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私の大好きな信念の人

初めて彼を見つけたのは、2008年ごろだったと記憶している。妹に勧められてみたドラマの主役だった。天使のような表の顔と復讐に駆り立てられる狂気に満ちた裏の顔を、見事に演じ分けていた。彼は当時まだ20代半ばだった。すごいと思った。こんな人がいたなんて。
最終回は、彼の演じる主人公の感情がどっと私の中にも押し寄せてきて、生まれて初めてテレビドラマを号泣しながら見た。

彼の名前は大野智。今をときめく国民的アイドル嵐のリーダーだと知ったのは、その後だった。20代のアイドルでこの演技力。
彼のすごいところはこれだけではなかった。
歌えば、透き通ったハイトーンボイス。踊れば、重さを全く感じさせないまるで宙を舞っているような、キレキレの動き。絵を描けば、一体どれほどの集中力でどれほどの時間をかけたのか、途方も無い精度で描かれた精密画。
もう、パフォーマンスをするために生まれてきたような人。

その一方で、バラエティ番組では、ぼんやりして、テレビだというのに全くしゃべらない。他のメンバーが賑やかに振る舞う姿を、ニコニコと見つめているだけ。だからバラエティ番組で、彼が映されない時間がとても長い。たまに映ると、ポケモンのレアキャラを見つけたような、見られてちょっと得した気持ちにさえなる。
でもそれだけではない魅力がある。それが言葉にできないのだ。
「嵐が好きなの? 誰のファン?」
「大野くん」
「へえー、大野くんのどこがいいの?」
よく聞かれる。
「歌もダンスも演技も絵もとてもうまくて、なのに、おっとりとした雰囲気がいいんだよね」
答えはするものの、「それだけじゃないんだよな」と物足りなさがつきまとう。でも、それがなんなのか言葉に表すことができなかった。

そんなふうなで、嵐を、大野くんを追いかけてもう10年になる。

そして、先日の嵐の活動休止の発表。

ショックだった。寂しい。でも、それだけじゃなかった。
ああ、いつか彼ならそう言うんじゃないかと思っていた。

「自由になりたい」
大野くんはそう他のメンバーに言ったそうだ。

嵐の中で一番年長だという理由でリーダーに抜擢された大野くん。
抜擢したのは、少年隊の東山紀之さんだそうだ。
でも本当に年長だという理由だけだったんだろうか。

大野くんは、信念の人だ。
ジャニーズ事務所に入ったのは、お母さんの推薦で、決して本人の意思ではなかった。でも、事務所で歌やダンスの才能を開花させ、本人もダンスにのめりこんだ。

通うはずだった高校の校門まで行って「俺の行くところじゃない」と、高校を早々に退学。京都の劇場で、歌やダンスを1日5公演をこなす生活を約2年間も続けた。途中ホームシックにかかりながらも、ダンスを極めた。

高校生で、ここまでの決断ができるだろうか。
自分の好きなダンスを極めるために、高校をやめ、親元を離れて舞台に立ち続けるなんて、そうそうできることじゃない。(うちの息子には到底ムリ)

そして、ダンスを極めた大野くんは、次の新たな境地を求めてジャニーズ事務所をやめる決意をしていた。その矢先の嵐デビューだった。

嵐を続けながらも、絵や造形の趣味を極め、個展を開いたり、作品集を出版したり。私も2度目の個展を見に行った。ギャラリーいっぱいに、背丈以上の大きな絵から、細かい細かい、ミクロの絵が無数に集まって大きな一つの絵になっている作品。あの忙しいトップアイドルという仕事で、一体こんなに多くの作品を生み出す時間とモチベーションを作っているのか。神業、もうすごいとしかいいようがなかった。

何かのインタビューで大野くんが語っていたけど、嵐の仕事はもちろん大好きで、全力でやっているけど、それ以外の創作活動もなければ、バランスが保てないと。
裏を返せば、彼にとって、創作活動や釣りとか、嵐の仕事以外の好きなことに没頭する時間がなければ、嵐のリーダーを続けて来られなかったということかもしれない。

記者会見を見て、大野くんは、一度、トップアイドル嵐のリーダーという顔と、ただ好きなものを作り出す自由な一個人という顔のバランスを入れ替えてみたかったのかなって思う。

国民的アイドルとして、飛ぶ鳥を落とす勢いの嵐。全国に200万人以上いると言われるファンクラブの会員や、事務所の人だけじゃない。テレビ番組のスタッフ、CMの会社、レコード会社の人とか、素人の私にはそれ以上は分からないけど、多分もっと計り知れないたくさんの人やモノに支えられ、期待されているに違いない。嵐をトップアイドルとして維持してくために、メンバー5人でどれほどの努力と我慢をしてきただろうか。これも一般人の私には計り知れないけど、相当なものであるとはわかる。
大野くんはそのリーダーだ。
彼が背負ってきたものはあまりにも大きい。確かに、傍目にはリーダーらしいところは、全然見当たらない。松本潤くんや、櫻井翔くんの方がリーダーらしく見えることはよくある。
大野くんのリーダーらしさは、今の社会の「リーダーらしさ」とは全然違う。

嵐15周年のNHKの特集番組で、5人が対談していた時に出たエピソード。
デビューしてしばらく、嵐はまだその名前を多くの人に知ってもらうことができずにいた。これからどうしようかと、若い彼らは悩んだそうだ。
メンバーの中には「今までと全く違うことをしてみたらどうか」と提案する人もいたそうだ。その話をじっと聞いていた大野くんが「俺は嫌だ」と一言言った。
「今、目の前にあることを頑張れないヤツが、なにを頑張れるんだ」と。
それは、悩んでいたメンバーをハッとさせたと言う。そして、彼の言葉通り、今、目の前にあることを積み重ねた結果が、今の嵐だ。大野くんの言葉は、今の嵐のあり方そのものだ。

新しいことをやったって、今、目の前にあることを頑張れないなら何をやっても成功しない。

彼のたった一言が、その後の嵐のスタンスを決めてしまうほど、彼の信念は強い。
ダンスを極めるため、高校を辞め、京都で一人奮闘してきた。嵐となっても目の前の仕事に一生懸命努力してきた大野くん(他のメンバーももちろん!)
他のメンバーは彼の今までの努力を知っているからこそ、そして、嵐としてもそうあってきた大野くんの言葉だからこそ、彼の言葉に従ったのだろうと思う。

信念の人はとうとう大きな決断をした。「自由になる」
ああ、大野くんならそういうかもしれないと心の中でちょっと思っていた。

嵐が嫌いになるとか、仕事が嫌だとかではないと確信している。
でも、元々彼は自由な人だ。
誰かに押し付けられて、それに流され続ける人ではない。
自らの意思を貫き通す信念の人だもの。自分に嘘はつきとおせない。
それがどんなにいばらの道だっても。
そして、それを一番理解しているのが、嵐のメンバーに他ならない。

「喧嘩になりませんでしたか?」
と記者会見で聞いていた人がいたが、愚問だよって思った。なるわけがない。一ファンの私でも、「なんでやめるんだよ!!」なんて思わなかったんだもん。
真の理解者であるメンバーが、そんなこというはずがない。
「ああ、もう決めたんだな。彼ならいつかそう言うと思ってた」って思っただろう。そして、その願いを叶えてあげたいとも。

だから、活動休止と聞いても「ああこの日が来たのか」と思った。
ショックなことには変わりはないけど「彼が決めたのなら、仕方ない。叶えてあげよう」と。
人にそう思わせるほどに胸の奥に強い信念を持った人、それが、大野智の真の魅力なのだ。
私はそんな大野くんが好きなのだ。

大野くん、今までたくさんの胸キュンをありがとう。
あなたに会うためにコンサートに行くようになってから、出不精でビビリの私が、日本中どこへでもいけるようになりました。
嵐があんなにがんばってるなら、私も頑張ろうって何度も思いました。
嵐のおかげで優しい気持ちを思い出したり、誰かを好きになる気持ちを思い出しました。人生に色を取り戻せたのは、大野くんのおかげ。感謝します。

あと2年で、あなたは活動をお休みしてしまう。
それまで、全力で応援します。そしてお休みしている間も、応援しています。
だからいつか、「お休みも、もう極めたな」って思ったら、また私たちの前に帰って来てください。待ってます。

サポートいただけると、明日への励みなります。