見出し画像

子供が産まれた時のテーマ曲

昔、息子が産まれた日、新生児室の窓越しに、その白い布にくるまれた繭のような小さい存在を見て、しみじみして、それで頭の中に流れてきたのがこのサド・ジョーンズの "A Child is born" 。

珍しい3拍子のジャズのバラードで、静かに、子供が産まれた感動を、しっくりと謳い上げる。

と、これぞ子供が産まれたときのテーマ曲だとおもっていたら、後に大きく反論される。

あるジャズ・ピアノを弾く、Aさんというアメリカ人との間に2児をもうけたNY在住の日本人女性にそんなことをいったら、「それは、父親の発想!出産をあまくみてもらっては困る。陣痛を越えて、血みどろの死闘の末の出産。こんなワルツのバラードであるはずない!」と一刀両断にされた。

さらに、あるときGoogleしていたら、この曲がクリスマス・ソングだと書いてある。そうか、たしかに、Childが大文字で、どんな子供でもよくなくて、Child、つまりイエス・キリストさんの誕生を称えた唄なのか?まあ、曲もしっとり、雪がしんしん降り積もる夜のワルツで、クリスマス的ではあるが。なぜ、a Child で the Child でないのか、など、謎。


それで、思い出したのが、80年代によく聞いていた、サルサのルベン・ブラデスの、「ラミロ生誕」El Nacimeiento de Ramiro という曲。これは間違いない、150%父親目線だが、おやじが息子の誕生で舞い上がって唄うやつ。

“La Maestra Vida”、「人生という先生」というアルバムにはいっている。アルバム自体がひとつのラテン系のファミリーの人生を物語的にたどっていく構成になっていて、このYouTubeのは、さらに後年それをミュージカル風に舞台化したものか。

「ラ・ビーダ」という、オスカル・ルイスという学者が書いた文化人類学の名作があって、学生時代に読んだが、プエルトリコのラテン系ファミリーに密着取材した文化人類学者が書いた論文というかノン・フィクションなルポみたいのがあって、それみたいに、このアルバムも貧困のなかでもたくましく生きるラテン系の生活が描かれていた。

唄は、Nació mí niño mí niño nuestro niño quien lo creyera? 息子が産まれた、俺の子、俺らの子、信じられるかい、で始まる。

Que después de haber andado tanta esquina
Correteado tanta hembra y enredao' en mil problemas
Iba yo a salir papá! いろんなとこを放浪して、いろんな女と浮名を流して、何千ものしくじりをしてきた俺、それがオヤジになるなんて

ラップのように、多くの言葉をつないで、オヤジの感激の独白が続く。

それで、コーラスがはいってきて、Nació mí niño, abran los balcones beban rones, Rompan lo quieran que lo pago yo!!! 息子が産まれたぞ、みんな、バルコニーを開けて、ラム酒がんがんいってくれ、俺が払うから、なんでも好きなもの飲んでくれ、と盛り上げる。

このYouTubeでは、豪華にトロンボーンが3管、バックで伸びやかに盛り上げる。独白の後ろに、ソプラノ・サックスのNYっぽいソロもはいる。

それで一番好きなのは、最後に締めの句のようにさらっと言うこれ:Trataré de darle todo, lo que nunca tuve yo これは英語で書くと、I will try to give him everything that I have never had. 俺の人生で(欲しくても)なかったことのすべてを与えるつもりだよ。

内容もそうだが、このスペイン語の語感がいい。トラタレデ・ダーレ・トード、ロケ・ヌンカ・ツベ・ヨ。日本語勉強した外人が、日本語の「どういたしまして」とか「だいじょうぶ」とかの語感が大好きだとか変なことをいうことがあるが、それと同じか。

トード・ロケ・ヌンカ・ツベ・ヨ、俺が決して得ることがなかったすべてを、トラタレデ・ダーレ、息子に与えたい(未来形・意思)。

語学学習で美しい体験のひとつが、その語学のある表現が、そのものはその言語ではごく普通の表現なんだが、こちらにはなぜか詩のように、新鮮で美しい響きであるものに出くわすこと。この、トラタレデ・ダーレ・トード、ロケ・ヌンカ・ツベ・ヨも、不良親父に言わせると響きがカッコいい、なんだか、おやじに向けた、人生の格言みたいである。

それで、ルベン・ブラデスが扮するおやじは、うちの息子は将来は、メジャーリーグの野球選手か、はたまた、数学の天才か、発明家か、医者か、とはしゃいで、みんな飲め飲め、俺、勘定が払えなかったらどうにかするから(veremos que se inventa)と唄う。

このアルバムは、たしか、最後は悲劇で終わる。

NYで産まれ育ったラテン系の息子ラミロは、その後、同性愛者をカムアウトして(マチスムのラテン系のおやじには悲劇)、最後はエイズで死をむかえるという結末だった。まあ、いまだともっと違う展開になったとは思うが、これが作られた80年代はまだまだ考えが保守的で、エイズも不治の病だった。

と、ずっと思っていたが、記憶に混乱があった。今回ちょっと調べてそれがわかった。別に、ルベン・ブラデスとウィリー・コロンの曲 "El Gran Varon"という曲の内容とごっちゃになっていた。この曲では、シモンという主人公が最後にNYでエイズで死ぬというストーリーになっている。ラミロはどうなったんだったか。また、マエストラ・ビーダのアルバムを聞いてみよう。


(追記)アルバムを久しぶりに聞いてみた。息子ラミロはエイズでは死なない、これは勘違い。家出し、親と音信不通になってしまって、帰ってきたときには親はない。親孝行したいときには親はなし、という結末になっていた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?