ギフテッドの中学受験⑥積極的不登校という選択
イェール大学助教授で最近時の人になりつつある成田悠介さんが、元文部科学大臣の柴山さん、元2ちゃんねる管理人のひろゆきさんが、才能ある子どもへの公教育のあり方を論じる番組が、Youtubeのテレ東大学というチャンネルで放送されていた。
ギフテッドとは名言こそしないものの実質的にギフテッド児を念頭においた内容だったので紹介したい。
世界中で才能ある子どもをいかに伸ばしていくか競っている中で、なんで日本は未だに20世紀型の横並び教育をしているの?使わない知識を詰め込んでも無駄じゃね?と問題提起するのはひろゆきさん。ギフテッド教育にどこまで知見を持っているか不明なので話半分に聞いていたけれど、議論を盛り上げるにはうってつけという感じ。
一番面白かったのは成田さん。東大に行くような子は学校の勉強をいかにサボって塾のパワーを残すかしか考えてない、とばっさり。あ、それまさにうちの長男だ、と苦笑せずにいられない。成田さんは(明言はしないけど)ギフテッド児だった自身の経験をもとに、私が抱えているモヤモヤをどんどん言語化してくれる。ギフテッド児の親は一見の価値ありだ。
そんな中で考えさせられたのは、学校で退屈な授業を受けるより家でもっと専門的なことを自分で学びたいと、積極的に学校に行かない選択肢を選ぶ子供が増えているというコメント。
いや、わかる。うちの長男もホームスクーリングに切り替えようか悩んだこともある。というか今も選択肢としては排除してない。その方が長男も学校のストレスから解放され、好きな化学や実験に打ち込めるのだから才能を伸ばせる可能性は高いと思う。
でも、、、世間一般に『不登校』と呼ばれる状況にして良いのだろうか?内申書や受験に悪い影響があるんじゃないか?学校の友達との関係だって、と考えると踏み切れないのだ。
それだけではない。正直に言えば『不登校』という言葉が持つネガティブなイメージに対する親の抵抗感もかなりのものがある。自分の子どもが不登校児だなんて、そう想像すると少し気分が落ち込んでしまう。
実際には塾やスポーツクラブの友人もいれば、児童館へ遊びに行くこともできる。オンラインで課外授業やイベントにどんどん参加すれば幅広い年齢の繋がりもできるだろう。そう考えると積極的な不登校を選択できないのは親のエゴなのかも知れない。
成田さんは、積極的に自己学習を選択する子どもが増えている時代に『不登校』という言葉は合わなくなっていると言う。どうせなら古くさい言葉と共に親のマインドセットも一緒に変えてくれないだろうか。
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