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お昼寝の時間が許せなかった話

幼稚園児の頃の話だ。たぶん、4歳か5歳の頃である。
夏休みや冬休みの期間中に、僕の通っていた幼稚園の系列で預かり保育というものをやっていた。
僕は母子家庭だったので、母が働いている間、預かり保育で幼稚園に預けられていたことがたまにあった。
この預かり保育の時間に知っているお友達がいればなんとかなったのだが、不幸なことにそういったことはほとんどなかった。
なので、この時間はとても苦痛だった。とてもとても苦痛だった。
僕はどうやら人見知りをするようで、知らない友達と遊ぶといったことがとてもハードルが高かった。
それならば一人で遊んだり、本を読んだりすれば良かったのだが、慣れない空間に一人置き去りにされる空気感に耐えきれなかった。いつも泣いていたような気がする。
当時の僕はかなり繊細だったみたいだ。
たぶん、今もその気質が悪い方向に働いている気がする。

正直、過去の記憶は辛かったことや悲しかったことばかり覚えている。
しかも、かなり根に持つ。家族や他人からされて嫌だったこと、腹が立ったことなどはかなり覚えている。たぶん、一生忘れることはない。
そう考えると19歳までの人生で心の底から楽しかったことはほとんどないんじゃないだろうか。
こんな性格を深い闇に閉じ込めていたんだけど、20歳の時に開いてしまって現在に至る。
それをここ数年でさらに拗らせてしまっている。
そう、これが一種のエンタメなので、またみなさんはこんな僕を見て笑ってくれれば良いのだ。

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話が闇に入ってしまったので、光の世界に戻そう。

そう、預かり保育が大嫌いだったのだ。
預かり保育は午前中に友達と遊ぶ(孤独に耐える)時間があり、昼食を食べ、そしてまた午後に遊ぶ(孤独に耐える)時間がある。
その後に来る時間が今回の話の本題だ。

ずばり「お昼寝の時間」である。
幼心に本当に謎だと思っていた時間だ。なんだお昼寝の時間って。眠くねえし。
システムとしては保育士のみなさんがほかの作業をする時間 or 休むために必要な時間なんだろう。今となっては理屈はわかる。保育士は本当に大変な仕事だと思う。
しかし、僕は眠くないのだ。もう一回書こう。
僕は眠くないのだ。
普通に家で過ごしていて、お昼寝をする習慣がない僕にとっては苦痛でしかない。1時間も長きにわたり、目を瞑って寝たふりをして無を過ごすだけ。一種の拷問である。

驚くことに、この時間に素直にぐーすかいびきをかいて寝ている子もいる。本当に素直な子だ。
きっとこういう子は今、社会人として真っ当に生きているのだろう。
反対に幼心に「お昼寝の時間」に疑問を持っていた僕みたいな子は、社会不適合になっている。
今思えば、幼い頃に既に社会で生きられるかどうかの選別が始まっているのではないだろうか。

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この拷問のような時間に耐え、また遊ぶ時間があり、親が迎えに来た子から順に帰っていく。こうして地獄の一日が終わるのだ。

なんでこの時間があったのだろう…って思って調べてみると、厚生労働省から出ている「保育所保育指針」にこんなことが書いていた。

『午睡は生活のリズムを構成する重要な要素であり、安心して眠ることのできる安全な睡眠環境を確保するとともに、在園時間が異なることや、睡眠時間は子どもの発達の状況や個人によって差があることから、一律とならないよう配慮すること。』
引用:厚生労働省「保育所保育指針」
https://www.mhlw.go.jp/file/06-Seisakujouhou-11900000-Koyoukintoujidoukateikyoku/0000160000.pdf

一応推奨されていたんだ…。だけど僕にはいらなかったな。


この知らない空間に放り込まれて友達と遊んだり、みんなで寝たりといった時間も一種の社会生活の時間だったんだろうか。
そうなると幼い頃からこの社会はとても生きづらい。


じゃあまた。

クソどうでも良い事を書き連ねて、ロックンロールでギリギリ生きてます。