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バックパッカー隠し技(1)

20代の貧乏世界旅行で身につけた技のいくつか。ギア(アーミーナイフ)、中が財布になっていた皮ベルト、安宿シャワー術、など。

主に中南米とかアジアを長期旅行したときに身につけた、もしかしたら役に立つかもしれないサバイバル術のご紹介。けっこうあるのでその第1弾。その後の人生で、旅行以外にも役立ったものもあった。

1.スプーン付きスイス・アーミー・ナイフ

中南米に3ヶ月旅にでる前に、神保町のアウトドアグッズショップで手に入れた「万能アーミー・ナイフ」はタイトル写真(↑)のようなやつだった。

ポイントは、スプーンとフォークが付いていて、左右に2つに分かれると取っ手がアーミーナイフのプラスチックのとても使いやすいスプーンとフォークになったこと。

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マーケットで珍しい果物とか格安で手に入れると、ナイフを使って皮をむいたり、このフォークで刺して食べたりした。中米のグアテマラのマーケットだったかでは、驚くほどの種類のアボガドがあって笑ってしまうほど安かったので(1個10円とか)、いろんな種類を買って食べた。よくあるナス型のだけでなく、まんまるのやつとか、外皮もごわごわだけでなくて、つるつるのがあったり。

それらをナイフで2つに割って、大きな真ん中の種を出して、スプーンですくって主食として食べた。安ホテルの自室や、共有ロビーや、バスの休憩の場所で腰をおろしてとか。醤油とか持っていたら垂らして食べたらさぞかしおいしかっただろうが、なにもつけなくても、こってりとバターのような重厚さがある実はけっこういけた。種類によって味も微妙に違っていたのだろうが、あまり記憶に残っていない。ぜんぶ美味かった。

当時、80年代はハイジャック対策もいいかげんで、たしかこのアーミーナイフはキャリーオンの小さなデイパックにいれて飛行機も乗っていた。牧歌的な時代。ナイフについていた、ワインボトルのコルク開けや栓抜きや缶切りも重宝した。

そういえば、昨日、シンガポールのボートキーという場所で知り合い数人とビールを飲んだのだが、ビール瓶が5本くらい桶にはいったのが来て栓抜きがなかったのでウェイターに頼もうとしたら、隣に座った初めて会った知人の友達のイタリア人のおやじが、ひょひょっとポケットからなにやら小さなキーホルダーのようなものをだしたらそれが栓抜きで、ごく自然に栓を開けていた。栓抜きを携帯しているのか!と驚いたが、ちょっとかっこいいなと思い、そういうキーホルダーを探そうかと思った。

2.中が財布になっていた皮ベルト

こんなような(↓)外見はごく普通の皮のベルト。中がジッパーで、米ドル札を細長く折りたたむと、10枚近く収納できた。当時は学生だったので、クレジットカードもなく、スマホもなく、1人で旅行するときは現金が命。トラベラーズ・チェック(古い!)という手もあったが、やはり当時年間3000%とかのハイパー・インフレだった南米では米ドルが強かった。それで、100ドル札とかをこのベルトにいれていた。

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幸い、身ぐるみ剥がれることはなかったのだが(ほんとに衣類も全部脱げといわれたらベルトも危ういが)、腰にまいたベルトに1000ドルとか入っていると思うだけで、いざとなったらどうにかなると安心感があった。まあ、いまはITでいろんなPayment系のサバイバル術があるから、現金神話はだんだん薄れてきているとは思いますが。

3.安宿シャワー術

最初に行った、南半球の南米のペルーやボリビアの7月とかは冬から春にかけた時期で、高地の夜はけっこう冷えた。1泊1000円くらいのバックパッカー安宿だと、ロッカールームのシャワーみたいのが順番待ちで、また、よく温水が冷水になったりした。

何ヶ月も旅行していると衣類の洗濯の問題もあり、それで編み出したのがこのシャワー術。

まず、順番が来たら、寒くても上はTシャツ、下はトランクスになって、シャンプー・石鹸とバスタオルと着替えを持ってシャワーに行く。

服を着たままシャワーにはいる(ここ大事)。そのままシャワーを頭に浴びてシャンプーする。このとき、泡だった温水が着ているTシャツにどんどんかかっていい、というか、かかるようにする。シャンプーが終わったら、石鹸を着ているTシャツの上からゴシゴシつけてシャツを洗うような動きをする。

そしてその石鹸まみれのシャツを脱いで、体に残った石けん分で体もゴシゴシして、同時にTシャツをシャワーですすいで石けん分をかるく落とす。

次に、トランクスを脱ぐと、まず、石鹸でそれをよくもみながら洗って、ゆすぐ。下半身も石鹸で洗う。

最後に、体の石けん分をシャワーで流してから、シャワーを弱めにするか止めて、さきほどのシャツで体の水分を取る。もう一度シャワーを体にかからないように強めて、シャツを水洗いする。それで、バスタオルで体を拭いて、着替え(別のTシャツとトランクス)に着替えて、おしまい。

この技の利点として、気温が寒いところでシャワーが若干ぬるくてもシャツを着てれば最初耐えられること。難点は、やはり洗濯度合いが中途半端なのでこれが続くとなんとも嫌な感じになってくるので、ときどきちゃんとしたシャワーが付いた個室のホテルに泊まってしっかりと洗っていたこと。

この技って、キャンプのアウトドアとか、予期せぬ災害時のサバイバルとしても使えるのではないだろうか、なんて思う。寒いところで、温水が限られたなかで、ささっとシャワーと最小限の洗濯をこなす。まあ、そんな必要がないほうがよいが。

バックパッカーというのは、本来、アウトドア旅行の基本だったのだろうけれど、欧米で何ヶ月も1年もする長期貧乏世界旅行のカテゴリーとしてしっかりと根づいてきたようだ。スペイン語でも、backpacker そのものの "mochilleros" (ズタ袋担ぎ)と当時南米で言われた。

日本語はもう死語になっていると思うが、昔、戦前生まれの父親が北海道出張から帰ってきて、夏の北海道あたりに貧乏旅行している若者を指して「カニ族」がいっぱいいたよと言っていたのを思い出す。グーグルしたら以下がでてきたが、「カニ族」も言いえて妙である。ちょっと語感は悪いが。


1960年代後半に長期旅行や本格的登山に適する、大量に荷物の入る大きなリュックサックは横長のものしかなかった。これは幅が80cm程度あり、背負ったままでは列車の通路や出入り口は前向きに歩くことができず、カニのような横歩きを強いられたこと、またリュックサックを背負った後ろ姿がカニを思わせることから、この名が自然発生し1967年8月7日付けの朝日新聞で「カニ族」と紹介され、以後その呼称が定着した。
 登山者を除いたカニ族の主体は、余暇の多い学生等の若者であった。1970年代以前の日本では、自分の自動車やオートバイを持つ若者は少なく、長距離・長期間の国内旅行には鉄道が利用された。
 「暇はあるが金はない」若者たちは、費用を切り詰めながら、「カニ族」スタイルで多くの荷物を背負って普通列車や急行列車で長旅を行い、独特の「貧乏旅行」文化を構築していった。特に彼らの間では北海道の人気が高く、夏の北海道内ではジーンズにリュックサックという「カニ族」たちの姿が随所に見られ一大ブームとなった。また彼らは国鉄の周遊券の利便性を生かし、目的地や行程を柔軟に変更する気ままな旅行スタイルを好んだ。

https://4travel.jp/travelogue/11248865



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