念願の正倉院展
「正倉院」を知ったのは、小学校6年生の社会の時間だった。
今から千年以上も昔の奈良時代に建てられた建物で、奈良の大仏で有名な東大寺のどこかにあって、そこには、大陸から渡ってきた宝物が大切に保存されている倉庫。そう習った。
正倉院は、「校倉造り」だ。
校倉造りとは、材木を三角形に削りログハウスみたいに組み合わせた建築方式のこと。組み合わせたが材木が季節によって膨張したり縮んだりして、温度や湿度を調節する機能を果たしていると習った。
寺や神社のような金銀の金具も飾り付けもない。質実剛健。
せっかく宝物を保管する倉庫ならもっときらびやかにアピールしてもよさそうだけど、材木の素材そのままのムダのないシンプルな造り。
だからこそ、為政者に破壊されることもなく、朽ちることもなく、千年を超えて宝物を守り続けてこられたのだと思う。
しかし、いくら校倉造りとはいえ、エアコンも除湿機も加湿器もない時代から、どうやって現代まで宝物を保存し続けてこられたのか。盗まれることも、奪われることも、焼失することもなく、なぜ守り続けてこられたのか。
何より、千年前の宝物とは一体どれほどの美しさなのか。
奈良国立博物館で「正倉院展」が開催されていることを知ったのは、社会人になってからだと思う。
憧れていた正倉院の宝物をこの目で見られるチャンス。
行ってみたい気持ちはありながら、子育てや仕事に追われ、毎年「正倉院展が開催されました」というニュースを見る度、「ああ、また逃した!」と悔しさをにじませ「来年こそ!」と誓うの繰り返し。
数年前からちょくちょく奈良に旅行するようになり、また澤田瞳子さんの奈良時代の天然痘をテーマにした小説「火定」を読んで、ますます奈良時代に興味が湧き、行こう行こうと思いつつコロナ禍になり、そんなこんなで「正倉院」を知ってから40年近く過ぎていた。
今年の9月、ふと「正倉院展、そろそろでは?」と頭に浮かんだ。感染症の混乱も落ち着き、人の移動が自由になったからだと思う。
インターネットで調べてみると、申込みは10月上旬からだった。今年やついに間に合った。
申込みの初日にチケットを予約、購入した。いとも簡単に40年来欲しかった権利を手にしたので、少々拍子抜けした。
同時に高速バスのチケットも取って、準備万端。あとは晴れてくれたら最高だ。
そして迎えた正倉院展当日。
文化の日で3連休の初日。そして、快晴。気温25度、暑すぎる。最高。
高速バスは満席で、電車も満員。近鉄奈良駅から奈良公園に向かう歩道は、人でごった返していた。
到着したのはちょうどお昼どきで、駅前の飲食店はどこも長蛇の列をなしている。正倉院展の入場時間は14時。せっかく来たのだから、それまでに近くを散策する時間がほしい。どうしようかと迷いながら、近鉄奈良駅から奈良公園までのなだらかな坂道を歩きかけたところで、「柿の葉寿司 平宗」の売店を見つけた。
奈良と言えば柿の葉寿司。3個入りの折り詰めを購入。エコバッグを提げて奈良公園を目指す。途中、近づいてくる鹿を愛でながら、歩くこと15分。
奈良国立博物館の裏手に着いた。
鹿のフンを踏まないように下を向いて歩く。
空いていたベンチに腰掛け、ほっと顔を上げた。秋空に、明治時代の名建築なら仏像館が映える。
柿の葉寿司は、酸味控えめで塩気が強め。おいしかった。
あっという間に食べ終えて、奈良国立博物館の表側に向かうと、いくつものテントが並び、中では奈良の食材で作られた弁当や、伝統料理の田楽や焼き餅、お土産物が販売されているではないか。なんだここにくればよかったのかと少々がっかりもしたが、奈良公園の真ん中でピクニックもよかったではないかと気を取り直す。手荷物預かりの仮設のコインロッカーも整備されており、万端の体制。
荷物を預け、奈良公園をぶらぶらする。アイスクリームのキッチンカーも長蛇の列。気温25度。日差しも強い。本当に11月かという天気。
朝着てきたUNIQLOのウルトラダウンを脱ぎ、カーディガンを脱ぎ、白いシャツ1枚になる。見渡すと半袖の人も多い。アイスクリーム日和には違いない。
キッチンカーを横目に、空いている売店で老年のご夫婦からソフトクリームを買う。
ひんやり冷たいソフトクリームが暑さを和らげてくれる。
正倉院展のチケットを持っていると、併設された、なら仏像館にも入館できる。たくさんの仏像が展示されているので、時代の変遷による仏像の変化を見比べたり、同じ時代でも造りや保存状態の違いを見たりできて面白い。
そしてハイライトは、金峯山寺の金剛力士像。
そしてついに、入館時間の14時。
列に並ぶ。コロナ禍以降、チケットは前売りのみで入場制限しているそうだ。おかげで14時に入場する人も驚くほどは多くない。逆に、入場料は上がったらしいが、混雑したところで人垣を押しのける必要もないし、チケット売り場で並ぶ苦労もなく、結果として利用者にもありがたい仕組みができたと思う。
音声ガイドを借りて、いざ2階の展示室へ。
そこには、古代の世界が広がっていた
私が今回どうしても見たいと思っていたものが2つあった。
1つは、琵琶。
正倉院には楽器の琵琶がいくつか保存されている。歴史の教科書で見たあれだ。そのうちの1つが今回も展示されていた。
「楓蘇芳染螺鈿槽琵琶(螺鈿飾りの四弦琵琶)」
当然、千年の年月を経て、琵琶の表面の絵柄などは薄れて、展示ガラスの外からは完全に読みとることはできないが、赤い服を着て舞い踊る中国風の人の姿がはっきりと見えた。蘇芳の赤もしっかりと残っている。
何より美しいのは背面、花や蝶、鳥、雲などの文様が螺鈿細工で絵が描かれている。螺鈿細工とは貝などを切り取って漆の上に貼り付けた細工のこと。貝の虹色に光が、時を経ても褪せることなく美しい輝きを放っていた。
もう一つは、「平螺鈿背円鏡(螺鈿飾りの鏡)」
古代の鏡について初めて学校で学んだのは、古墳時代の青銅製の「三角縁神獣鏡」だったと思う。青く錆びた丸いお盆のようなものに、びっしりと精巧で緻密な文様があしらわれていて、「これの一体どこか鏡? 顔が映らないやんか」と不思議に思った。あとで先生に聞いたら、派手な文様は鏡の裏で、表をピカピカに磨いて、映していたのだそうだ。
昔の技術で、金属を顔がはっきり映るまで磨くって、相当大変だったんじゃないかと想像できる。それに、日本でも西洋でも、鏡ってどこか神秘的な得体の知れない怖さがある。科学が発達していなかった古代ではなぜ鏡にものが映るかも分からなかったわけだし、現代人よりもっと魔術的な畏怖を感じていたんじゃないかと思う。そういう意味でも鏡は特権階級のものだったんだろうなと、古墳から出土したものや、こういう宝物を見かけるたびに考えていた。
話がそれた。
さて、正倉院の鏡、本当に美しかった。
そして思ったより大きかった。直径約40cm。Lサイズピザより大きい。
その鏡の背面一面に、螺鈿細工が施されている。
小さな一輪の赤い花を中心に波紋のように、何層もの赤い花の円を描きながら広がっている。赤い花には琥珀を使っている。深い赤色に吸い込まれそうだ。葉は光る貝(ヤコウガイ)で表現されていて、光の加減で七色に輝いている。
文様の隙間には、トルコ石を削ってちりばめられている。どこからどこを見ても、宝石たちがあらゆる方向から光を放っていた。ため息も出ない。息を止めてしまうくらい圧倒的な美しさだった。
青銅器は数千年前の人が生み出したもの。その青銅器でできた鏡の表の部分は錆びて、もう人を映すことはできない。
かたや、装飾された裏の装飾部分は、地球が生み出した天然のもの。
地球の力を閉じ込めた装飾はは、今もなお、輝き続けている。
所詮、何億年もかけて地球が生み出したのものに、人間の生み出したものなど、かなうはずがないのかもしれない。
正直に言うと、今は写真技術も印刷技術も映像技術ものすごくいいので、写真や映像で見るのと、実物との差はほとんどない。
違うのは、実物には、宝物の美しさや輝きを、永遠に守りたいと力を尽くしてきた幾千の人々の思いが、宝物の1つ1つにじわりとにじみ出ていると感じることだ。
わざわざ高い交通費と時間を使ってでも、千年前に宝物を作った人や、千年を大事に大事に守りつないできた人々のエネルギーを直に見たかったのだ。
現代になって、いろんな技術が発明されて、便利な世の中になったけど、今後千年残るものなど、今の世の中にあるだろうか。
建築物は、建てたそのときがピークで、日々朽ちていくばかり。文章も映像も、二十年もすればもう古いと感じる。果たして、千年残るものなど生まれるだろうか。
奈良国立博物館を出ると、なら仏像館が見えた。明治に建てられた西洋建築。国の重要文化財に指定されている。
そして振り返ると東の向こうには東大寺。そして正倉院。
奈良の街には千年続く文化財が溢れている。
こうして今日、正倉院展を見られたのも、文化財を今日も明日も大事に守っている人がいるからだ。
そんな現代の守り人に感謝し、自分も何か千年後の誰かに貢献できることはないのかなどど考えながら、正倉院展を後にした。
(展示物についての参考文献:第七十五回「正倉院展」目録)
*国立博物館に寄付する制度がありました。微力ながら寄付させていただきました。
この記事が参加している募集
サポートいただけると、明日への励みなります。