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出発に立ち戻り、出発から始める。

"手段と目的を履き違えるな"とよく言われるように、常にその物事の本質を見失わないように努めてきました。

ジャマイカ〜社会の複雑さと理不尽さとの出会い〜

私は21才の時に将来の道に悩み、大学を休学し、ジャマイカという国に3ヶ月ほど滞在しました。そこで私は社会の複雑さと理不尽さに触れ、呆然と立ち尽くしました。

日本は失われた30年などと言われていますが、彼らは400年以上も失われています。

ad1492年にその島は"発見"され、50年とかからずに、その島に住んでいた人たちは、ある日突然やってきた"発見者たち"の手で、ほぼ全滅してしまいました。そしてその島を発見した人は、数百年後が経った今でも語り継がれるような歴史的な英雄となりました。

人がいなくなったその島には、全く違った土地から多くの隣人が、連れてこられ、その全く知らない土地で、強制的に働かされることになりました。どれくらいの期間でしょうか?400年以上です。生まれてから死ぬまで。自分の子供、孫、ひ孫…までです。社畜などと揶揄される現代とは到底比べ物になりません。

そして人間の尊厳性を踏み躙られ続けられた日々も終わりが迎えます。やっと人間として生きられる日を迎え、やっとひとつの国として認められる日を迎えました。1962年のことです。たった60年前でしかありません。

しかし彼らを待っていたのは、更なる困難でした。

ジャマイカという島が400年以上も西洋の隷属地域であった時に、他の国々は、自国の影響力を高めるために切磋琢磨していました。軍事力を、経済力を、人材を、国家システムを、育ててきました。

ついこの間まで国家としての機能を何も育てることが出来なかったその地域の住民たちに、その数百年の差を埋めることができるのでしょうか。どう考えても不可能です。

しかしそんなことを資本主義は、グローバリゼーションは、神の見えざるは、許してくれません。彼らは"平等"の名のもとに、同じ土俵での競争を強要してきます。まるでそれまでの数百年など存在せず、"あなた達も、もう立派な国家なんだから、当然でしょ"と言わんばかりに。

そして彼らは国家としての文化が醸成される前に、いま、この瞬間も、ホモサピエンスの激しい弱肉強食の競争に飲み込まれています。

ジャマイカを理解するための一番わかり易い指標は、殺人発生率でしょう。2018年時点で、10万人あたりの43.85件の殺人発生率は世界第二位です。多国籍企業の介入により、地場産業を育てられず、雇用を生み出せないその国は、犯罪に手を出す若者があとを絶ちません。その治安の悪さは地政学的にもアメリカ自由主義とキューバ共産主義のイデオロギー戦争に巻き込まれた影響が多分にあります。

私がジャマイカでお世話になった日本人の方も銃で殺されました。私のお世話になったジャマイカ人の親戚も殺されました。私が遊びに行ったクラブでもその前日に殺人がありました。私が滞在しているたった3ヶ月の間にです。

ただ平凡に、平和に毎日を過ごしていた私にとってその出来事は、私をひどく混乱させました。

この状況は、彼らに責任があるのでしょうか。"黒人の犯罪率が多い"と言われることがありますが、それは本当に人種の問題なのでしょうか。"しょうがない"と見て見ぬ振りをすることが正解なのでしょうか。

日本〜情けないわたしの母国〜

翻って日本を見てみれば、どうでしょうか。そんな彼らに胸を張って"日本のようになれば幸せになれるよ"と言えるような状態でしょうか。

当時の私は、そう思うことは到底出来ませんでした。

むしろ物質的には貧しいながらも、人との関係を大事にし、1日1日を大事に生きている彼らのほうが精神的には充実しているようにすら感じました。

毎年1万人以上が自ら命を絶ち、400万人以上が精神疾患を抱え、若者たちは80%近くが人生に憂鬱さを感じている国。

本当にこれが国家として、目指すべきモデルなのでしょうか。本当にジャマイカにいる彼らは、日本のような国家システムを構築することで、今以上に幸せになることができるのでしょうか。

社会〜生存本能に突き動かされてきた私たち〜

そして現代社会も多くの問題を抱えています。

全世界では、80万人以上の人が自ら命を絶ち、3億人前後がうつ病であり、2.8億人が飲酒の健康障害を抱えています。
貧富の格差は、「8人=36億人」という等式が成り立つにまでなってしまいました。
未だに飢餓状態にある人々は増え続け、8億人以上が栄養不足に陥っています。
その一方で、世界の軍事費は200兆円を越え、世界の核兵器の数は1万個以上に上ります。
そして今後数十年のうちに、地球の温度は1.5℃以上あがり、あらゆる問題を引き起こすと言われています。
インフォメーションテクノロジーは多くの恩恵を生み出すと同時に、多くの弊害も生み出し続けています。

これが本当に私たちが目指すべき、人間が目指すべき姿なのでしょうか。

私は悩みました。これまで使ったことのないポンコツの頭をフル回転させて悩みました。

本当にこれが、社会の在るべき姿なんだろうか。
本当にこの先に、私たち人類の幸せは待っているのだろうか。
この現状に対して、私たちはどうすることも出来ないのだろうか。

悩みに悩みに悩み、自分の無力さに打ちひしがれ、人間仲間たちがこんな状況にあるにも関わらず目先のことにしか関心のいかない私の、日本の状況が情けなくて仕方がありませんでした。一週間に渡り、涙し続けたこともありました。しかしどうすることもできません。

私は訳が分からなすぎて、どんどん混乱していきました。何をどのように考えればいいのか、分からなくなってしまいました。そもそも本当に今の状況がおかしいことだと言える根拠すら失い始めていました。

そもそも私は人間というものが、どういった存在なのかも知りませんでした。そもそも人間がどう在るべきかも知りませんでした。人間にとって何が幸せなのかも知りまでんした。そもそもなんで人間が誕生したのかも知りませんでした。

宇宙空間の中に存在する小さな星 地球。そこに誕生し、増え続けた人類という存在。

これまで人類は"生存のために"多くの発展を生み出してきました。はじめは他の動物との生存競争に勝ち続けるために。そして次は人類同士での生存競争に勝ち残るために。生存本能に則って。死の恐怖から逃れるために。

本当にこの延長線上に幸せはあるのか。その答えを導き出すために私は、出発に立ち戻らなければなりませんでした。

出発に立ち戻る〜ボールペンの始まり、人間の始まり、宇宙の始まり〜

138億年前にこの宇宙は始まったと言われています。

そしておよそ50億年前に地球が誕生し、人類は約700万年前に誕生し、20万年前に私たちの直接の祖先ホモサピエンスが誕生し、約5000年前から文明が誕生し始めました。

では、人間の在るべき姿、進むべき道はどのようにすれば理解できるのでしょうか。

ボールペンの使い方を理解するためには、ボールペンが生まれる背景を理解する必要があります。「文字が描けない不便さ」を解決するためにボールペンが生まれました。

それを知らないまま、ただ目の前にボールペンが置かれているだけでは、それは人を攻撃するために使われるかもしれません。何かに穴を空けるために使われるかもしれません。もしかしたら観賞用に使われるかもしれません。それではボールペンの本来の可能性、役割・使命を全うすることが出来ません。

私はそれは人間も同じであり、広義で言えば全ての存在がそれに当てはまると思っています。

そしてそれを知るためには、「ボールペンがない世界」を理解する必要があります。それはつまり「ボールペンがない状態では、なぜ問題だったのか」を知ることです。それを理解できた時に初めて、ボールペンの役割を全うすることが出来ます。

つまり、私たち人類は「人類がない世界」を理解する必要があります。その上で「人類がない状態では、なぜ問題だったのか」を知る必要があります。

そしてその答えを得るためには、それだけでは不十分です。なぜ動物が必要だったのか。なぜ植物が必要だったのか。なぜ地球が必要だったのか。なぜ太陽系が必要だったのか。なぜ銀河系が必要だったのか。なぜダーク物質、ダークエネルギーが必要だったのか。なぜ宇宙が必要だったのか。

つまり「宇宙がない世界」を理解した時に初めて、私たちは全ての存在の存在目的、そして人類の存在目的を理解することができ、私たち人類の在るべき姿を見出し、私たち人類の進むべき道を構築することができます。

つまり原点に立ち戻ることで、初めて私たちは全ての物事を整理することができるということです。

しかし私はその答えの導き出し方を知るよしもありませんでした。これまで大した勉強もせず、ただ毎日を過ごしていただけの私に、その答えを導き出すだけの力はありませんでした。

模索する日々。出会った衝撃。深まった確信。

そして私は沢山の本を読み漁りました。自然法則にそのヒントを見出し、農的ライフスタイルにその答えを見出そうともしました。

しかし一向にその答えは導き出されませんでした。

科学はその答えに到達しておらず、宗教からは根拠を感じられず、哲学は私にはあまりに難解でした。

沢山の人の話を聞きました。

答えを導き出したという人々の答えはあまりに抽象的で主観の域を越えず、賢人であると称される人々は答えを模索する行為自体が愚者であるかのように論じていました。成功者ともてはやされる人々はもはやそんなことに関心すら持つことはありませんでした。

あぁ、
そこに答えがあると結論を出した私が、
その答えが分かると思い込んだ私が、間違えだったのだろうか。

私はそんなことも分からないまま、
結局こんな社会の状況を見て見ぬ振りをしながら、生きるしかないのだろうか。

そんな時に出会ったのが、令和哲学者ノジェスさんであり、0=∞=1であり、完全学問でした。

宇宙がない状態とは、どんな状態なのか。
宇宙がない状態は、なぜ宇宙が・人類が必要だったのか。
どんな仕組みが、宇宙がない状態から、宇宙がある状態を・人類を生み出したのか。
なぜ現代社会は、このような状態になっているのか。
…etc

私が知りたくて知りたくて知りたくて堪らなかった全ての疑問が、ノジェスさんとの出会いで、0=∞=1との出会いで、完全学問との出会いで、全て解消されてしまいました。

そういうことだったのか、と。
だから人類はこんな現在地だったのか、と。
だから私たちは答えを知ることができなかったのか、と。

そして私は、"出発に立ち戻る"ことを決意した自分が間違えていなかったことを再確認することが出来ました。いや、そこから出発しなければ絶対に何も解決できないことをより深く確信しました。諦めなかった自分に、答えと出会えたことに、感謝しました。

先進国として。恵まれた国として。決意した国として。

ジャマイカで社会の複雑さと理不尽さと出会い、そんな状況でも目先のことしか関心がない自分と日本人の情けなさに打ちひしがれてしまった私は、もうこれまでの生き方を選ぶことは出来ませんでした。

人類共同体が、人間仲間たちが抱えている本質的な課題を解決するために、1から、出発から、原点から、社会秩序を構築し直す道しか、私には残されていませんでした。私の両親の教育は、問題を見て見ぬ振りができる私を育てることはありませんでした。

そして日本という国の現状に、その将来に絶望していた私に、ノジェスさんは、日本という国こそがこんな世界を変えることができる唯一の国であると強く訴えました。

日本という国を見限っていた私からすれば受け入れることは到底出来ませんでしたし、意味が分かりませんでした。なんでこんな情けない国が、と。

しかし彼のいう日本は、私が想像していたものとは全く異なるようでした。

日本という国が、どのようにその国民性を醸成してきたのか。そしてそれによってどんなことを成し遂げることが出来たのか。そして今の日本がどんな可能性を秘めているのか。そんな日本という共同体が、現代社会においても、人類歴史においてでも、どれほど特異な存在であるのか。

彼の情熱と、懇切さと、愛情に、人間性に、耳を閉ざしていた私の心が、少しつづその観点を受け入れ始めていることが分かりました。

彼は日本は人類で最も深い絶望と希望を経験した国であるといいます。

しかし私の観方では、日本は世界で最も恵まれた国であるとも言えると思っています。なぜなら私が滞在したジャマイカという国では日本が見出した希望すら、絶望すら、経験することは出来なかったのですから。

そしてノジェスさんは、そんな日本のポテンシャルエネルギーを高く評価してくれます。

しかし私の観方では、だからこそ逆に日本が情けなく感じます。そんなポテンシャルエネルギーを醸成するほど恵まれているにも関わらず、それを自覚もせず、発揮していないことに。なぜならジャマイカという国では、そんなものを醸成することすら出来なかったのですから。

だから日本の現状に不甲斐なさと情けなさしか感じない私は、日本の可能性に確信し、日本から全世界を原点回帰させ、全く新たな秩序を構築しようとしているノジェスさんから学び、共に活動することを決意し、今に至ります。

終わりに

今の自分の生き方に、現代の社会の在り方に、今の日本の現状に、違和感を感じざるを得ない人が日に日に増しているように感じます。

私はそれに対する処方はタイトルにもある通り、出発に立ち戻ることだけだと思っています。全ての出発に立ち戻った時に初めて、それらの違和感の謎が解明されるものだと思います。

手段と目的を履き違えるな。

私は現代社会は、大きくその手段と目的を履き違えてしまっていると思います。売るために売り、作るために作り、稼ぐために稼いでいます。その結果が、今の現状です。

そんな状況の中、一人でも多くの方が、一度立ち止まり、出発に立ち戻り、常にその出発から始められるようになることを切に願っています。

そしてそこに対して私は、ノジェスさんが、0=∞=1が、完全学問が、必ず貢献することができると確信しています。以下の動画もぜひご覧いただき、更に関心を持たれた方はノジェスさんの新著『心感覚』も手にとっていただけると幸いです。

今日も最後までありがとうございまいた。

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