いつか髪が伸ばせる日まで~山梨髪切り不登校事件

序章

2021年の冬は例年よりも暖かく感じた。師走の声を聞いても、霜は降りても家庭菜園の青物はまだ、食卓を賑わしてくれていた。
「ママ、髪切って。ツーブロにしたい。」
いつもの調子で娘が言ってきたのは11月もそろそろ半ばに差し掛かろうという頃。

いつもの調子で気軽に頼んでくる感じ。「そこの本取って」「おやつない?」と同じ感覚で言ってるように聞こえる。娘の中では「家で親に髪を切ってもらう」は特段変わったことではなく、日常の一コマに過ぎないのかもしれない。でも、私は躊躇う。右手にビリッと一瞬電気が走る。

怖いのだ。
また何か起こるのではないか?と、無意識に身構えてしまう自分がいる。
前はこうじゃなかった。

「美容院行きなよ。」と説得を試みても、
「嫌だよー、この前切ってくれた美容師さんヘタクソだった。だったらママのほうがいい。」そういいながら、スマホで画像を差し出してきて、「こんな感じ!女の子のツーブロ、かわいいよね!」と、さらなる無茶ぶりを重ねてきた。
「やだよ、ツーブロックなんか。やったことないし、女の子にバリカン使うのなんか怖くてヤダ。」
「えー?いいじゃん、ママ、兄3人切ってきたんだから、できるって!」
「寒くなるのに、わざわざ短くしなくても・・・」
表向きそういいながら、本当に気になっていたのは別のことだった。

ーどんどん、短くなってく・・・

中学2年まで、娘はずっとロングヘアだった。小さいころからあまり短くしたがらない子で、むしろ「だらしなく見えるから、いい加減切りなさい」と言っていたのは私の方で、それでも切らせてくれるのはせいぜい肩まで。「すぐに結べるように」が、お決まりだった。
そんな子が、中2の事件以来、絶対に髪を伸ばそうとしなくなった。事件以来、2カ月おきに切るようになり、それもどんどん短くするようになって、私が怖くなった。美容院でも一度刈り上げている。高校に入ってから1,2回、首周りが暑いからと肩口にかかる程度の長さをちょっと結んでみたことがある。けれど「気持ち悪い。」とすぐにほどいた。それでも改善したくらいなのだ。中学卒業前は「一生髪なんか伸ばさない。」と言ってたくらいだったから。
そうなってしまってから、「なぜ、上の子たちのように、中学以降は強引にでもカットハウスに連れて行かなかったのか?」と悔やんだ。そういったところで、何かが変わるわけでもない。後の祭りとはこのことだ。

この日は結局、私が折れて、夫からホームバリカンを借りてきて娘の髪を切った。家庭用の理容鋏は、長男が生まれた30年以上前から、買い替えながら常に家にある。子どもの髪を母親の私が切ることは、わが家と実家では特に変わったことではなかった。
櫛で髪を梳き、髪を分け、ひねってクリップで止めていく。後ろを揃えたところで写真を撮り娘に見てもらう。左右も同じように。娘は楽しそうに軽口を叩きながら「もうちょっと短くして」などと注文を付ける。女の子をツーブロックにすることへの親の抵抗感なんて吹き飛ばすつもりらしい。

後ろと耳の横を刈り上げて、少年のような仕上げで娘は2021年の冬を過ごした。
その月の30日、娘が原告の国賠、山梨髪切り不登校訴訟の判決言渡が迫っていた。

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