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変化の波を越えたら

今日、46歳になった。
「アラフィフ」になって1年。
この1年で何が変わったのか? 
老眼が恐ろしく進んだ。もはや、近視用のコンタクトレンズでは自分の爪先は見えないし、iPhoneの画面も日に日に顔から遠ざかっている。
ダイエットしたので、体型が変わった。最近急に「痩せた」と言われることが増えた。それが褒め言葉であることが多いが、時として批判として言われるようにもなった。こんなことは初めてで驚いている。

振り返ってみれば、この1年は、そんなふうに変化の年で、その変化になじむ1年だった気がする。

去年の夏に7年ぶりに買い換えた車がやっと自分の車だと感じるようになった。新車の匂いがしなくなって、カーステレオはやっと自分の好きな曲でいっぱいになった。モニターを見て車庫入れできるようになった。
20年ぶりに買い換えたリビングのエアコン。やっと家族の快適な温度設定を見つけた。
3年半ぶりに買い換えたiPhone11。使い始めたころは、「デカいな」「重たいな」と思っていたのに、今じゃすっかり慣れてしまった。老眼の目には、これくらい大画面でなくては、到底見ることができない。たまに、以前使っていたiPhoneSEを手に取ってみると、あまりの軽さと画面の小ささに驚く。まるで、生まれたての赤ちゃんを抱いたときのような衝撃。慣れってすごい。

それから、新しい生活様式。
例のウイルスのせいで、マスクをしない生活を忘れてしまいそうだ。口紅やリップクリームをもう長いことつけていない。お店に入った時、マスクを忘れると、すごく心もとない。出張を言い渡されそうになるたびに、感染リスクにびくびくする(そろそろほんとに言い渡されそう)

人間関係も変わった。
親しくしていた職場の同僚がこの春、異動して、新しい人が来た。悪い人ではなけれど、イマイチうまくコミュニケーションが取れなくて、日々もどかしさを感じている。

それからちょうど1年前、最近一番親しくしていた友人と、いろんな事情があって会うのをやめた。

彼らは、私の文章の最初の読者で、ペルソナだった。しんどいときも、彼らが近くにくれたから、メンタルを崩さなくてすんだ。
親友だと思っていた。

ここ数年は、彼らと毎月1回、一緒に夕食を食べて、帰りに甘いものを買って食べながらおしゃべりするのを楽しんでいた。その月1の集まりを本当に心待ちにしていた。ほかのどんなスケジュールより優先した。
それがある日を境に、急になくなってしまった。
「月1の会をやめよう」と言われてしばらく、怖くて連絡すらできなかった。数か月が過ぎても、これから毎日何を楽しみにして生きていけばいいのだろうと、しばらく呆然としていた

その時とタイミングを同じくしてnote酒場に参加したり、大阪オフ会や岡山オフ会があったり、クリスマスのnote企画の運営ゆる遍路や、幸せ企画呑み書き教養のエチュード賞手書きnoteを書こうなどなど、いろんなnoteの街の企画に参加させていただいた。時にはお声がけまでしてくださったり。
noteがなかったら、noteのみんながいなかったら、友達もペルソナも失った私は、とうに書くのをやめて、また昔みたいに自分の殻に閉じこもってしまっていたと思う。
本当に皆さんには感謝しかありません。ありがとうございます。

あれから、1年が過ぎて友人とは今、時々のLINEのやりとりと、たまに数分、立ち話をする程度。さみしいけど、仕方ない。
またいつか、一緒に心おきなく笑い合える日が来ることを願いながら、今の状況を受け入れていこうと思っている。
1年前はあの楽しかった日々を思い出すだけで辛かったけど、やっと最近、それをnoteに書き残しておくのもいいかもしれないと思うようになってきた。

noteの街で新たなつながりが生まれた。
同世代のnoterが集まって、街の一角ででわちゃわちゃと楽しく過ごしている。お気づきの方もいらっしゃるかもしれないが、彼女たちの書いたnoteを集めたマガジンもできた。ひっそりと目立たずやっているので、リンクは貼らずにおきますが。

私本人はこの1年で何か変わったかと聞かれたら、自信がない。
周りの激しい変化に必死になじもうとした1年だったとは思う。
しいたけ占いでも2020年のてんびん座は「めまぐるしく変化している波の中」だ言っていた。当たってる。
相変わらず心配性で、負けず嫌いで、さみしがりやな人間だ。
でも、変化を乗り越えて、今、ここにちゃんと立っている。
本質は何も変わらないけれど、それだけで、少しは自分に自信持っていいんじゃないか。
もちろんまた、びっくりするような波に飲まれて泣きそうになるかもしれないけど、noteとnoteの街のみんながいれば、きっと乗り越えられる気がしている。

1年はあっという間だった。
だけど、とても濃い1年だった。

この1年で書いたnoteの数は、165記事。2、3日に1つ何か書いてきた計算だ。ペルソナを失って、もう書けないと何度嘆いただろう。なのに、よくここまで書いたなあと思う。
書いてきたnoteを読み返してみたら、365日のうちの165日がそれぞれに色を持って輝いていた。
書き残してきたおかげで、忘れてしまいそうな小さなこともちゃんと覚えていた。

先日から、「#ハッピーになるかもしれない朝エッセイ」というのを始めた。ハッピーになるのはきっと私なんだけど、一人でも読んでくれる人がいればいいなぁと思っている。だから、できるだけ続けていきたい。
難しいことは書けないし、半径10メートルのことしか書けないけど、それでいいと思ってる。
1年間、悩み続けて見つけた結論。
新しいペルソナは、ここで今読んでくれているあなただ。

今夜は中秋の名月、十五夜だそうだ。
誕生日が十五夜になるなんて、とても珍しい。
今夜は、誕生日ケーキならぬ誕生日だんごを作って、自分の誕生日を祝うことにしよう。

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去年の誕生日に書いたnote。

おととしの誕生日に書いたnote。


ふみーさんのこの企画に参加させていただきます。(ゆるゆるでごめんね)









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