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【読書ノート】『姥捨』

『姥捨』
太宰治著


妻・かず枝は、浮気をしてしまったのだけど、そもそも、原因は、夫・嘉七の荒廃した生活。責任をとって、かず枝は、自死することを伝えると、嘉七も、心中することを提案する。最後に質屋で金を借り、映画を見たり、お寿司を食べたりして、楽しんで、死ぬ場所として水上を選ぶ。列車でウイスキーを飲みながら、嘉七は自殺の無意味さを考え、かず枝に説く。二人は昔訪れた温泉宿へ行き、山中で心中を計る。という話。

実際、太宰治が、心中を試みた場所でもあり、私小説と言われている作品。

「姥捨(うばすて)」とは?
姥捨は、文字通り「姥(おばあさん)を捨てる」という意味なのだけどより広い意味として、過去のものや古い考え方、無用なものを捨て去ることを指す。

物事や人生において新たな始まりを迎えるためには、過去の束縛や固定観念を手放し、新たなる可能性に向かって進む必要があることを示す。姥捨の哲学は、変化や成長にとって重要で、過去の枠組みにとらわれず、柔軟な思考や行動を持つことを奨励する。

本書に戻ると、
二人は、心中をしてみるのだけど、死ななかった。かず枝は、親しくしてくれた温泉宿に残り、嘉七は、東京に帰る。

聖書のユダの裏切りの物語を言及して、夫婦の罪を断ち切る思いで、心中して、崖から、川の中に転がり落ちても何故だか助かってしまう。キリスト教で言うところの「バプテスマ」を彷彿させられた。
バプテスマは、クリスチャンになるときのキリスト教の儀式で、水の中に浸かることで、過去の自分が、死んで、水の中から出てくることが、新たな命の誕生を意味するもの。

罪許された筈なのだけど、嘉七は、かず枝のスケールの大きさに比べて、自分の器の小ささに気づいて、かず枝を山に置いて、逃げ帰ってしまった。

自伝的なものなのだけど、人間の弱さとか、神を怖れて、逃げまわる姿を表しているように思った。

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