SF『マルチバース調整庁SM管理局』(6)
(第5話から続く。末尾に全話マガジンリンク)
オーバーロードのSM管理局による「アバター介入」は、管理対象の地球人に気づかれること無きよう、綿密なプランを実施するために量子コンピューター3台が総動員された。
危機回避のためのアバターの言動は、すべて生成型AIの "ChotGPT" が膨大なデータを元に生成したシナリオに沿って実施される。管理官Mは役割は、アバター対象の地球人の休止させた意思の部分を、必要に応じてコントロールするだけあった。
自動運転の車に乗る運転手のような、副交感神経で自然に動いていく体に必要に応じて働かせる交感神経のような、そんな役割だった。
*
裕子は、ダブリンの義理の老夫婦のところに息子のショーンを1週間あずけて、ロンドン経由アルゼンチンへの旅に出たところだった。既に離婚が成立した元夫の親だから正確にはもはや「義理」の親ではなかったが、合意した共同親権のもと、可愛い孫が来てくれるのは大歓迎という感じであった。
ヒースローでの待ち時間にテレグラムすると、祖父母の居間で楽しそうに過ごす息子と話ができた。物心つく前に離婚が成立したこともあり、ショーンにとっては今の、母親と過ごし、時折、遊園地に連れて行ってくれる優しい父親がいて、優しい祖父母が存在することは、ごく自然なことであった。裕子も、息子がすくすくと性格の良い子に育ってきてくれて、自分の母親業もなかなか高得点じゃない?と思っていた。
彼女の人生、日本での学校の勉強もしっかり優等生としてこなして、反抗期も無く、地元の学校の教師である両親にも優しく親孝行で、誰から見ても模範的な良い娘であった。外国人と結婚することになりアイルランドに住むことになったのがある意味ちょっと親不孝であったが、毎年、和歌山の実家にショーンと帰省すると、両親は大歓迎、息子を溺愛してくれた。
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ボーディング開始アナウンスがあり、ゲートに行って、青い燕のようなロゴのはいった機体のアルゼンチン航空機に乗り込む。
裕子が自分の窓際の席に座ろうとすると、その隣の通路側の席に、小柄なブロンドの女性が座っていた。スペイン語らしい雑誌を読んでいた彼女は、裕子をみてにこりと笑う。口元には可愛い笑窪ができていた。
離陸してしばらくすると、突然、その女性が聞く。
「あの、すみません。日本人ですか?」
「ええ。。。あ、この詩集ですね」
「はい。私、以前、京都で2年留学していたことがありました。それは、チリ人の詩人の詩集でしょう?」
「ええ。日本語の翻訳ですけれど。私、スペイン語は全然話せないんです」
自然に、会話が始まった。
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「ちょっとちょっと、なかなかいいピックアップラインね、ChotGPT」係長がつぶやく。
そのつぶやきは、脳内プロンプターを通じて、アーニャにアバター介入している管理官Mにも伝わる。
「はい、とても自然に進行しています。このままChotGPTのシナリオ展開の観察を継続します。並行して、この先の複数の分岐シナリオをプレビュー作業します」Mは答える。
「了解。でもね、ChotGPTは、地球のドラマや小説のプロットを合成してシナリオを作るから、時々、紋切り型になりすぎてだめなんだよなあ」局長がつぶやく。
「とくにSMがらみだから、「反転のM」に確率的に効果的だと、そういう小説の設定にありがちな展開を参照するシナリオだとちょっとあぶないな。官能小説じゃあるまいし。Mくん、その点、十分に気をつけて監視して」
管理官Mは、ChotGPTの839通り生成された分岐シナリオを推奨順からレビューしてみる。その間も、ごく差しさわりのない会話が座席が隣同士の二人の間で進んでいた。
「わたし、京都では、日本の昭和のサブカルチャーを専攻してました。とくにジェンダー問題とか、創作における性のメタフォーとか」
「私は逆にラテンアメリカ文学が大好きだったんです。幻想的で。アーニャさんはおかあさんがアルゼンチン人?小さい頃住んでいたのなら、スペイン語は母国語並みなの?」
そんな無難な会話が進んだが、ChotGPTは、少しづつジャブを繰り出すように、話を徐々にSM方面へと誘導し始めた。
一方で、管理官Mは、複数シナリオをプレビューしていたが、推奨番号149番の略称「フライトでリクライニング座席ドン」と題されたシナリオを読んでいて、そのあまりの馬鹿らしさに思わず笑って反応してしまう。やはりAIにはタイトルをつけたりするセンスがまったくないなと思う。すると瞬時に、ChotGPTがその思考に反応して、なぜかそのシナリオを推奨1番に繰り上げる。
これがそのシナリオである。
管理官Mは思う。
「これってなんなの?」
あまりにも奇天烈で不可解な展開に、思わず ChotGPTの自動制御に静止をかけて、マニュアルモードに切り替える。
アーニャになったMは唐突に、真面目な声で質問をする。
「裕子、いくつか質問していいかしら?
人は何故、性的に他の個体を求めるの?
個体を残す生殖のため?
快楽のため?
それとも理由がない、あらがえない動物的な本能から?
あなたはなぜ、普段の禁欲的で立派な人生を否定されるような「辱み」に興奮するの?
人生の目的、生きている意義ってなんなの?」
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係長は驚く。「Mちゃん、なにこれ?盛り上がってきた流れを台無しにする言動はなんのため?あと少しで葉子のことを忘れさせるような「服従状態」まで持っていけるのに」
局長はそれを制するように言う。「ちょっとこのまま見てみよう。紋切り型のChotGPTより、ちょっと上手(うわて)かもしれん。裏の裏をいくような。。。」
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アーニャこと管理官Mは、質問を終えると、自らの座席ですっぽりとブランケットを被ると、すやすやと小さな寝息をたてて寝てしまう。
興奮し体温が1度ほど上がっていた裕子は、その展開に呆然とする。
「え、なに?
。。。
これって、新種の放置プレイ?」
不可解な展開に脳が機能停止状態だったが、やがて、静かなごぉぉというジェットエンジンの規則的な音が睡魔を誘い、裕子も眠りへと落ちていく。
*
夜明け前の小さな時間が終わり、地平線の向こうからゆっくりと朝日が差し込んできた。
夜が明けてくる。
飛行機は機体を大きく旋回させて、目的地ブエノスアイレスへむけて高度をさげていく。
裕子が目を覚ますと、隣のアーニャがいない。
アルゼンチン人のキャビン・アテンダントに聞く。隣の乗客は?と。
長身のドイツ系らしきそのアテンダントは笑って答える。その3Bには誰も乗っていないですよと。
飛行機は、さらに、神々しい朝の光の中を、上からみると湾のようにみえる広大な赤茶けたラプラタ河下流の上を、エセイサ空港へと旋回して降りて行った。
(7回の完結回へと続く)
(タイトル画は、夜間飛行で検索してでてきたなかから、かっこよいのを拝借)
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