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「心配性」の生存戦略

高校3年のとき、私は大きな失敗を2つした。
一つは、私立大学の受験の申し込みを忘れていたこと。
親に頼み込んで、受験先までのJRのチケットとホテルを用意してもらい、先生にも内申書を書いてもらったのに、受験申し込みの締め切りを失念した。当然、受けられなかった。
もう一つは、背水の陣で臨んだ本命の国立大学の2次試験の直前に受験票をなくしたことだ。
家中、大騒ぎになり、夜中に家族で大捜索。
なかなか見つからなくて、「もしかして、ゴミと一緒に捨てたのではないか」、「どこかへ置き忘れてきたのではないか」と、様々な憶測が飛び交う。家族全員、真っ青。
数時間後、日本史の参考書に挟まった状態で発見され、ことなきを得た。

この事件がきっかけだったかもしれない。私が、心配性になったのは。
自分の気の緩みや詰めの甘さが人生を大きく左右することに気づいたからだ。そして、それに気づかない人間であると知ったから。
子供のころは、親が何かと先回りして失敗しないようにしてくれていたが、大人になるにつれ、自分でなんとかしなければならない場面が増える。
それがどうにも人並みにできない。

その後も何度かよく似たことをやらかした。
こないだも嵐のコンサートに行く前日に会員証が見つからず、大騒ぎした。(ありました)
ほんの少し気をぬくと、こうなる。
もはや、自分で自分が信用できない。

そのせいで、毎日、いろんなことを心配するくせがついた。
食事に行こうと決めれば、「お店が臨時休業だったらどうしよう」と心配だし、子供の通学や自分が通勤に、毎朝「事故や事件に巻き込まれたらどうしよう」と思うし、少しでも家族の帰りが遅かったら「まさか襲われたんでは?」と不安になる。
旅行なんて、心配の宝庫。
チケットをなくしてないだろうか。
そもそも出発日を間違えてないだろうか(心配しすぎて、居ても立ってもいられず、出張先の会場に電話で確認したことがある)
出発時間に遅刻しそうで眠れない。
必ず飛行機や列車に乗り遅れて慌てふためく夢を見る。目が覚めてホッとする。
時計を見る。「あと、3時間」もう一度寝る。目が覚める。「あと、2時間」、「あと、1時間、ああ、もう起きよう!」朝からぐったり。
心配は自分だけじゃない。
友達が遅刻してきたらどうしよう。
想像以上に混んでいて、会場に入れなかったらどうしよう。
私のいない間に、家族に何かあったらどうする?
ありとあらゆる「最悪の想定」が思い浮かぶ。
出かけたばかりなのに、もう帰りたくなる。

少し未来のことが不安で仕方がない。
最近は子供が大学生になって一人暮らしをするようになったら、悪い人に襲われたり、詐欺にあったり、事故で死んだりするんじゃないか、夫の会社が倒産して仕送りができなくなりやしないかと心配で胸がつぶれそうになることがある。
しまいには、近所の飲食店に客が少ないのを見て、店主の行く末が心配になる始末。
要は「想定外」が怖いのだ。

今まで書いてきたことが、未来への不安だとしたら、過去への不安ももちろんある。

朝出勤して、同僚の返事が素っ気なかったら、「昨日、何か気に触ることをしただろうか」と心配になり、友人に送ったLINEに返事が来なかったら「ウザかったかもしれない」と不安になって、取り繕った内容の言い訳LINEを重ねて送ったり。

こうして、心配とともに生きているのだけれど、ふと、心配のない時が訪れることがある。
おかしなことに、それが、なんとも心もとなくて、裸になったみたいにスカスカする。
脱ぎ捨てられた洋服を拾い集めて着込むように、必死で心配のタネを探す。見つけて安心する。ライナスの毛布か。

だけど、最近、少しずつ変わってきた。

もちろん、自分のおっちょこちょいな性格に全く自信はないし、心配性は治ってない。
心配になるのは、先のことが見えないから。過去の自分を納得させられないから。
それは、突然、真っ暗な部屋に放り込まれて、右も左も分からない状態と同じ。先が見えない。だから不安になる。

だったら、自分で明かりを灯せばいい。
過去の失敗と成功を掛け合わせて、「こうしたらうまくいく」という道筋を自分の中で用意すればいい。

なくしそうなものは、置くところを決める。目につくところに置く。家族にありかを知らせておく。ホワイトボードにメモしておく。
遅刻しないように、目覚まし時計は何個もかける。夫に起こしてもらうよう頼む。日程を間違えていないか、1週間前、3日前、前日と数回に分けて確認する。持って行くものリストを作って忘れ物を減らす。旅先での行動プランをいくつも考えておく。
スケジュールは決まったらすぐ入れる。
お金の問題はプロに相談する。

それでも不慮の事故や思いがけない不幸はやってくる。
それを突き詰めて考えれば、どこまでも落ちていく。怖くて怖くて、ついには、死にたくなることさえあるけれど、それでも、生きていくしかないのが人間。
どんな辛いことも、受け入れて乗り越えて生き続けるしかない。
そのために今できることは、心を強くしておくこと。
つらいとき支えあえる人を作って、穏やかなつながりを続けていくこと。
心配性で人付き合いを避けてきた私が、今、ここでこうしていろんな人と交流するのは、人の強さの秘密を学び、人と支え合えるつながりを作る訓練。

でも、石橋を叩いて渡らないくらいの心配性だからこそ無事に生きてこれたとも言える。
このおっちょこちょいな性格が後先考えずに生きていたら、きっと何にもないくせに仕事なんかさっさとやめちゃって、今ごろ路頭に迷っていたかもしれないし、早々に事故や事件に巻き込まれて死んでるんじゃないかと思う。
心配性だから、仕事をなくさないように、遅刻もせず、ちゃんと働いて成果を出すし、心配性だから安全運転で、危険を回避するし、嫌われないように人に優しくしようとする。それなりに貯金もするし節約もする。
今、この私がまともに生きていられるのは、心配性という性格があるからかもしれない。そう考えば、心配性も悪くない。

ふう、やっと書き切れた。
mapacheさんからバトンをいただいて引き受けたものの「書き切れなかったらどうしよう」と心配で仕方なかったんですよ。
やっぱりどうにも治らない、私の心配性。

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前走者のmapacheさんからいただいたお題は【心配性】でした。mapacheさんも私と同じように「心配性」なんだそうです。きっとmapacheさんもいろんな心配を抱えつつ、ちゃんと無事に生きておられると思います。
noteを拝読していて、とても気遣いのあるお優しい人柄だと思っています。特に好きなnoteがこちら。

育児中、優しい言葉をかけていただくことも、もちろん嬉しいことですが、家事の間、子供を見てくれるという物理的な優しさに本当に救われるんですよね。とてもいいアイデアで、さりげなく育児をサポートされていて素敵だなと思いました。mapacheさん、お声がけいただきありがとうございました。ご希望に沿えているか心配ですが……

さて、次のバトンをお渡しするのは、オンでもオフでも仲良くさせていただいているクニミユキさんです。
お題は【ハマっていること】です。
ミユキさんのnoteは全部好きですが、特に好きなものについてのnoteは、熱と愛がこもっていて、表現が豊かで大好きです。
「もっと読ませて!」と暑苦しいくらい熱いラブコールを送っておきます。

sakuさん、素敵な企画をありがとうございました!
明日からはまた読者として楽しませていただきます。


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