I DON’T WANT ANYTHING

本記事は Acompany5周年アドベントカレンダー 27日目の記事になっています。
株式会社 Acompany で R&D チームのマネージャーを務めている牧野です。
どんな感じの研究開発をしているかのテーマを掴めるようなブログを置いておきます。https://engineer.acompany.tech/

R&D のテックリードを務めている櫻井さんの今回のアドベントカレンダーの記事(リンク)が良かったのでタイトルや構成を適当にオマージュして書いてみようかと思います。

さて、自分はマネージャーを務めて1年程経ちます。メンバーも増え、すごく優秀なメンバーに囲まれるようになりました。
自分は周りのメンバーと比較して、能力的にも経歴的にも大して優秀じゃないと思っています。しかし、なぜ曲がりなりにもマネージャーという立場としてそれなりにやっていけてるのかなと思うと、表題の言葉に尽きるのかなと思うわけです。

そうなった経緯、マネージャーという仕事について、自分なりに書いてみようという思います。

自己の崩壊と再構築

自分は周りから変わった人だと思われているようです。自分としては、明快なロジックに従って行動しているだけなのですが、ロジックが一般的ではないので少し奇怪に映るのかもしれません。

そうなったのには経験に違いがあるのかもしれません。自分は深い絶望の中で苦しみもがいていた時期が二度あります。一度目はうつになった時、二度目はコロナになり重い後遺症を患った時です。
その体験で、今までの自己が崩壊し、再構成されていきました。今となっては本当に良い出来事だったと感じています。この時のもがきこそ自分の人生の中で最も重要な時であったのは疑いようがありません。

第一ラウンド

大学院のM2の秋くらいに自分はうつになりました。当時は、研究に加え、AI系のベンチャーで有償のインターンをしており、インターン先でとても重たい案件を任され、土日もなくやれる時は常に研究か仕事をしていました。
オーバーワークもありましたが、それ以上にインターン先で色々と事件があり、不安や嫌悪がわいてしまう出来事が多く、心に不安定さを抱えながら無理して働いていました。
しかし、ある時から感情をコントロールできなくなり、嫌悪を社長やメンバーにぶつけてしまうようになり、タスクがどんどんできなくなってきて、それでも責任感でなんとかプロジェクトは一旦完成させたのですが、その後まあ色々ととんでもないことをされて、完全に自分の心は壊れて本当に何もできない状態になってしまいました。

そうなってからしばらく何もせず寝てぼーっとするだけの日々を過ごして、少し回復してからは軽く動画や漫画をみたりするだけの日々を過ごしていましたが、一向に良くならずただ無為に時間が流れる日々を過ごしました。集中力が全然なく5分で集中が切れ、頭にモヤがかかったようでした。もう心に気力が残っておらず、何をする気も起きませんでした。また何もしなくても絶望感を感じ、ただただ生きているだけで苦しくて毎日泣いていました。

自分はこうなる前まで自己優先で生きており、成したいことの為なら何でも利用してやるという生き方でした。研究者としてやってみたいテーマや成したい夢もあり、そのためならなんでもやるという気持ちで生きていました。他に対して少し酷い言動をしてしまったり、あまり他人のことを気にかけないこともあったりして、自分は性格が酷い人だと思っていました。なので、自分の価値は物事を前に進められるという一点にあると思っていました。
しかし、そのプライドもぐちゃぐちゃに潰れ、自分の価値が全くなくなったように感じました。いつまで休んでも良くならず、もう死のうかなと毎日考えていました。毎日何もできず苦しくてただ絶望して泣いていました。

ただ、時間だけは無限にあり、腐っても研究者を志した人間なので、自分を人体実験材料として研究を始めました。

なぜうつになったんだろうか?どうしたらうつが治る?なぜこんなに苦しいんだろうか?そもそもうつになる前から人生が苦しかった。なぜだ?どうやったら苦しみを克服できるんだろうか?
小さいものから壮大なテーマまで考え始めました。
どうせならと思い、これをテーマに研究を始めました。

先行研究と実験

研究テーマが決まったら、まずは先行研究の調査です。
2~3ヶ月ほど死体のように過ごしていましたが、ある程度負荷が低い活動ならできるようになっていました。気力が湧いた時に、うつに関する研究を調べ始めました。いろんな論文から記事から、色々調べて、気力が湧いた時に実行できるものは全て実験しました。思いついたものも含めですが、旅行に行ってみたり、サウナに入り浸ったり、運動してみたり、怪しげな薬(適法です)を飲んだり、ゲームをしてみたり、やりたかったことをやってみたり、ただ何もせず寝てみたり、瞑想してみたり、できるバイトをしてみたり。その他にもたくさんのことをしました。怪しげなセミナーに参加したこともあります。しかし、あまり成果は得られず、一向に状態は良くなりませんでした。
しょうがないので、もっと対象を広げ、食事や睡眠、ライフハック、メンタル系統の様々なビジネス書や医学書、怪しげな本、その辺のサイト、仏教、中国の古典、中国医学、インド医学、ヨーガの本、ネットの文献、様々なものを読んでは良さげなものを試して、実験と考察をするということを繰り返しました。

もちろん、うつ状態だったので大変でしたが、時間は腐るほどあったので、わずかな希望と研究者としてのわずかなプライドで、何とかやっていました。
あとは、うつ状態だともう死にかけなので、わずかでも効果があるとすぐにわかります。明確に活動できる時間が伸びたり集中できる時間が伸びたり、逆にどんどん落ちていったりするので、自分に与える効果の測定がわかりやすかったです。

その実験と考察の結果、どうやら欲を満たすのが良くないということが分かりました。これは体感的にもうつになる以前から感じており、食欲や性欲を好き放題満たしたり、ゲームをしたり、漫画や映画アニメ、Youtubeを見たり、何かに嫌悪などをするとうつがどんどん酷くなるのを感じました。軽く実験をしてみてそうだという結論が出たので、できる限り辞めていきました。

また、良い事をすると状態が良くなるということも分かりました。毎日ゴミ拾いをしたり、実家の色々な手伝いをしたり、ひたすら道ゆく人の幸福を願ってみたり、どんな生き物にも優しくしてみたり、掃除をしてみたりしましたが、今までしてきたことで一番効果がありました。次点は散歩が良かったです。この時は本当に一日中そういうことをずーっとやっていました。
そんなこんなで色々やっていたら回復していき、かなり色々とできるようになってきて、体調や集中力もある程度戻ってきました。またやりたかった研究ができると希望を持っていました。

第二ラウンド

ある程度調子良く過ごしていた時、コロナにかかりました。うつからの復活には1年以上かかっており、調子が良くなってきた矢先でした。最初はまあやべえなってくらいでしたが、熱が引いても体のだるさが一向に取れませんでした。

ずっとインフルくらいのだるさが続いている感じで、座るのも辛く、立つとふらふらで、トイレに行くのもやっとな日々が続きました。髪も抜けてきて、3ヶ月ほどは座ることもままならず、半年でやっとなんとか座れるくらいまで回復するような感じでした。ありえないくらいしんどかったです。
当時の僕の心境は、どうしてだよおおおおおおお!!!!なんでこんなに苦しいことばっかりおきるんだよおおおおおおお!!!!もういやだ。こんなのやってられない。耐えられない。という感じでした。心がボキボキに折れて、無気力になりました。

自分は高校大学とラグビーをしていて、高校は全国大会行くような所だったし、大学では副キャプテンとかをしていて相当苦しいことも乗り越えてきたので、よっぽどのことがなければめげないと思っていました。しかし、この時は本当に心がボキボキに折れました。

そして欲に逃げ、またうつに近い状態に戻っていきました。この時もうつの時もですが、本当に思い出すたびに笑えるくらい激烈な苦しさで、もう心も体も苦しすぎて、よく涙が溢れてきました。
しかし、自分は腐っても研究者の端くれです。もっと深い原因について研究し始めました。今までの考察は浅かったのだろうと思いました。なぜこんな苦しみが生じるんだろうか?どうやったら乗り越えられるのだろうか?もっと本質的な原因は何か?

もう一度そうなるということは、本質的な解決をできていなかったということだろう。そうしてまた実験と考察を繰り返していきました。
その結果、ある一つの結論に自分は辿り着きました。苦しみは自分の心が作り出している、と。そして、この心を変えない限り乗り越えることはできないと。


どういう結論に至ったのか、簡単に書いてみます。
例えば、誰かに怒られたとして、ある人は苦しみに感じるが、ある人は何とも思わないかもしれません。
病気で入院したとしても、ある人はやりたい事ができずに苦しみに感じるかもしれませんが、ある人はさぼれてラッキーと思うかもしれません。
オーバーワークしても平気な人もいれば、潰れてしまう人もいます。
誰かに告白されたとしましょう。その人が好きな人は喜びに感じるかもしれませんが、好きでない人にとっては迷惑かもしれません。
ある食べ物を食べて、まずいと感じる人もいれば、美味しいと感じる人もいます。
イタズラをされて嫌悪をする人もいるかもしれませんが、別になんとも思わず、むしろコミュニケーションとして喜ぶ人もいます。
痛みに強い人もいれば、弱い人もいます。
病気を乗り越えられる人もいれば、乗り越えられない人もいます。
自分の中でも、同じ試練を乗り越えられる時と乗り越えられない時があります。

条件によって、同じ事象が存在していても、どう感じるか、苦しみなのか喜びなのかが変わります。
何がこの差を生み出しているのでしょうか?

条件によって変化するということは原因ではないということです。つまり、外的条件は今苦しんでいることの原因ではないという結論に至りました。
では真の原因は何か?と考察をしていった結果、これは自分自身の心だという結論に達しました。

うつが治りつつあった時でなければ、そこまで苦しく感じずに乗り越えられたかもしれません。しかし、うつが治ってきて希望が見えてきた直後であったために、より苦しみが大きかったと感じました。その違いは、自分の心です。

また、ここから考察をしていって、全ての苦しみは心が作り出しているのに過ぎないのでは?という仮説を立てました。
痛みやだるさが本当に苦しみなのだろうか?やりたいことが何もできないことが本当に苦しみなのだろうか?違う。同じ事象でも、人によって、状況によって、感じ方は変わる。本来はただ刺激や事象が存在するだけなのに、その刺激や事象を勝手に苦しみや喜びだと決定しているのは心である。そういう結論に自分は到達しました。

つまり、痛みやだるさがあるから苦しいわけではないということです。痛みやだるさを苦しみだと認識する心が、苦しみを作り出しているのです。
では、なぜ苦しみだと認識しているのだろうか?と考えた時、喜びを味わい、そこに心が固定されて執着したからだという結論に達しました。
つまり、痛みがない安楽な状態を喜び、だるくなったら休んで安楽な状態を喜び、その状態や感覚に心が固定されて執着したから、痛みやだるさなどが生じた時、苦しみが生じるのだと思いました。

例えば、食べたいものが食べれない時苦しみが生じるかもしれません。しかし、食べれないことが自体はただの事象であり、食べたいという気持ちが満たせないことが苦しみなのであり、苦しみの本質的な原因は食べたいという気持ちが存在することである、と認識しました。

なぜなら、自分はタバコを吸えなくても酒を飲めなくても全くもって苦しくありません。それは、タバコで喜んだことがなく心が囚われていないからです。しかし、タバコを吸ったり酒を飲めなくて苦しむ人もいます。それはその喜びに囚われたからです。

そして、今までの自分の人生の苦しみを考察して、実は全て心が勝手に苦しみを作り出していたんだと理解しました。

他に認められる事を喜び、受け入れられる事を喜んできたからこそ、拒絶された時、認められなかった時苦しむのだと。
こうなるべきだという観念があるからこそ、そうならない時に嫌悪し苦しむのだと。
やりたいことをやり喜んできたからこそ、やりたいことがやれない時に苦しむのだと。
寝たい時に好き放題寝て安楽な状態を喜んできたから、寝れない時に苦しむのだと。
快楽を喜んできたが故に、快楽が満たせない時に苦しむのだと。
誰かを好きになり、喜びを味わったり執着したからこそ、失った時苦しみが生じるのだと。手に入れられない苦しみが生じるのだと。

そして、今の自分の苦しみは、物事が達成できることを、努力ができることを、結果が出せることを、そういうプライドを満たせることを喜んできて、自分の力を証明することを望んで生きてきた結果、そのプライドがぐっちゃぐちゃになり、苦しんでいることがわかりました。
そして、そんな現実に向き合いたくないがために、目の前の快楽に逃げ続け、より苦しくなっていき、ただ絶望している。それだけのことだなと思いました。

全ての苦しみの根本的な原因は、何かを喜んで囚われた自分の心であるという結論が自分の中で出ました。
何かを欲し、何かに喜んだ時に、いつか味わわないといけない苦しみの原因が心に生成されていると感じるようになりました。
そして、今自分が味わっている苦しみは、散々やりたい放題やってきて、酷いことも悪いこともしてきて、欲を満たしたい放題満たしてきた結果なんだと、逃げ続けてきた結果なんだと思った時に、しょうがねえなあと思い、立ち向かう覚悟ができました。

そして、喜びに比べて苦しみは何倍も大きいと感じました。どんどんデメリットが見えてきました。心が不安定になるし、エネルギーがなくなっていくし、終わる時も満たせない時も苦しいし、苦しみはたくさん生み出すくせに、喜びは一瞬かよと思うようになりました。なんか全くもって割に合わないなーと思い始めました。

そして、少しずつ何も欲しくなくなっていきました。

どんな喜びも、どんなに嬉しいことでも、それはいつか苦しむ原因を作っているに過ぎないと感じるようになりました。そして、あんなに苦しむのはもう絶対に嫌だ。何があっても嫌だ。だから自分はこんなちっぽけで一時的な喜びはもういいや。そう思うようになりました。

本当はただ事象が存在しているだけのはずです。痛みも快感も、怒られることも褒められることも、拒絶されることも認められることも、病気になることも健康になることも、失敗することも成功することも、借金まみれでも裕福でも、結婚してもしなくても、全てはただ事象が存在しているだけです。
しかし、それに意味付けをし、苦しみや喜びを感じでいるのは心です。そして、心が喜びに囚われた瞬間から、その裏に苦しみが生まれるのだと思っています。

しかし、そこから離れてしまえば、ただ事象が存在するだけになります。そこに喜びもなければ苦しみもありません。しかし、別の喜びが生じて来ます。心が平穏で安定し、何もなくても心が満たされて幸福だと感じるようになってきます。

僕らは外側の事象ばかり変えようとします。しかし、事象は常に変化し続けて、コントロールすることはほぼ不可能に近いです。事象が変わって一時的に苦しみがなくなったとしても、同じ事象が生じたらまた苦しみます。これはただの一時的な対症療法です。根本治療ではありません。
ですが、全ての元凶である自分の心を変えてしまえば、二度と苦しむことはなくなる、そう気づいた時自己の目指す方向性が決まりました。
しかし、そう簡単に心を変えることができるはずがなく、実際は本当に悪戦苦闘の日々です。コロナの時も1年乗り越えるのにかかり、うつとコロナとを合わせると2年以上は、本当にもうぐちゃぐちゃになりながら悪戦苦闘の日々です。葛藤し、逃げ、少し立ち向かい、もがき苦しみ、また逃げ、また少し立ち向かい、ただただ這いつくばることがほとんどの中で、ぐちゃぐちゃになったプライドを捨て、その時にできる本当に小さなことから今できることをし続けた結果、少しづつ自己の弱い心を乗り越えていきました。
そうやって一つ一つやるべきことをやっていくうちに、どんどん調子はよくなって来て、現実はどんどん好転していきました。結局、人間の真価は本当に苦しい時に問われます。そこであがき続けるのか、諦めるのか。全てを決めるのは自分の心です。そして、その心は本当に小さな小さな日々の心、言葉、行動、取り入れる情報、そういった小さなことの蓄積で構築されていくのだと思っています。

とまあこう書いていますが、心というものは本当に根深いもので、捨てれたと思っても深い部分からまた出てきて、悪戦苦闘の日々です。深い部分の自分の心は真っ黒で、日々自己との戦いです。

ですが、この先に自分が求めるものがあると確信しています。自分の今までの人生で、心は満たされることはありませんでした。何を得ても何を達成しても、何かが違う。スポーツで成果を出しても、勉強や研究で成果を出しても、やりたい勉強をしても、好きな人と付き合っても、ゲーム好き放題してみても、漫画や映画を見ても、旅行とかにいってみても、食べたいもの食べても、何かが違う。一瞬は満たされた気がするのですが、次の瞬間にはまた求めていて、苦しいままででずっと満たされることはありませんでした。
しかし、うつやコロナで自己の心と向き合って、弱い心を乗り越えていったある時、心から満たされる時がありました。その状態は3日くらいしか続かなかったですが、何かを得ているわけではなく、何をしているわけでもなく、ただただ心が何にも縛られず解放されていて、何も得ていないのに満たされていて、人生で一番幸福を感じました。

そして、今は唯一欲しいものは、究極の心だけです。自己の全ての汚い心、弱い心を乗り越えて、何が起こってもどんな状況でも一切苦しまない、そして絶対に折れることのない究極の心を手に入れる。それが自分の目標です。

復活

そんなこんなを経て復活し、Acompanyに入社しました。まあしかし、実際は入社してからもそこそこ引きずっていて、仕事をするには支障はないくらいには回復していましたが、本当の意味で完全に乗り越えられたと思えたのは、本当に最近のことです。

それはさておき、入社してしばらくは R&D チームの正社員として働いていました(その前からインターンとして多少働いていました)。
3ヶ月ほど経った頃、それまでマネージャーだった近藤さんが海外事業の責任者になるとのことで、マネージャーを打診されました。当時はまだチームは正社員メンバー2人しかいなかったのもあり、まあ自分でいいかなという感じだったのかなとは思います。

うつになる前の自分ならそれより研究をしたいという事で断っていたと思いますが、この頃はどんな仕事をしても苦しまない心を作りたいと思っていたので引き受けました。

仕事は、以前の自分だったら嫌だと思っていたものも結構あったと思います。人のマネジメントなんてやれるような人間じゃないと思っていたし、法務、ビジネスと関わって色々やったり、特許周りのことをやったり、採用や採用周りのことをやったり、他のチームとの連携をして色々したり、レビューしたり、チームに関わる雑務や効率化のためのタスクをしたり、取引先とのやり取りに関わったり、まあ以前の自分だったらそんなことより研究をさせろと思っていたし、自分には荷が重いしやりたくないと思っていたことでしょう。

また、マネージャーという立場は自分が問題を解くことは基本的にはなく、問題を整理して定義してヒントを与えることくらいはやるけれども、実際に解くのはメンバーです。コードを書くこともほとんどなくなり、MTGや論文読んだり資料作成してると大体一日が終わってしまいます。

美味しい部分だけを渡して、皆がやりたがらない面倒なことを引き受けるような仕事をしている、以前の自分ならそう感じて嫌がっていたかもしれません。しかし、それを全く苦しまないでやれるようにすることこそ自分の目的なので、素晴らしいことだと感じます。

心の力

最近は、心の力というものを感じることが多くなってきました。
昔は完璧主義で、自分が思い通りのパフォーマンスを出せなかったりするとよく自己嫌悪をしていました。その結果パフォーマンスが悪くなったり、機嫌が悪くなったりすることもありました。しかし、プライドなどからある程度離れたことで、今のベストを尽くすことしか考えなくなりました。

仕事や学問等からある程度は心が離れていて、また嫌悪や快楽を求める心や、妥協、逃げ、承認欲求、嫉妬や負けたくないという心から、ある程度は離れられてきました。だからこそ、基本的にどんな状況でもあまり心が動かなくなってきて、エネルギーを無駄に消耗することがなくなり、気力や体力が充実してきました。

仕事からある程度心を離していると言っても、別にサボるというわけではありません。サボるとか妥協をすることは後に苦しみにつながると分かっているので、そういうことはしません。

そうではなくて、仕事がうまくいくとか、うまくいかないとか、メンバーがどうとか、仕事の内容がどうとか、やり方がどうとか、上司がどうとか、会社がどうとか、プライベートがどうとか、お金がどうとか、そういうものに一切とらわれず、ただただその時にできる自分のベストを尽くす、それだけです。

もちろん、Acompanyは優秀で優しいメンバーが揃っているので、特に何かあるわけではありません。
ただ与えられた仕事がどんな仕事であっても、たとえ明日からどぶさらいの仕事をしてくださいと言われても、認められなくても、ただただその時にやれる自己のベストを尽くす。例えクビになったとしてもしょうがない。別の仕事をやるだけです。大したことではありません。

そこに認められたいという気持ち、やりたいことをやりたいという気持ち、プライド、その他色々の何か、そういうものがなければ一切苦しみはありません。ただただ淡々とやるべきことをやるだけです。
そう思えるようになってから、ブレーキがなくなりました。心が平穏で安定するようになりました。

自分になんかにマネージャー務まるのか?務まっているのか?そう思った事もありますが、自分にできるベストを尽くす以外にできることはありません。能力が足りなければ勝手に外されるでしょう。別にそうなっても些細な事です。自分にできる、その時最も必要なことをやるだけです。
また、ある程度バイアスから抜け出せるようになってきました。1次情報に当たるのが大事だとよく言われますが、それだけでは不十分で、人は自己の観念を通して歪んだ解釈を常にします。

こうなってほしい、仕事がうまくいって欲しい、この人がこうなって欲しいという思いが、都合の良い情報だけを抽出します。これはこうだろうという観念が、間違った解釈を引き起こします。
しかし、それがなければフラットに見えるものです。好きな人に対しては欠点がなかなか見えず、冷めたら欠点ばかりだったという経験をしたことがある人はいるでしょうか?また、盲目になっている友人を見て、こうしたら良いのにと思ったことはあるでしょうか?

人は関係ない他人のことはフラットに見えるものです。しかし、自分や自分が執着のある人に関しては、途端に判断を誤りがちです。
そういうことは仕事でも常に起こりえます。嫌いな人の意見をしっかりと聞いているでしょうか?ごま擦ってくる人の意見だけを優遇していないでしょうか?人によってバイアスをかけてみていないでしょうか?これはこうだろうという思い込みでミスをしていないでしょうか?観念で勝手に可能性を捨てていないでしょうか?都合の良い情報ばかり探していないでしょうか?
そもそも、好き嫌いが生じている時点で何かしらの観念や執着があるわけですが、そこに執着や思いがあればあるほど、物事の本質は見えなくなってきて、正しい判断ができなくなるものです。

しかし、R&D活動にそう言ったものは不要です。良ければなぜ良かったのか?ダメだったならなぜダメだったのか?論文を忠実に読み取れているか?再現できているか?原因と真実を追求して、物事を前に進めること以外必要ありません。何かに無駄にこだわる事も、サンクコストを惜しむことも必要ありません。

ただただ、どんな状況でも必要なことをベストを尽くしてやる。それ以外のものは雑念でしかありません。

また、人間の能力は心によって強い制約を受けています。自分にはできない、自分には乗り越えられない、自分には向いてない、こんなことできるわけがない、失敗して見下されるのがいやだ、下手なことやってバカにされたくない、できない自分を見たくない、今更始めても遅い、他人と比べて自分はとか、他人の成果をあんなの大したことないとか、あいつは苦労せずにできていいなとか、そういうプライドや嫉妬や観念が能力を大きく縛ります。
しかし、そういったプライドや邪魔な観念がなければ、ただできるようになるための努力以外存在しません。その結果、できるようになるのです。自分もまだまだ未熟ですが、何かをできないと思うことはあまりなくなりました。ただ、心が縛っているだけだと気づいたからです。できるように努力を続ければ、できないと思っていたことも普通にできるようになるものです。
また、最近は集中力が切れることも少なくなり、気がつくと業務時間が終わることが多くなりました。何かにとらわれることが減り、雑念が少なくなってきたせいでしょうか?人生で一番集中力や体力があるという状態を、波はあるものの更新し続けています。

マネージャーとして

自分は元々プライドはエベレストより高かったし、承認欲求もすごく強かったですが、今は相当になくなりました。メンバーは普通に自分より優秀だなーというメンバーばかりです。以前の自分なら嫉妬だったり、変なプライドがたくさん出ていたかもしれません。しかし、今は特に何か思うこともありません。ただただ称賛して、できるところは吸収して、後はメンバーがもっと力を発揮できるようにするのみです。

もちろん自分の力を増やす努力はしますが、自分の力が足りないなら、メンバーの力をより引き出せば良いだけの話です。自分の力が100 から120になるより、80しか発揮できていなかったメンバーの力を100発揮できるようにする方が何倍もチームでの出力は大きくなります。

そのためには、どんなことがあろうが嫌悪して接したり、主張を理解しようとしなかったり、納得しないまま無理にやらせたり、無駄に不安にさせたり、メンバーの心を不安定にするようなことを少しでもするようではダメだと思っています。それをするようでは、マネージャーとしての資質はないと思いますし、むしろそれを取り除くことが仕事だと思っています。

いかにメンバーに力を与えるか。障害を取り除くか。それこそがマネージャーの仕事かもしれないなと思うようになりました。
人間というのは思った以上に接している人間に影響を受けます。イライラしている人が周りにいると、自分もそういう気持ちになってきますし、他の人が良いことをしてると自分もするかという気持ちになります。これは心に思っているだけでも出さなくても伝わります。
不機嫌な上司がいるだけで、体感ですがメンバーのパフォーマンスは20%くらいは落ちると思っています。つまり、マネージャーである自分の心が乱れるだけで、チーム全体のパフォーマンス自体が大きく下がるということです。

逆に、自分が最も安定した心の状態でいれば、それは少しずつ確実にメンバーに良い影響を与え、その積み重なりは大きな力になると考えています。
自分ができているとは露ほども思えませんが、日々そうなれるように努力したいと思っています。

また、マネージャーの大事なことの一つにタスクを手放すことがあると思います。例えば研究がしたい、コードを書きたい、この分野のことをやりたい、そう思っているとその辺のタスクを手放すのは辛いかもしれませんが、自分にはそういうのはあまりありません。
ただ、手放すことに関しては自分は少し課題があり、メンバーにあんまり大変だったり面倒なところはやらせたくないなーと思ってしまったり、うーんこれは自分がやったほうが早いかもなと思ったりで、結構タスクを持ってしまったりすることもあり、反省するところかなと思っています。

捨てることは得ること

捨てることは何かを失うことだと思っていないでしょうか?しかし、そうではありません。捨てることは得ることです。捨てるからこそ、それ以上の何かを得られるのです。


部屋にある必要なもの以外のほとんどのものを売るか捨てて処分しました。その結果、部屋が広くなり、整理されていて、心が軽く、仕事や生活がとてもしやすくなりました。
快楽を味わいたいという気持ちをある程度捨てたことで、苦しみが少なくなりました。日々気力や体力に満ちて、活動できるようになりました。
物欲や金銭欲をある程度捨てたことで、安い生活費で生活できるようになり、将来への不安が消えました。心が楽になりました。
嫌悪やいらない観念をある程度捨てたことで、心が平安で安定して、疲れることも少なくなり、人間関係が良く、和気藹々と活動できるようになりました。
無駄な情報を見たいという気持ちを捨てたことで、頭が整理され、集中力が増し、アイデアが湧くようになり、必要なことに取り組めるようになりました。
恋愛や結婚をしたいという気持ちを捨てたことで、お金を使わなくなり、時間も減らなくなり、恋愛感情という苦しみから解放され、心も平穏になりました。男女間系の苦しみや人間関係トラブルから解放され、離別という苦しみからも解放されました。
プライドを捨てたことで、メンバーから色々教えてもらえたり、ただ今の自分のベストを尽くすことだけに集中できるようになりました。
承認欲求を捨てたことで、心が安定して、自分が何かを達成することにこだわらなくなりました。認められることにこだわらなくなりました。その結果、逆に仕事は進むようになりました。
嫉妬や負けたくないという気持ちを捨てたことで、他と比較して無駄に苦しむことがなくなりました。ただ称賛して良いところを吸収できるようになったことによって自然と能力が身につくようになりました。
やりたいことをやりたい気持ちを捨てたことで、マネージャーになって、色々な視点が増えたり、色んなことを他のチームやメンバーから教わったり、よりアイデアや能力の幅が広がりました。

いろんなものを捨てたことで、自分は心の幸福を得ました。もちろんまだまだまだまだ未熟も未熟で、捨てれたと思っても全然捨てれていなくて、日々自己と悪戦苦闘の日々ではあります。

しかし、日々何もなくても満たされていて、心の幸福を感じるようになりました。捨てるごとに人生が楽になっていって、心が満たされるようになっていって、自分の求める本質的な幸福に近づいていると感じます。
色んな経験を経て自分は、自己を捨て、心を成熟させることこそが、最も自分に大きな利益と幸福をもたらすのだと確信しています。

I DON’T WANT ANYTHING. BUT I WILL GET EVERYTHING.

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