んだらもっと発見があって、…的なこともあるのかもしれない。でも、私はその「真夜中、家の中に馬が入ってくるかと思ったけど、入ってこなかった話」という時点で無茶苦茶に心惹かれて、久々に大興奮して文字を追ってしまった。道の真ん中で「こういう話好きだなァ!!」と『八面体』片手にでかい声で言えそうなレベルで好きになった。(不審者まっしぐら)これは昔、カフカの短編「父の気がかり」を読んだ時の感覚にも似ているが、いざ人に伝えようとすると、このもの凄い面白さのイメージを全然上手いこと伝えられないので、とりあえず文字に起こしてみたものの、やっぱりイマイチなようである。

 頑張ってもっと掘り下げるとすれば、繰り返しの毎日にふと訪れる瞬間的事変と、小さな娘のちょっとしたオカルト感と、騒ぎまくる妻のうっとおしさが良い。あとは何と言っても「結局馬は家に入って来なかった」という逆ドッキリみたいな、「でもなんにもないよ」と急に手を離される突然の終幕感が好きだ。話は終わったから帰れ帰れ、みたいなドライさとでも言おうか。だからこそ、いつまでも心にじめじめ残ることを強要されているかのような押し付け系の物語が苦手なのかもしれない。読んでみてどうでしたか??!、みたいなやつだ。具体的にどういう話とは言えないけれども…。

 まあ、そんなわけで、コルタサルの「夏」。最高です。

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