ミュージカル刀剣乱舞 東京心覚を見た感想

前回のnoteでは、公演内容次第で刀ミュというコンテンツを嫌いになる前に卒業しようと考えていたと書いていた。今回の東京心覚を見て、刀ミュもだけど舞台からも少し距離を置こうと思う。
察しのいい審神者はいるだろう。そう、これはいわゆるお気持ち表明というやつだ。
というわけで、以下はネガティブ&ネタバレありの感想です。
いろいろと言語化しないとモヤモヤしっぱなしになるので吐き出させて欲しい。

※警告※
以降はきつめな内容のため、人によってはなんだこいつ? と不快に思われる方もいるかもしれません。
それらを踏まえた上で、なんでもオッケー! 苦情は出さないよ! という強メンタルをお持ちの方のみ閲覧ください。苦情とか苦言とかお気持ちのお気持ちなんかはいりません!!

いいですか……? 警告はしましたよ?
この先は自己責任でお願いします。


・初見の感想

初日の公演をライブ配信で観劇。
始まったはいいけれど、刀剣男士の出陣先も目的もなにひとつわからないままシーンが次々とバッサリと斬られながら、時間軸が飛びまくり意味がわからないまま第一部が終了した。さっき死んだキャラが少しして復活してくるとか、ワケがわからん。
開演して数分経っても『わからない』が『解消』されないまま進み、2200円払って3時間近く虚無を味わった。

登場する歴史上の人物も時代が別々。
なにを言いたいのか、わからないセリフ。
水心子が長くしゃべっていた気がするけれど、たぶんあれが作者が言いたかったことなんだろう。意味不明だが。
覚えているのは「あなた」「きみ」「これなかった人」「三日月」「がんばってる」の単語と、豊前くんの顔がやたらいいことだけだ。セリフ単位ではまったくと言っていいほど、覚えていない。
二部に至っては一部が酷すぎて光世がボイパしてた記憶しかない。

観客をおいてけぼりにした自己満足な脚本。それがこの心覚への第一印象だった。

・観客と運営のミスマッチ

心覚は今まで積み上げてきたミュージカル刀剣乱舞の歴史をぶち壊すような内容だった。
舞台を観劇しない層を取り込み、劇場に足を運ばせた刀ミュの功績はとても大きい。大きいが……今までの歴史を振り返ろう。※年末のお祭りや単騎、双騎出陣はのぞく

・阿津賀志山異聞
源義経と武蔵坊弁慶、源頼朝といった超有名どころの武将にまつわるお話を軸に、自身が実在した刀だったのかという存在意義の話や、自分たちの心についての話など比較的、わかりやすい話で構成されている。トライアルから本公演までのクオリティアップはなかなかのものだった。ガチで阿津賀志山周回して経験値稼いだんだなという印象。

・幕末天狼傳
大河でも放送され、乙女ゲーでもよくつかわれる新撰組がメインのお話。
加州清光、大和守安定の沖田君にまつわる話と、蜂須賀虎徹と長曽祢虎徹の兄弟の確執の二本立てで話としては長いが丁寧に描かれてはいる。

・嚴島神社
嚴島神社の世界遺産登録20周年記念奉納行事として行われた一夜限りの公演。基本的に歌と踊りで構成され、二部好き審神者にとっては何度も見返す公演だろう。長曽祢さんがとても寒そうだった。

・三百年の子守唄
徳川家康の一生のお話。刀剣男士が時間遡行軍によって殺されてしまった徳川家康の家臣に成り代わり、まだ赤子である徳川家康を育てながら一生を見守る流れは、阿津賀志山異聞、新撰組と異なり刀剣男士の人間の一生への想いが描かれており、涙した審神者もいるのではないだろうか。ラストの物吉君の「よくがんばりましたね」で涙腺崩壊した。

・つはものどもがゆめのあと
阿津賀志山異聞では描かれなかった源義経と武蔵坊弁慶が平泉まで逃げ、藤原泰衡と鎌倉殿をどうするかというお話。お尋ね者の義経を平泉でかくまってたら鎌倉殿に攻め入られるからな!! 三日月と小狐丸が切り結んだり、三日月が怪しい動きをし始めたりと今後の不穏を察知した審神者もいるのではないだろうか。この時はまだ、次回に繋がるこれくらいの要素なら歓迎派でした。あと、源氏バンザイ!!

・結びの響、始まりの音
幕末天狼傳のその先のお話。土方歳三が函館で死ぬ歴史を変えようとする時間遡行軍との戦い。土方さんのところに直談判しにいったり、今までは姿を隠してバレないように……という雰囲気だったが、ここにきて刀剣男士の歴史上の人物への接触が堂々と行われるようになった印象。ここもまだ比較的わかりやすい描き方をしていた。兼さんの成長がなんかもう最高で、安心して見ていられるようになった。

・阿津賀志山異聞2018 巴里
細かいところは変わっていたりもするが、基本的には阿津賀志山異聞と同じ。みんな成長…したなあ……とひたすら感動。

・三百年の子守唄2019 再演
これは仕方ない。大倶利伽羅がな……。こちらも基本的には三百年の子守唄と同じ。

・葵咲本紀
三百年の子守唄のその後のお話。回想形式で頻繁にシーン切り替えが行われるが過去回想はBGMで始まるよとお知らせしてくれるので、まだ優しい作りではあったが気づけない人はなに? なんなの? と混乱したのではないだろうか。

・静かの海のパライソ
見てないんだ……。

・幕末天狼傳2020
基本的には幕末天狼傳と同じ。
成長しまくった彼らの演技力で、見たいよね! の願望が叶った。

……と、ここまでざっくりと各公演について書いていったが、基本的にここまでは舞台初心者にもわかりやすい作りではあった。
心覚は任務や目的も刀剣男士の葛藤もわかりやすい作りで来るだろう。歴史を知らなくても楽しめるものだろう。という潜在意識が観客側にはあったはずだ。しかし、それが覆されてしまった。

初日を終え考察がたくさん出回った。考察するのが楽しい人はいいだろう。
でも私は他人の考察や解釈よりも公式の「答え」が知りたいのだ。
声の大きい観客の解釈。同意や共感をたくさん得られた解釈。とんでもない解釈。いろいろあるだろう。答えは観客側に、というスタンスは大いに結構。しかし、刀ミュに求めてたのはこれじゃなかったんだ。
考察を見て、心覚は歴史を語る上で重要だとか、現代演劇で必要なことだったとか、不条理演劇がどうとか書いてあったが、そんなものはどうでもいい。

私はただ、刀剣男士というキャラクターが展開するさまざまな葛藤や戦いの物語が見たかったのだ。

誰に問いかけているかわからないような雰囲気系の舞台なぞ見たくはなかった。

私が求めている、求めていたものがあの舞台には存在していなかった。
どうしてこんなに怒りと悲しみに満ちているのだろうと悶々としているところ、こんな記事を読んだ。
運営に何度も読ませたい内容ではある。

面白さ = 読者の脳が得るメリット - 読者が支払うコスト(金・時間・労力)

心覚では、この式が完全に私の中では成り立たなかった。面白さはマイナスだった。

運営が、うるせー俺たちはマンガやアニメみたいな低俗なものじゃなくて舞台という高尚なものを作ってるんだという意識なのかどうかは知らないが、心覚は舞台というものの押しつけがましさを感じた。知らないだろう? 刀ミュで教えてやるよ。と。
この意識は歌合から感じていた。

・シン・エヴァンゲリオンのわからないと面白さ(ネタバレなし)

少し話が脱線するが、先日シン・エヴァンゲリオンを見てきた。
正直、中身はなにを言ってるかわっかんねーけど、面白かったし納得した。
楽しさ7割、理解不能3割。それくらいの印象だった。
これくらいまであれば考察してみようか……という気にはなる。

心覚は楽しさ0割、理解不能10割。
考察する気すら失せ、なんで見たんだろうかというレベルだ。

観客だから、金払ってるんだから、そんなクレーマーじみたことは言いたくはないし接待して欲しいわけでないが、それなりの金額を支払っている以上、観客の期待には答えて欲しいと思う。
どんだけすごい演出をしようが、手練れの演者を使おうが、伝わらなければ、観客を納得させられなければ意味がないのだ。

心覚を理解するために、3時間という観劇コストを何度も支払う人はどれくらいいるのだろうか?
私には、そのコストを支払うだけのポテンシャルはもうない。見るのすら苦痛だ。

・刀剣乱舞という版権ものの扱いについて

業界が違えど、私は話を作ったりすることもあり生業の一部にもなっている。知識はお察しだが。
歌合についての記事でも書いているが、文化を広く知らしめるために刀ミュが使われているのではないかと思う。

ここで発生する懸念がひとつ。
キャラクターの扱いだ。

刀剣にまつわる文化を広めるために刀剣乱舞のキャラクターが使用されている。
実際に刀剣乱舞はあちこちのイベントでコラボグッズを発売したり、文化の普及や関連施設への支えになっていたりする。(ここでは刀剣乱舞は本家のオンラインのこと)

ミュージカル刀剣乱舞はどうだろうか?
刀ミュでは最初こそ忠実に原作にそっていた部分はあっただろう(真剣必殺なんかもあったので)。いつしか独立し別方向へと歩み出した。
では、歩み出した理由はなんだろうか?
おそらく、文化を広く知らしめるためだろう。
2.5次元という舞台の枠ではなく、もっと全体としての舞台を知らしめるために。

刀ミュは刀剣乱舞が原作とはいえ、ミュージカル刀剣乱舞というまったく別物の版権が存在していることを忘れてはならない。
そう完全に別物なのだ。
本来、版権ものはキャラクターを魅力的に描くものだ。
(いわゆる世界系や雰囲気系と呼ばれるものでない場合に限るが)
刀剣乱舞が原作だからキャラクターが魅力的に描かれているだろう。
その想いは捨て去った方がいいのかもしれない。

・問題点の切り離しが必要なのでは

新しいことをどんどんやっていきたいという運営の心意気は理解しているが今まで築き上げたものと、ついてきたファンたちを置いて挑戦することに意味があるのだろうか。

舞台側が抱える問題はあるだろう。2.5次元舞台の地位向上と待遇改善。舞台文化の普及。形骸化されたなにかを刀ミュの観客と収益で破壊、再生するなど、さまざまな意図があるはずだ。
それらをすべて刀ミュで一気に解決しようとするのは結構だが、純粋に刀ミュを楽しんでいたイチ観客としては巻き込まないでほしいの一言である。

手段と手法、問題の切り離しが必要なのでは?

そして、今まではニーズ志向(顧客の欲求)だったけれど、ある程度の人脈と固定客、収益の獲得ができ、認知度もあがったためシーズ志向(新たな市場開拓)になるのではないだろうか。

・発表されない中身

刀ミュはなぜか知らないが一般的な舞台と違って、刀剣男士以外の歴史上の人物が発表されなかったり、大まかなストーリーが公表されることがない。知っていたらもっと楽しめるとというワンポイントアドバイスすらない。

毎回、決して安くはない金額のチケットの争奪戦が発生している。
推しが出ている。ただその一点だけの動機で審神者たちは争奪戦に参加する。
それらはすべて審神者の、観客の期待以上のリターンがあったから成立していた。

自分はもう中身すらわからない諭吉舞台ガチャはつらいので、しばらくは刀ミュと距離を置こうと思う。

・舞台が苦手になった

あれだけ楽しみだった刀ミュ。チケットが取れ、座席は後ろの方だけどわくわくしていた。
けれどふたを開けたらアレだ。
見たら疲労感が半端なく、刀ミュを見たーーー!!!という満足感もなかった。

決して安くはない金額を支払い、数時間拘束される。中身は見て見なきゃわからない。怖すぎる。
あれだけガラコンは配信見て、毎公演違って楽しい!!!とお花畑になっていたのに。
刀ミュだけではなく、舞台自体が怖いし苦手になった。
もうあんな思いはしたくない。

映画がどれだけ手軽か、身に染みた。

・大千秋楽への懸念

これはただの懸念だ。
刀ステの悲伝では千秋楽で演出やセリフの一部が変わった。
心覚はだいぶ毛色が違うので、まさか刀ミュでもこれをやるのでは? と不安でいる。

・まとめ

だいぶ、文章がとっ散らかってしまったけれど、とにかく心覚は相性が悪かった。
作り手側から見ても、観客側から見ても。
見る人は刀ミュが嫌いになるかもしれないという覚悟はした方がいいかもしれない。

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