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映画「華麗なるギャツビー」で友情を知る

Amazonのプライムビデオで映画「華麗なるギャツビー」を見ました。
レオナルド・ディカプリオが主演の映画です。

原作は言わずとしれた名作ですよね。
まあ、私はまだ原作を読めていないのですが…。
なので映画の話をします。
以下はネタバレを含みますが、悪しからず。


あらすじとしては、
主人公、ニックの隣人は宮殿のような豪邸に暮らし、毎日のように豪華絢爛なパーティーを催している。彼の名は、ジェイ・ギャツビー。彼には人生の全てを賭けたある「秘密」があった…。
という感じです。



この映画からは、いろいろなことが読み取れると思います。

ギャツビーのデイジーに向ける一途な情熱は純愛映画そのものです。(圧迫感がありますが…)

また、ギャツビーの生き様からは、極貧の生まれにも関わらず、大きな野心と夢を抱き走り続ける力強さ、強かさには啓蒙されます。

しかし、終盤の彼の姿を見ると、莫大な資産があっても決して幸せではないこと。 

パーティーにたくさんのセレブが来て、多くの人と関わりがあっても心を許せる人は誰もいないという孤独さ、虚しさを感じます。

お金はなんでも買えるけど、人生そのものではありません。
ギャツビーはたくさんのお金を持っていたけれど、過去は変えられないし、愛する人は結局手に入らなかった。

死後には、全ての罪が彼に着せられ、物言わぬ死人であるのをいいことにゴシップ記者の餌食になりました。

彼の心を知る数少ない人たちでさえ、葬式に来ずに彼を置いてゆきました。まるで見たくないものから目を背けるように。誰も本当の彼を顧みる人はいませんでした。


主人公のニックを除いて。

ニックはギャツビーの葬式を踏み荒らすゴシップ記者に怒りをあらわにして、追い払います。そして、彼の棺に一晩中寄り添っていました。
ニックだけがギャツビーの死を悼んでいました。

さらに、ニックは生前、ギャツビーから彼の本当の生い立ちを聞いた後に、
「世の中クソばっかりだ。君だけが価値がある」
と最大の賛辞を送っています。
等身大の自分を語った後のこの言葉にギャツビーはどれほど救われたでしょう。

他の人が皆大富豪であるギャツビーにまとわりついて甘い汁を啜ろうとする中、ニックだけが本当の彼の「友」でした。

私はこの映画はギャツビーとニックの友情の映画だと思いました。

ギャツビーは結局、愛する人も理想の結婚生活も手に入らず、死後は富や名声も失いました。しかし、ニックとの友情は彼の人生で本物だったのではと思います。

私も映画を見ているうちにニックに感情移入していたので、見終わってしばらくはニックと一緒にギャツビーの棺に寄り添って彼の死を悼みたい気持ちでいっぱいでした。

たった一人で本気で死を悼んで、それでも忘れられなくて本を書いてしまうくらい死後も思ってくれる友人がいるでしょうか。

その存在はありふれたものではありません。
彼の人生は一見すると最終的に何も手に入れられなかったように見えますが、ニックというかけがえのない存在が確かにあったと思います。


そして、映画の冒頭で彼のことについて話したくないと言うニックにカウンセラーが語りかけるシーン。

「ならば、書くといい。」
「書く?」
「書くことが癒しになる、と」
「何を書くんだ?」
「なんでも、心のままに。思い出でも。考えでも。場所でも。書き留めて。」

ここで私は深く頷きました。傷ついた時に、書くことは癒しになります。
私も身をもって知っています。
それはまさに私がnoteを書く動機だからです。


長くなりましたが、とにかくいい映画でした。
この映画を見てあなたなら何を思いますか?何を感じるでしょうか。
10人いれば10人違う感想があると思います。
ぜひ楽しんでみてください。

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