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私がサンタクロースに願うこと #ここで飲むしあわせ

「メリークリスマス、はい乾杯!」
親たちはスパークリングワイン、子供たちはジュース。
テーブルには、クリスマスケーキと家族の好きな料理。
ああ、今年もいつもと同じクリスマスだ。

「どうも、数値が良くないみたい」
仕事から帰宅すると、夫がダイニングテーブルに置かれた何枚かの用紙を眺めていた。
見ていたのは、先日受けた会社の健康診断の結果。
46歳を過ぎ、増えた検査項目の結果が良くないという。

結婚目前だった20代半ばに、尿酸値が上がりすぎて痛風の発作が出てから、何度か痛風発作と尿路結石を繰り返しながら、なんとか尿酸値を下げる薬でコントロールできるようになったと思ったら、去年は脂肪肝と診断され、私と一緒に1年間の食事制限と運動でやっと数値が良くなってきたと喜んだ矢先、また別のところが良くないと判定された。

「今度は、すい臓だって」
夫がネットで検索したところによると、すい臓は「沈黙の臓器」と言われるらしく、特にすい臓がんは、自覚症状がなく進行して、症状が現れた時にはすでに末期だったりするという。その上、がんの中でも生存率が最も低いのだそうだ。

夫の健康診断の数値は、そのすい臓がんや慢性膵炎を疑うものだった。

夫ががん……

今年は息子が大学受験で、来年は娘。
これから5年間、夫と二人で馬車馬のように働いて、子供たちを大学に通わせなければならないというとき、夫ががんで闘病、最悪亡くなるなんてことになったら、私たち家族はこれからどうすればいいのだろう。いくら生命保険に加入していても、そんなものは夫の年収の数年分にしかならない微々たるもの。
なにより、18歳で出会ってから30年近く一緒にいる夫が、目の前にいない生活なんて想像もつかない。ほんの少し想像しただけで胸の中がひやりとする。

「さすがに、がんじゃないと思うけど、ほかのすい臓の病気だったとしたら、もうお酒は飲めないかもしれないな」
お酒はすい臓に負担をかけるから、すい臓が悪いと禁酒しなければならないらしい。

この若さで夫とお酒が飲めなくなるなんてこと、考えたこともなかった。

「今日は飲みたい気分」
疲れたなあと感じる日、大きな仕事が片付いた日、嫌なことがあった日、うれしいことがあった日、退社時間が近づくと、夫にメッセージを送る。
「いいね、じゃあ、ビール買って帰ってきてよ」
という返信の日もあれば、
「僕もそう思ってたから、ビール買ってあるよ」
なんて以心伝心の日もあったり。
逆に夫から
「今日の晩御飯、日本酒に合いそうだから、飲む?」
と提案のある日があったり。
そして、週末の夜は、お酒のためのつまみを作って晩酌。

子供がいるといくら大きくなったとはいえ、外食や旅行もいつでも自由ににとはいかないものだ。まして、新たな感染症まん延するがこのご時世で、私たち夫婦が唯一自由にできるレジャーが「おいしいお酒と酒の肴を自由に楽しむこと」だったのに。

いつか子育てという人生の大きな課題をクリアして、お互いのどちらかが老いてこの世を去るまで、二人で毎日のように、美味しいお酒と酒の肴を探していこうと思っていたのに、その夢が、あっという間に消えていく。

「精密検査を受けることにした」
夫は大きな病院で予約を取って、もう少し詳しい検査を受けることになった。
そのころ、私は少し大きな仕事が終わって、いつもなら「今日は飲みたい気分」だと夫に言うところ。でも、言わなかった。
「僕はいいから、飲みたかったら飲めばいいよ」
私に気を遣って夫はそう言ってくれるが、飲みたい気持ちにはならなかった。

過去には、毎日残業して遅く帰って、一人でビールを楽しむ日もあった。だから夫がいなくても、自分の気分をよくするために飲むことだってあったのに、今は一人で飲む気持ちが湧いてこない。

夫と同じお酒を「おいしいな」と言いながら飲むことが楽しいとは知っていたけど、飲めないことがこんなにつらいとは今日まで気づかなかったな。

お酒売り場を素通りし、巷にあふれる美味しいお酒やおつまみの情報から目をそらした。
あんなに好きだったお酒が、ちっとも楽しいものに見えなくなった。
夫が飲めなくなったら、私ももう飲まないかもしれない。
しかたない、もし本当に夫がお酒が飲めなくなるのなら、お酒は私もすっぱりやめて、新しい楽しみを探そうか。

数日後、夫は精密検査を受けた。
「検査結果は12月26日に出るって」
12月26日。その日は家族でクリスマスパーティをする予定の日。
いつもの年は、スパークリングワインで乾杯するところだけれど、もしかすると今年はできないかもしれない。最悪、本当にがんが見つかって、お通夜のようなクリスマスになるかもしれない。

26日の夕方、夫は検査結果を聞きに病院に出かけた。
じっとしていると、悪いことばかり考えてしまうので、無理にでも手や体を動かす。
大丈夫、絶対大丈夫。自分に言い聞かせて、いつも通りのクリスマスパーティの準備をする。
娘とクリスマスケーキを焼き、スーパーで買い出しをする。お肉を買い、野菜を買い、お菓子を買う。最後に、一緒に飲めると願いを込めて、スパークリングワインをレジのかごに入れた。
かごいっぱいの食材を抱えて家に帰る。夫はまだ帰っていない。スマホにも連絡はない。
「どうだった?」とメッセージしたい。でもやっぱり聞きたくない。スマホを持ちあげてアプリを起動する指を、ぐっとひっこめる。
通知が来るたびに、急いでスマホを覗く。夫からではなくてほっとする。
このモヤモヤした時間をつぶそうと、日課のウォーキングに出た。

イヤホンでお気に入りのポッドキャストを聞いて、なるべく夫のことは考えないで、夕暮れの道を歩いた。いつものコースを半分過ぎたところで、スマホのメッセージの通知が鳴った。

「異常なしだった」
夫からだった。
「よかったー」と返信して、ほおっと大きなため息をついた。
数値が良くないのは事実なので、経過観察は必要みたいだが、ひとまずは問題なしだという。

一番気になっていたことを聞く。
「とりあえず今夜は飲めるの?」
「飲める」
私はその一言を待っていたのだ。

「メリークリスマス! はい、乾杯!」

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家族4人で、乾杯する。
子供たちはジュース、私たちはスパークリングワイン。

18年間続けてきたこのスタイルを、今年もまた更新することができた。

「ああ、美味しい」
少し辛口のスパークリングワインが口の中ではじけた。アルコールでふわりと体が温まる。

「僕も本当にがんだったらどうしようかと思った」
今回のことを一番心配していたのは、もちろん夫本人だっただろう。
「異常なしって言われて、一番に『お酒飲んでもいいですか?』って聞いたよ」
夫も私と同じことを考えていたらしい。

テーブルにはグラタンとステーキ、そして子供たちがデコレーションしたクリスマスケーキが並ぶ。

「これからは、ちょっと飲みすぎないようにするよ。あと、脂質も少な目にして、すい臓をいたわることにする」
多少、飲みすぎだった夫も、今回のことで少し反省した様子。
そう言うと思ってスパークリングワインはハーフボトルにしといたよ。まあ、黙っておくけどな。

「でも今夜だけはクリスマスだし、気にせず飲み食いするけど」
そう言って、夫は嬉しそうに大きなステーキ肉にかぶりついた。

私たち家族が、ここにそろって、クリスマスの夜に自由に飲んだり食べたりできる元気をください。来年も再来年もその先も。
それが私のサンタさんにお願いする唯一のクリスマスプレゼント。




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