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「正しさ」に依存するぼくら。-黙食の別れ道-

こんにちは。たくちゃんです。今日は少しまじめなお話を。 
僕たちが生きる上で、常に意識しているモノ、または判断・行動の基準となるものって何でしょうか。「効率」とか「損得」とかいろいろあるし、その判断基準は場面によっても変わってくるでしょう。

しかし、多くの人にとって、「正しさ」が占める位置は大きいのではないでしょうか。

有名人が不倫したり、youtuberが良からぬことをすればすぐに大きな「リアクション」があります(批判だけではなく議論が巻き起こる)。世間では暗黙のうちに「正しさ」が張り巡らされていて、それに触れた途端、「炎上」へまっしぐらです。

有名人などのインフルエンサーだけでなく、時として一般の人も被害に遭います。
最近で言えば「自粛警察」の件もそうですね。
そうするとやっぱり

正しい/正しくないの物差しが持つ力って、意外とハンパない。

と思ってしまいます。今回のメディア部のかきとめ。はそんな「正しさ」についてお話していきます。
       メディア部のかきとめ。って?

一人一人の「正義」と「弱さ」がむき出しな今、コロナ禍。

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このパンデミック下では、外出する/しない、大人数で遊ぶ/遊ばない、黙食する/しないなどといった、今まで気にする必要がなかった
「正しさの分岐点」が登場し始めました。しかもそれは行動一つで周りに知られてしまう、わかりやすいものです。

尊敬しているあの人が大人数での会食をインスタにあげてるかもしれないし、食べ終わった後に話していたら、友人が先にマスクをつける時だってあるかもしれない。僕たちが友達と遊んでいる一方で、知人がパンデミックに伴う不景気で解雇になっている。なんてことも。そんなとき、何故か僕は苦しさに襲われます。

それは、コロナ禍になって、一人一人の違う形の「正しさ」「正義」がいっそう無防備に、むきだしの状態にされているからではないでしょうか。

違う形の「正しさ」がむき出しになっている。直に触れるから、その摩擦で、痛い。

僕らは今生きているのは、こんな時代なのではないでしょうか。

正当化の呪い

では、仮にみなさんが会食したり、黙食を破ったりしたとして、その時に「なぜそうしたのですか」と聞いたら、どう答えるでしょう。

「みんなやってるから」
「自粛ムードにうんざりだから、疲れたから」
と、どこか泳いだ目で答えてくれる人が大半ではないでしょうか。

でも、これらの答えって「自己正当化」ではないでしょうか。責めてるわけじゃありません、実際僕もそうしてしまうでしょうから。

人間は根本的に正しくありたいと思ってしまう生き物です。それは道徳的にも社会的にも、何より生きる上で必要なことだし素敵な事だと思います。私たちは基本的に「いい人」でありたいと思ってしまうし、だからこそ無意識に自分を正当化してしまいがちです。

僕はこれを「正当化の呪い」と呼んでいますが、この呪いを強化している/サポートしているモノは何でしょう。ひねくれている僕は、自分が愚かであると認めたくない気持ち じゃないかと考えています

正当化の呪いにかかっている人は、「正しくありたい」ことと「自分が愚かである」ことが相容れないものになってしまっているのではないでしょうか。

しかし、先にも挙げたように、このコロナ禍では、いやがおうにも自分の矛盾や弱さ、自身の正義感の欠点に向き合わされます。

だから、

「世間の正しさ」に依存してはいけない

と思うのです。世間にはびこる「正しさ」は多くの場合「当たり障りのない」ことでしかなく、あなたの行動を決めてくれるものではありません。
良くも悪くも、あなたの行動に責任を負うのはあなた自身であって、行動を決めるのもあなた自身です。

行動する/判断する度に、あなたは自分の正義やその矛盾と向き合わなければなりません。
とはいえ、具体的にどゆこと?ってなると思うので、最後にヒントになるかもしれないものを紹介します。

おわりに 違う形の「正しさ」とどう向き合うか。覚悟と責任のフレーム

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自由には責任が伴う とよくいいますが、ここではその応用したものを考えていきます。
自ら行動したり、逆に他人の行動を評価するときに、私たちは覚悟と責任の存在を忘れがちではないでしょうか

責任を持つと覚悟を決めて「正しさ」を捨てて行動した人を、僕たちは責めることができるのか。逆に「正しさ」を破る覚悟がないからなにも行動しない、というのはどうなのか。という問いを考えると見えてくるかもしれません。

で、結局何が言いたいかというと、このコロナ禍だからこそ

何を選び、何を捨てるのか。自由の代わりに何を背負うのかをまずは自身の場合で考えることが大切。そのうえで、ほかの人、自分と関わる人について、このフレームを使って考えを巡らすことが必要。 

ということです。 

また、らしさのきっかけ「人生哲学」#1でも触れていますが、その人の「未知の領域」についても考える必要があるでしょう。

そうやって考えていく中で、自分の善悪観とか価値基準がブラッシュアップされていき、情報と正義が立ち込めるこの社会での
「自分の歩き方」的なものが分かってくるのではないでしょうか。

いかがだったでしょうか、おせっかいにも近い内容ですみません。結局いいたいことは「コロナ禍は自分の善悪について考える機会が多いし、ぜひ考えてみてほしい」っていうだけのことです、笑。

それでは今日はこの辺で!お付き合いいただき本当にありがとうございます。
この記事があなたの「自分らしさ」の一助になれば幸いです。

今回は少し切り込みすぎましたかね、炎上するかも笑。       

今回の裏話

今回のおはなしは、ずっと自分の中にあったけどなかなか言語化できなかった内容で、以下の二つの動画を見たときにヒントを得て、よし書いてみるか、とチャレンジしたものです。

「悪は意外と平凡で、正義は複雑」ってのが刺さりました!

どっちも今回の話以外にも発見が多いチャンネルなので、ぜひチェックです!

この善悪観的な話はこれからもちょいちょい出てくると思うので、興味のある方はお楽しみに。今日紹介したらしさのきっかけのほうで「ダークナイト」と「リーガルハイ」を絡めつつ詳しくやっていくかもです!

                メディア部 たくと
(インスタ)
https://www.instagram.com/takuto0199/?hl=ja


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