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娘に励まされた令和初日

「もう、やめようかな……」

改元のお祭りムードの日本の片隅で、そんなことを考えていた。

令和の初日、娘のピアノの発表会だった。
もちろん主役は高校生の娘であるのだけれど、私も連弾の相手方として参加することになっていた。
去年の年末に楽譜をもらった。年が明けてからずっと自分のパートを練習していた。自宅に早く帰れた日は練習。自分のピアノレッスンでも練習。娘に嫌がられながら何度も何度も合わせる練習をしたし、暗譜もした。
それなのに、本番で派手に失敗してしまったのだ。

リハーサルの時に、どうしても苦手だったフレーズを失敗した。
曲の中盤で、私のソロパートに入る直前のところ。練習でもなかなかうまく弾けなかったところだった。でも、ここ数日で克服したはずだったのに。
やばい、このままでは本番でも同じミスをする。楽譜をたどって、何度も何度も鍵盤を弾くところをイメージトレーニングした。なんとか弾けそうな気がしてきた。でもやっぱり心配は残る。

リハーサルから本番まで、2時間半ほど時間ができた。
「ねえ、一旦家に帰らない? ママ、もうちょっと練習したいんだけど」
娘にお願いしてみたが、娘の返事はノーだった。
「ママ、本番前に練習なんかしたら、余計に混乱して弾けなくなるよ」
娘に諭された。仕方なく、自宅に帰って練習するのはあきらめた。

今までこんなに練習してきたから、きっと大丈夫。楽譜も頭に入っている。
本番は間違えずに弾けるはずだ。

本番がきた。
せーので弾き始める。最初の出だしはよかった。うまく弾けていた。ミスしがちのフレーズもなんとか弾けた。リハーサルでミスったところさえうまくいけば、これ、成功するんじゃないか?!
一瞬、そんなふうに思って気が緩んだ。まずい。

次の瞬間、楽譜が頭の中から消えた。そこは、心配していたところとは全然違うフレーズだった。指が止まった。

え、この次、どう弾くんだっけ!?

やってしまった。他に気を取られていたばかりに、一瞬「このままいけばうまくいくな」なんて気が緩んだばかりに、思わぬところでボロがでてしまった。

慌てて楽譜に目をやる。「えっと、今、どこ?」
焦ると、自分が弾いているところが、楽譜のどのあたりかさえ分からなくなった。
頭が真っ白になった。
「ママ、ここ、ここ」と娘が楽譜を指差す。
指差した先の楽譜があるのに、焦るとそれが読めない。ヘ音記号のドレミが分からなくなった。えーと、えーと……
やばいマジでどうしよう!
考えれば考えるほど、指が動かない。

偶然、指が正しい鍵盤を押さえた。もしかしたら、指が楽譜を覚えていたのかもしれない。あ、弾ける。そう思って、思い切って弾くと、あとがスラスラと出てきた。
あとは、もう無我夢中で弾いた。考えるな。止まるな。最後までとにかく進めだ。

弾き終わって、すごすごと退場した。
演奏を止めてしまったというショックから立ち直れない。
帰り際、娘に「ごめんよ」と謝った。娘は「別に気にしてないよ」と言ってくれた。

それにしても、悔しい。というか、自分に腹が立ってたまらなかった。

去年の年末の自分の発表会でも同じミスをした。
全く想像していなかったところで、指が止まった。弾けなくなった。
あの轍は踏むまいと、相当練習してきたつもりだったけど、まだまだ練習が足りなかったのだろうか。去年の失敗がトラウマになって、まだ引きずっていたのだろうか。

他の演奏者の方は、いとも簡単にもっと難しい曲を難なく弾いていた。
私よりずっとたくさん練習しているのだろうか。
そもそも、私にはピアノのセンスが全くないのかもしれない。もう10年以上やっているのに、この体たらくだ。この先もっとうまくなる日なんか来ないんじゃないだろうか。
毎日のように練習して、毎週レッスンに通うけど、時間とお金をかける意味ないんじゃないだろうか。

「もう、ピアノやめようかな」
夕食の時、娘と夫にそうぼやいた。
すると、2人に一笑された。
「あんなこと大したことないじゃん。なに深刻に受け止めてるの!」
いやいや、私にとっては、相当のダメージだったのだけれど。
でも、2人にはなんてことなかったらしい。

「ママが失敗してさ、場がなごんでたの、気づかなかった?」
娘が言う。
「ママのソロパートで、私が拍手で拍子を取るところ、観客の人も合わせて手を叩いてくれてて、なんか雰囲気があったかかったんだよ」
夫も「そうそう!」と言う。

え? そうなの?
必死で弾いていたので全く手拍子の音など気づかなかった。

「だから言ったじゃん。本番前に練習しすぎたらダメなんだって。それに、本番は緊張するから、普段の練習のようには弾けないよ」

娘の言う通りだ。頭ではわかっていたけど、娘に言われてはじめて痛感する。
さすが、発表会に20回近く参加しているピアノ発表会の達人の言葉は重い。
「私なんか、コンクールでもとちったんだよ。わけわかんなくなってさー」
なんて、さらに先輩風をふかす娘。

彼女の意見は正しい。本番は練習のようにはいかない。
「一発勝負だ」と思うし、観客のいる空気にはどうしたって緊張する。
だから、本当はもっと練習して、ダメを詰めておかなければいけなかったのかもしれない。でも、どんなに練習したって、失敗するときはする。どうにか立て直して、最後まで到達するかしかない。あとは、娘のように場数を踏むしかないのかも。

「だから、気にすることないって」
娘と夫に励まされているうちに、悔しさも自分に対する怒りもだんだんと収まってきた。
娘は、本当ならもっと私に怒っていいはずだ。
せっかくの晴れ舞台をぶち壊されたのだから。私ならきっと怒る。
でも、娘は怒るどころか逆に私を励ましてくれた。
娘よ、こんな下手くその母を、笑い飛ばしてくれてありがとうよ!

「ああ、次は何を弾こうかなあ」
とネットで楽譜を検索する娘の横で、「私も次は何を弾こう」と考えている自分がいる。
この歳で2度も続けて赤っ恥を晒してるのに、懲りずにまたやろうとしている自分は、相当ドMなのか、ただの阿呆なのか。

我が家の令和時代は、こんなふうにして始まった。

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