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失恋(同棲解消)がしんどいので、しんどい理由を分析してみた。

 
失恋した。同棲解消である。
 


7月7日の七夕は付き合い始めた記念日だった。あれから3回目の七夕に僕は、引っ越しのトラックを手配する電話をしている。
 
 

傷心のままTwitterを見ていたら、流れてきたある投稿。
 


https://twitter.com/lefort_dt/status/1276504889313509376?s=19


 

ああ、分かりみが深い。深すぎる。
 

 
ああなるほどそうなのか、だからこんなに心がサイバイマン後のヤムチャみたいになるのか。

 
ただこのツイートを見て、ひとつ思ったことがある。
 


このツイートは「自分」の話である。
 


これ、別れた相手のことは全く言及していない。
 


恋愛は相手がいるものだが、相手の心情はこのツイートにはあまり関係しない。
 

 
どこまでも、「失って傷ついた自分と向き合わざるを得ないのが辛い」という内容だ。
 


まさしく今の自分がこうなのだ。僕は自分にしかベクトルが向いていないのだ。
 


結局自分の不足、満たされなさ、そういうものばかりに支配されている。
 


だから自分で自分を満たす努力をしない限り、もしも仮になにかの間違いで新恋人ができたとしても、僕は自分の不足の埋め合わせを求めると思う。振られたらまた、足りない自分に嘆くことの繰り返しだ。
 

 
幸い僕はモテないので、歴代恋人に性病のように不幸を伝染させるメンヘラにはならずに済んでいるが、仮にモテてしまっていたら恐ろしい。場合によってはなんかの間違いでデキた子どもも不幸になっただろう。
 


だから、僕は新しい恋人を探す前に、自分で自分の世話ができるようになると決めた。
 



 


元彼女との馴れ初めはこうだ。
 
 

その子は今から2年くらい前に、僕の職場に中途入社で入ってきた。
 


音楽などの共通の趣味があり、また生まれ年も生まれた月も同じ6月ということで、わりとすぐに仲良くなった。
 
 

ごはんも行くなどし、案外手応えも良好だった。6月に入り、お互いの誕生日も近いしここらで勝負をかけようと思い、1年前に偶然手にした強力なカード「鎌倉のほたるまつり」を使おうとした。
 
 

鎌倉・鶴岡八幡宮で、毎年梅雨の時期に1000匹のホタル(養殖)が飛ぶ。これが「ほたるまつり」だ。僕は以前、夜勤明けにひとりでぶらっと来た鎌倉で、偶然この祭りに出会っていた。詳細は以下の記事を参照。

 


 

さて、恋愛において使えるカードをたいして持っていない僕の、なけなしの切り札発動である。分かる方はここで遊戯王のBGMを流してほしい。
 

1000匹のホタルはさすがに彼女も見たことがなかったようだった。
 

そのあと、夜の湘南海岸で、海を見ながら2人で話した。のちに彼女によくバカにされた、当時の僕の口説き文句はこうだ。
 
 

「夜の海って、夜の空とつながるんだよ。水平線が暗くて見えないでしょ?
 

逆に、海岸線に沿って、空が二つに分かれるんだ。海の上の空は真っ暗で、陸の上の空は、街の光で明るいからね。」
 
 

だから何だ、という話である。
  

 

(お世話になった鎌倉のあじさい) 
 

 

 
 

その後僕たちは無事お付き合いすることになった。
 
 

よくもあんな意味不明のポエムで口説けたものである。
 
 

6月半ばから七夕まで少し時間が空いたのは、元彼女が当時付き合っていた元カレ(実はあっちには彼氏がいたのだ笑。浮気されたとかで仲は最悪だったらしいが。)と正式にお別れの手続きを踏んだからだ。
 
 

晴れてキレイな状態でのお付き合いが始まった。彼女は看護師で、ウチを離れて別の職場で働き始めたが、場所は遠くなかった。もともと互いの家も近く、生活圏が同じ僕らは、ほどなくして同棲を始めた。
 
 

同棲を続けるにつれ、互いに結婚を意識するようになった。
 
 

付き合って1年が経つころ、また鎌倉に来た。2回目のホタルも一緒に見た。
 
 

僕はそれまで、まともな恋愛をしたことがなかった。誰かと付き合っても、すぐに別れてしまう。それはチャラかったとかではなく真逆で、人と付き合う能力が低すぎたからだと思う。相手が何を求めているかを読み取る、このことが絶望的に不得手だった。
 
 

思えば彼女は、そういう不器用以前にあまりコミュニケーションができない僕に、だいぶ合わせてくれていたと思う。生活スタイルとか趣味などで、僕が彼女に合わせたこともあったが、日々の細かいコミュニケーションの面では、めちゃくちゃ合わせてくれたんだと思う。
 
 

それは僕にとっては経験したことのない心地よさだった。「ありのままを認めてくれた」とも感じた。
 
 

もしかしたらその心地よさに甘えて、僕は彼女の望む人間になる努力を怠ったかもしれない。
 
 

いや、僕も何もしなかったわけではなく、仕事も色々がんばったり、キャリアを見直して転職活動を始めたりしたが、もともとうまいことコミュニケーションができていなかったので、がんばる方向性も微妙に的外れだったりした。
 
 

日々の細かい気づかいも次第にできなくなったり、こっちが気づかいのつもりしたことでも相手はそれを求めていない、みたいなことが増えていった。
 



 

今年、別れを切り出された。
 
 

同棲も解消することになった。
 
 

ひとりの人と向き合って、一緒に生きていこうとしたけれど、結局力不足すぎて、それを補おうとして無理してガタがきた。
 
 

今年はコロナ禍で、鎌倉のほたるまつりは中止だそうだ。
 
 

もしホタルが飛んでいても、見に来ることはなかったと思うので、ちょうどよかったのかもしれない。

 

(お世話になった鎌倉のあじさいその2)
 



 

失恋以降僕がどういう精神状態にあるのか、冒頭のツイートは気づかせてくれた。
 
 

このツイートの主が心が弱いとか言うつもりは一切なく、むしろ、自分がどうなっているか気づかせてくれてありがとう、と言いたいのだ。本当に感謝である。僕と同じような心の弱い人々に気づきを与えてくれる救いのような文章である。
 
 

人は自分が満たされていないと人に優しくできない、というのはよく聞く。本当にそうだと思う。
 
 

自分のコップをまず満たして、そこから溢れた分からしか、他人を思いやることができない。というのが人間なのだそうだ。
 
 

自己犠牲の優しさもできなくはないが、続かない。結局自分にガタが来る。そうなると結果的に、思いやりたい、大切にしたいと思っていた相手も傷つける。
 
 

だから、僕は今は恋人を探すより、まず自分のコップを満たす努力をする。仕事もがんばるし、今より稼ぐ力もつけるし、こうやって文章を書いて、その時々の自分がなにを思っているか、把握することをやめない。
 
 

ホタルがまた飛ぶころには、今より前を向いて生きていたいと思う。
 
 














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