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ジャズ 相対音階 ねばれみご

音声SNSクラブハウスで出会った嬉しいもののひとつに、毎週週末のNYからの1時間くらいの番組?がある。NY在住のジャズ・ボーカリストの日本人女性が、アジア時間で土日の朝に、それぞれ1時間づつ10曲くらい、現在活躍中の日本人ジャズ・ミュージシャンの曲を紹介してくれる。

わざとひっそりとやるという趣旨なのか、クラブハウスでも視聴者は10人くらい、同時放送?の「ミクセラー」という音質がいい独自のアプリ(僕は今はもっぱらこれ)でも10人くらいの観客。同内容がPodcastにアップされているから、後から聞く人がけっこういるのであろうか、ちょっともったいない話。これ、内容がすごくいいのでおすすめ。Weekend Jazz Meetupあるいは、Namiko Tairaで検索すればでてくるはず。

今朝も、ちょうど当地時間土曜朝11時からのが聴けた。なかなかいい選曲の9曲。30歳くらいで才能にあふれていてバークリー音楽院あたりを卒業して今はNYでバイトで生計立てながら日々切磋琢磨してます、みたいなエッジーな音から、円熟アラ還のミュージシャンの演奏や、しっとりした女性ボーカルもあったりした。共通項は、基本、日本人ミュージシャンであるということ。

敢えて難を言えば、日本人はまじめだから、ジャズという即興のアドリブが特徴的なアート・フォームで、ある種の完成度を求めて、ライブはともかくスタジオ録音だと、どちらかというと「緻密なアレンジ」みたいなものを感じてしまうということ。

まあ、それもかっこいいし、音楽的に凄いものが多々あるが、一方で、かなり危うっかしいがその場でのミュージシャンの駆け引きから展開するような、時には音楽として成立しうるぎりぎりのところまでいってしまうがそれをえいやっと切り抜けて戻ってくるようなスリリングさも欲しいな、と思うときがある。

まあ、こっちは聴いているだけなので偉そうなことは言えないが。アドリブの危うさはむしろライブにいって体験するものかもしれない、スタジオ録音とか放送するようなものでは、一部のマニア以外の視聴者には、もっと整ったほうがいいのかもしれない。

今日は、しっとりした、Never Let Me Goというスタンダードのバラードのボーカル曲が最後だったが、この曲、出だしのフレーズ、Never Let Me Goのところが何度もでてきて、耳に残る。今日も、頭の中はいろいろなキーでNever Let Me Goが展開していた。

ド・レ・ソ(下)・レ・ドで、「ね・ば・れ・み・ご」なのだが、これが、呪詛のように何度も何度もでてくる。

Never let me go 「私を離さないで」、キーが変わってまたその5音で if you let me go「もし私を離したら」、そしてまた別のキーで my world is upside down「私の世界はめちゃくちゃよ」。

離したら化けてでるわよ、との愛の呪いの言葉か。この5音が耳の奥底に残って、しばし離れない。

じつは、自分のNoteの下書きのなかに6ヶ月物くらいに熟成となった、「ジャズ・スタンダード曲名と同名の有名な小説あれこれ」という書きかけのネタがあるのだが、その例に出そうと予定している3曲のうちがこの曲。

詳細はいつの日かにPOST予定のそちらをご参照だが、カズオ・イシグロの映画にもなった同名小説のNever Let Me Goは、このスタンダード曲とは無関係のようす。村上春樹がイシグロ氏が執筆中の頃にNever Let Me Goの演奏のはいったCDをあげたとかなんとかどこかに書いてあったのを読んだ記憶はあるが、曲とは直接関係がないようで、僕は映画でもこの曲が使われるのを期待して映画をみたら、ぜんぜん似てもつかない古い流行曲に似せて新たに?作曲したテーマが流れていた。ちょっとがっかり。あのSF小説?は、この呪詛のような曲にあい通ずるような深い闇のある話。ネタバレになるのでその闇についてはここでは書きませんが。

さて、このPOSTのタイトルの相対音階ですが、自分の耳についてなんです。

自分は、絶対音階はおそらくほとんどなくて、相対音階はある。それは、まあ、よかったことかなと思っているという、つぶやき。

絶対音階というのは、ぽーん、と音を聴いて、あ、これラの音、Aの音とわかるやつ。絶対的に音の高さがわかるやつ。僕は、時報のぽ、ぽ、ぽーんをやってみろといわれたら、当たるといえども遠からずくらいでそれを口でできると思うが、かなり不正確。ピアノで適当な音をポーンをひかれて、なんの音?ときかれてもよくわからない。これ、絶対音階がない証拠。

脱線するが、先日、共感覚という不思議な現象についてちょっと学んだが、ポーンと音を聞くと、共感覚という脳の回線混乱?のようなことがある人には音という聴覚が色という視覚にリンクしてしまう様子。おそらく、そういう人は、絶対音階があるんじゃないかと思う。あ、この赤い音は、Aの音だとか。

サックスも含めて管楽器の多くが、例えば、ラという運指で吹くと、アルトサックスのようにEb楽器だとピアノだとのドの音がでてくる。テナーのようにBb楽器だと、ソがでてくる。全部ピアノといっしょのCなら楽なのにとは思うが、たぶん、楽器の構造からくる音域からそうなったのか。

学生の時に初めてサックスを習いにいった頃に、同じような初心者の女性と会った。彼女はピアノを長年やってきたらしく、絶対音階があった。「え、これ気持ち悪い」と、サックスのCの音をだしてEbの音が聞こえるのに驚いていた。先生は、じゃあ、このAの運指がCだと覚えればいいんでない?とかけっこうニヤニヤしていい加減であったが。たしかにそうやって覚えたら、譜面を転調する必要はなくなるな。

僕には、そのような不都合?はなく、楽器からでてくる音に絶対的な音程はなかった。すべてが相対的。ドをいただければ、そのキーで、ど・れ・そ・ど・れー、ね・ば・れ・み・ごーと、唄える。

逆に、相対的音感がないひとがいると知ったのはそれよりもう少し前の高校の頃だったか。相対音階がない人を見下しているわけではまったくないが、あたりまえと思い込んでたことがそうでないんだと知ったときの驚き。

あるとき、なんかの歌謡曲のいちフレーズを、ギターだったか、ピアノだったかで、ぱぱぱと弾いたら、「え、楽譜ないのになんで弾けるんだ?」と驚かれた。え、聞いたまま弾けばいいだけじゃないか?と思った。

もちろん、早いテンポとかではだめで、テンポ関係なく、つまびくくらいでの再現性だが、おそらく、相対音階があれば、そのメロディを脳がドレミファに還元してそれで手が動くんじゃないかとおもう。

そこでジャズのアドリブだが、いろんなアプローチはあるんだろうけれど、小節ごとにコードがあって、理論的にそのコードでつかえる「スケール」という音のチョイスがあってそれをひたすら練習して、それをつなげてアドリブを繰り出している人たちがいるんだとおもう。それが王道か。

自分にはそれはできなかった。練習嫌いが主因だったが、もちろん、そのスケールの音をつなげていけば大きくはずすことはないのだろうけれど、それは、外国語でおしゃべるするような、アドリブの流れるフレーズにはならないんじゃないかなと意固地に思った。

それで、どちらかというと、ざくりと曲のなかでの「キー」に注目して、そのキーのなかで相対的に考えて、好きに「唄って」いけばいいんじゃないかなと、おおまかに考えて、今日に至る。それが決して正しい話法ではないのはわかっているが、自由度があって楽しい。さらに言えば、コードによってはかなり特徴的な音があるので、うまい具合にそこでその音をいれたフレーズがだせればかっこいいかなと。

と、あまり結論めいたことはないですが、ジャズのアドリブで、おおまかなキーの転調を踏まえて、そのキーのなかで相対音階を使って好きなことを唄っていけば、毎回毎回、好きにできて楽しいんじゃないかなと。もちろんアドリブなので、うまくいかず音楽として破綻してしまうことはあっても、ですが。

そんな独善的ジャズアドリブ論でした。■

(タイトル画は、楽譜で検索してでてきた、Note Creatorのものを拝借)




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