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【読書ノート】『仁志野町の泥棒」(『鍵のない夢を見る』より)

『仁志野町の泥棒」(『鍵のない夢を見る』より)
辻村深月著


短編集『鍵のない夢を見る』からの一編。

主な登場人物
主人公(私):ミチル
律子
優美子

律子は、小学3年生の時、隣町から転校してきた。「私」は、明るく、背が高く、アイドルになりたいと言っていた律子としっかりものの優美子と仲がよかった。律子の母親が、あちこちに泥棒に入るという噂が広がった。「私」は、気にせず、律子と親しくしていたが、ある日、律子が文具を万引きする。それ以来、「私」は、律子と疎遠になった。その後、時が過ぎて、観光バスにのったら、バスガイドが、律子だったという話。

なんだかよくわからない話なので、キーワードを探ってみた。

①「仁志野町」とは?
「仁志野」を日本語の単語として分解してみた。
まず、「仁」は中国の古代哲学、特に儒教の中心的価値観の一つで、道徳的な善や究極の人間性を表す。これは他人に対する親切や理解を意味する。

次に、「志」は、個人の目指す目標や意図を表す言葉です。これは、何かを達成したいという強い意志や決心を示す。

最後に、「野」は、文字通り自然のフィールドや野原を表すことがありますが、もっと広い意味では、特定の分野や領域を指す。

したがって、「仁志野」は、これらの単語を組み合わせて解釈すると、「人間性と善意を持ち、特定の目標に向かって進むフィールドまたは領域」の町だということになる。

その上で、

②「仁志野町の泥棒」というタイトルが、何を象徴しているか?
* 社会の不平等: 泥棒は、資源や富を公平に分配することができない社会の不平等を表現する可能性がある。その場合、仁志野町の泥棒は、「人間性と善意」を追求する中で生じる不公平さや不平等を象徴している。
* 反乱と自由: 泥棒は、既存の秩序や権威に対する反抗や自由の追求の象徴ともされる。これは、「特定の目標に向かって進むフィールドまたは領域」において、個々人が自己の道を切り開く、あるいは社会の規範や期待から離れることのメタフォリカルな表現。
* 道徳的な葛藤: 泥棒の行為は、道徳的な問題や価値観の衝突を示すことがある。これは、「人間性と善意」の追求が、常に簡単または明確な道徳的道筋に沿っていないことを示す。「善意」は絶対的なものではなく、状況や視点により異なる解釈が生じる。仁志野町の泥棒は、それぞれの人間が個々の道徳的信念に基づいて行動する一方で、それが他者や社会全体と衝突する可能性もある状況を象徴する。
* 人間の欠陥と矛盾: 泥棒は、人間の欠陥や矛盾を象徴する。完全性や理想的な状態には達していないが、それでも目標に向かって努力し続ける「人間性」の一面が描かれている。

③「嘘」
1. **信頼の損失**: 嘘をつくことにより、他人からの信頼を損なう。嘘が発覚したとき、他人はその人の発言や行動を疑うようになる。信頼が無くなると、人は他人を裏切る、または物を盗むなどの更なる不正行為に走りやすくなる。

2. **倫理的な基準の曖昧化**: 嘘をつくという行動は、自分自身の倫理観を曖昧にし、道徳的な境界をぼやけさせる。一度嘘をついた人は、次にさらに深刻な不正行為に手を染めることが容易になる可能性がある。

3. **自己正当化**: 嘘をつくことは、不正行為を自己正当化する第一歩となる。嘘をつくことで、人は自分の行動を正当化し、それが社会的なルールや倫理規範に反していても、それを続ける理由を見つける。

本書に戻ると、「私」は、高校時代に一度、律子に会った。ところが、律子は「私」の名前を覚えていないような素振りをした。

本編が、収録されている短編集「鍵のない夢を見る」とは、
解決策や進行の可能性が見つからない状況、新たな機会が欠けている、または、手の届かない状況、あるいは秘密や未解決の問題への直接的なアクセスがない状況を象徴する。

本書のテーマは、なにか?
律子は、ある意味、人間の代表なのだと思う。人間は、そもそも、不完全なものなのだということ。そして、そんな不完全な人間にも、生きる力を与えてくれる町が、仁志野町なのだということになるのだと思った。

aiko 気付かれないように

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