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映画「スリー・ビルボード」 トランプ・アメリカの「分断」と「和解」

3年くらい前に飛行機でみた映画の感想。

「スリー・ビルボード」

結構重たかったが、とてもいい映画。夜行便で眠りにつくまでみようと観始めたが、おもしろくなって止められず全部見てしまった。

アメリカの田舎町の話。何者かによって酷い殺され方で娘を失ったシングルマザーの母親が、遅々として進まない警察の捜査に怒り、保安官を非難する看板を立てるという話。いつ企画して作られた映画かわからないが(トランプ政権誕生前に企画で誕生の年に製作?)、明らかにトランプ・アメリカの「分断」と「和解」がテーマ。

癌で余命いくばくかの保安官、良心的だけど結果がだせていない、というのは、オバマ前大統領というか彼が顕すポリティカル・コレクトネスの象徴であるのはべたに明らか。

トランプ的なのは、暴力的で女性蔑視で体制側の下っ端警察官だなと最初思った。

映画がすすむにつれて、あれ、それは違うなと気づく。

娘を殺されて抗議する主人公の母親のおばはんが、だんだん頑固に無茶苦茶なことをやりだすにつれて、おばはんがトランプに重なってきた。女優は意識して演技したのか、顔つきもトランプっぽい。おばはんがトランプの象徴かもしれないなと思いはじめる。

自分にも落ち度がある負い目を感じながらも、娘が殺されてしまって犯人がみつからない理不尽に対して憤慨して、命がけでひんしゅくを買ってでも、回りの人を暴力的に不幸にさせてでも、その自分に降り掛かった理不尽な仕打ちの落とし前を求めるおばさん。語弊があるかもしれないが、グローバリズムに乗り損ねて生活が悪化して取り残されたと感じて怒っているトランプ支持層に、かなり重なるイメージ。

この映画が優れた映画である所以は、優れた芸術作品がみんなそうであるように、現代社会の非常に大事な問題を浮彫にさせてみせてくれて(それはかなり不快なのだが)、最後には「救い(salvation)」のヒントを用意してくれていること。

もちろん問題になっている「分断」は、お互い手を取り合ったり歌をうたったりデモ行進しても簡単に治るような生易しいものでなくて、お互いに建物に火をつけて燃やしたり、殴り合ったりして、さらに対立したりしながら、ほんの少しづつ「和解」へと向かう。

エンディングは、こちらの想像をはるかに越えて、いちばん嫌な奴で端役だったと思っていた男が急におばはんを助けることになり、おばはんと悪い奴を征伐にいく。その道中でのおばはんの案外醒めてぶっきらぼうな態度に、なんだか癒された。敢えて解釈すれば、悪いやつを征伐しないといけないんだが、娘の弔い合戦はこれまでで結構すんでしまったかもと。やるだけやって納得できてきたよと。

アメリカは6年お世話になったが、いろいろ暴力的な国だし、あからさまな差別も多くて、嫌な記憶もたくさんある。でも、やっぱりアメリカが自分が住んだなかで一番好きな国だとおもっているのは、おそらく、こんなひどい状況でも、どこか田舎の高校の先生が生徒にこの映画をみせて、侃々諤々の議論をさせてるに違いないと思えること。たぶんやっているでしょう。結論はないんだが、それぞれいいたいことをいっているはず。そしてそれで和解するわけでもなくて対立は残るんだが、少なくとも、やりあって話をかわしている。この映画も、結論はでないんだが、「和解」への方向性が垣間見れたような。

先週のトランプ・バイデン、今週のペンス・ハリスの討論も仕事をしながら聞いたが、なんだかこの映画を思い出した。

支持層の怒りを代弁するかのようにペンス副大統領が相手を遮って喋り続けるのに対して、カマラ・ハリスが静かに諭すように相手をみていたのが印象的だった。「あなた方の怒りは理解しようとしています」というような。そんな演出だったのかもしれない。あの一瞬はよかった。人によってはあれを呆れて上から目線と捉えたかもしれないが。

グローバリゼーションと格差拡大で取り残された中間層、生活が悪化してきたこれまでの数十年。親の代には大学進学とかしていたが、いまや学費が高騰で進学を断念、奨学金もらえてもその後に返せない。伝統的なキリスト教社会だった牧歌的な田舎町まで、工場が閉鎖されて失業率は上がり、麻薬がはいりこみ、彼らからしたらショッキングなリベラルな価値観が広がってきている。あの良きアメリカの時代はどこにいったんだ。そんな事態に対する怒り。

Netflixで観れるアメリカのヒットTVシリーズにも、いたって普通の中間層の善良な白人アメリカ人が、家族や生活を守るため、犯罪に関わり、それがエスカレートして、生き残りのために自らプロの犯罪者たちと戦っていくというドラマを何本か観た。"Breaking Bad"のアルバカーキの高校教師とか、"Ozark"のシカゴの資産アドバイザーとか。躊躇しながらも家族を守るため麻薬カルテルのボスを撃ち殺したり、邪魔をする敵を始末したり。まったくのワルになる話ではなくて、こころの奥には善良な気持ちを残しながら、生き残りのためにタフなワルとなっていく。こういうドラマがヒットした背景には、怒れるトランプ支持層がいるんじゃないかと、かってに想像。

脱線して長くなったが、教育論としては、こうした社会の分断からの和解に少しでもつながるような教育っていうのは、若者に問題を提起して侃々諤々議論をさせることじゃないかと思ったという話。

問題提起はこういう優れた芸術作品でもいいし、ドキュメンタリーでもいいし、大統領選討論会でもいいし。それで相手への配慮を喚起しながら自由に議論させればいい。

知識を詰め込んで同質な中で受験競争させるだけな教育では、悲しいかな、これからの多様な社会で出てくる様々な問題の解決の武器としてはまったく役にたたないと思う。日本はだめだなあ。アメリカの混乱を笑うことなかれ。こんな映画が作られてロードショーされていたことだけでも凄いことだなと思う。

(追記および訂正)これを書いてから、知り合いからのFeedbackもあり再考したこと1点。主人公のおばはんはトランプ政権の比喩ではなくて、トランプ支持層の比喩で、トランプ政権自体の比喩は最後におばはんを助けることになる元ゲス野郎か。元ゲス野郎がおばはんを助けて敵討ちへと車を走らせるあたりで、おばはんはちょっと醒めてきている。映画製作から4年後くらいを見通しているようで奥が深い。


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