爪切男『もはや僕は人間じゃない』を読む
爪切男という愛に生きるひと
さてさて・・・
私、以前にこのようなものを書きました。
TBSのドラマにもなった「死にたい夜にかぎって」を書いた爪切男さんの2作目
もはや僕は人間じゃない
孤独から救い出してくれたのはパチンコ中毒のお坊さんと、オカマバーの店員だった。『死にたい夜にかぎって』から1年。辛い過去を笑い話に変えながら、人生のどん底を乗り越えた男の実話。(上記サイトから)
この作品を読み終える。
とても響いた。
今の自分の心に素直に響いた。
前作の続編的な・・・掛け替えのない女性を失ってしまい、傷心の爪切男青年が、周囲の人たちとの出会いにも恵まれて立ち直っていくストーリー。
・・・なのだが、もちろんそこは爪切男である。
当然、一筋縄ではいかないのであるが、父親を亡くしたばかりの自分にとって、住職の言葉は爪切男というメディア(媒体)を通じて自分の心にスッと水が染み込むように入ってくる。
この作品を読んでいるうちに癒されているような感覚になるのだ。そして爪さんの父親との関係性、うらやましいなあ、と心から思える。(健在だから、という単純な理由ではなく)
自分の父親は中学~青年期、本当に居て欲しいときに居てくれなかったからなあ。15年ぐらい蒸発していた。だからたとえスパルタとはいえ愛に満ちた濃密な関係があるのは素直にうらやましい。
トリケラさんとの出会いも本当にうらやましい。こういう心の友(安っぽい表現で恐縮だけど)を社会に出てから得られるのは本当に素晴らしいことだね。
出会いって、異性との出会い、付き合いたい結婚したいとか、そういうことだけじゃなくて、もっと本質的なものだったんだなあ、と改めて思わせてくれた。
爪さんに読んだあとの感想を送ったとき、周りの人に恵まれただけです、というようなことが返ってきたけども
いやいやとんでもない!
周囲に自分にとって大事な人が集まる、出会えるのは、決して偶然なんかではない。必然。その人自身に周囲の人を惹きつける何かがある、持っている、からだ。
イメージとすれば、三国志の劉備玄徳や、項羽と劉邦の劉邦みたいな。
当然だけど全くダメな人にわざわざ救い手を差し伸べる人は少ないだろうし、周囲に恵まれている人には、やはり恵まれる状況になるだけのものがある。
なにごとにも理由があるのだ。
これは、いわば爪切男という太陽の周りをグルグルと回る火星や金星のような、爪さんの光を浴びて輝く住職やトリケラさん、というような。もちろんこれは爪さん視点で見るからだけど、住職やトリケラさん視点で見たら逆に彼らの周囲をグルグルと回って光を受けて輝く爪さん、という構図に他ならない。
前作にも感じた『臨場感』
そして、ここが爪切男という作家の非凡なところなのだろうが
その場に一緒にいるような臨場感
が、常に紙面にある。
住職から説法を聴いているときは爪さんの隣に座って一緒に、うんうん頷きながら聞いているような。
あるいはパチンコを打っているシーンでは隣の台に座って耳だけ2人の会話に耳を傾けつつ自分の出玉を見つめているような。
そして、トリケラさんとの一言一句のやり取り・・・
その場にいて、一緒に体験しているような感覚になる。
これを紙面を通じて読者に提供できる人は、恐らくプロの作家でもそうそう居ないだろう。自分自身そんなに大量に本を読んでいるわけでもないがそこは自信を持っていえる。
住職の説く中道の教えは本作に限らずこれからの人生にも活きる教えだよなあ。
今の世の中、とかく右だの左だの上だの下だの考え方や生き方が極端に偏りがちである。
一度そういうものをリセットしてみて、フラットな視点でものごとを見て、そして自分の目で見たものを通じて自分の頭で考えて、判断してみる、ということが必要なのかもしれない。
以前にテレビでデーモン小暮閣下も同じようなことを言っていた。(ような気がする)
中庸であれ、と。
まあ、肩ひじ張らずに、リラックスして生きていきましょうや。
人間は、なるようにしかならないから。
真ん中にいればどちらの良いところも取り入れられるからその分お得ですぜ、と。
そう考えたらもっともっと楽に生きていける気がする。
爪切男は”あにき”のようなひとである
読んでいて思うのは爪さんの愛である。
性別や年齢なんか関係ない。
そこにあるのは、人間そのものの、むき出しな愛。
本の中に、『ウゴウゴルーガに出てくるみかん星人に似た~』という表現が出てくるが、その伝でいえば爪切男は
誰にも優しく
愛に生きるひと
・・・の、あにきである。
もはや僕は人間じゃない
この本のタイトル。
前作の『死にたい夜にかぎって』というタイトルも素晴らしかったけど、今回のタイトルも本当に素晴らしい。
もはや僕は人間じゃない
読む前と読んだ後で、そのタイトルのとらえ方が全く違ってくる。
そういう意味だったのか、と。
本当に素晴らしい。
作家の椎名誠だったと思うけど、小説を書くときに何が難しいかというとそれはタイトルである、と自身のエッセイで語っていたと記憶している。
タイトルによってその作品の印象が決まってしまうと思うし、たとえばその作家のことを全く知らない人が興味を持ってもらえるか、実際に手に取ってもらえるか、それはタイトルに左右される部分が非常に大きいと思うのだ。
その点では作家爪切男という人はその才能を存分に発揮している。
そして、それをリアルタイムで、現在進行形で見られる幸運を感じられている。
爪さん、ありがとうございます。
そして、今後もまたよろしくお願いします。
落ち着いたらまた飲みましょう。
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