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スギヤマさんと納豆と、ヤギとオレと
納豆が大好きである。
大粒よりも小粒、小粒よりもひきわり納豆が好きである。
何故かというと、ひきわり納豆の方がご飯が美味しく食べられる気がするからだ。メシの粒に細かな納豆の粒がよく絡んでより美味しく食べられる気がする。さらに白いご飯だけではなく、たとえばラーメンに入れても蕎麦のつゆに入れても、あるいはスパゲッティーに混ぜても、粒が細かいひきわり納豆だからこそそうした色んな食材にも合う気がする。それに使い勝手が良さそうだし。
納豆
納豆を食べる度に今でも思い出すことがある。
ずいぶんと前の話。倉庫でアルバイトしていたときのだいぶ年上の先輩でスギヤマ(仮名)さんという人のことを思い出す。
スギヤマさんの年齢は59歳。
毎日毎日「定年まであと〇日・・・」と、地球滅亡まであと〇日の宇宙戦艦ヤマトみたいなことを常に呟くぐらい定年になるのを今か今かと楽しみにしており、『俺よう、定年になったら俺はもう毎日さあ、釣りに行くんだ』と、谷岡ヤスジのマンガに出てきそうな顔をくしゃくしゃにさせ、いつも楽しそうに話していた。
参考画像
※この顔をおじいさんにさせて、度の強めな眼鏡をかけさせた感じである。
◆肉が食えなかったスギヤマさん
今でいうベジタリアンとかヴィーガンとかいうポリシーというかファッション的なものではなくて単純に肉が苦手で食べられない。なぜかというと、それは彼が子どものころに受けたトラウマに起因する。
鉈(なた)ですよ鉈・・・
スギヤマ家にはいつもエサをやって寝床も作って可愛がって飼っていたヤギがいた。
ヤギの世話をするのは主にスギヤマ少年の役割で、そのせいかヤギもスギヤマ少年に大変懐いていた。お互い相思相愛というかベストパートナーという雰囲気すらあった。
そんな中である日のこと。一人と一頭の関係に不穏な空気が走る。忍び寄る黒い影。スギヤマさんの父親だった。
彼はいつも通りヤギの世話をしていると、近寄ってきた父親が「お前ちょっと離れてな」というが早いか持ち出した鉈でヤギの頭にそれを一閃!振り下ろす。
あわれ少年が可愛がって世話をしていたヤギは、一刀のもとに首を斬り落とされ (以下自粛) されて、何やかんやでその日のスギヤマ家の夕食のおかずになったのである。その当時としては大変貴重な動物性のタンパク源だった。
しかし、いくら人間が生きていく上で仕方がないとはいえ、ずっとエサをあげて可愛がっていたのはスギヤマ少年である。目の前で彼も想像だにしなかった衝撃映像を目撃してしまった精神的ショックは計り知れない。
その出来事は少年の心にしっかりと刻み込まれた。
その後何十年と肉が食えなくなるほどに。
そして時を同じくして・・・
◆戦闘機に機銃掃射された経験があるスギヤマさん
ちょうど飼っていたヤギを夕飯で食べるはめになったそのころ。時代は太平洋戦争末期。少年時代のスギヤマさんは神奈川県は平塚市に住んでいた。
そのときにスギヤマさんはアメリカ軍の戦闘機から撃たれた。
撃たれた・・・と一言でいうと、たとえばピストルとか拳銃(同じか)でパンパン撃たれたみたいな軽いものに感じられるかもしれないが、戦争の中のワンシーンというか戦闘機に装備された機銃で掃射されたというガチのやつである。
もうね、プライベートライアンの世界だし、当たったら痛いよね・・・というレベルの話ではない。(当たり前だ)
イメージ動画
B-29 スーパーフォートレス
漫画『はだしのゲン』や映画『火垂るの墓』をはじめ、日本の戦争史ではすっかりオナジミの存在。日本にとっては憎っくき不俱戴天の仇と言っても良い存在、アメリカ軍の爆撃機のエースB-29である。
もしかしたらあまり知られていないかもしれない。
当時、神奈川県平塚市には大日本帝国海軍などの軍需工場や施設があり、そこもアメリカ軍の攻撃対象とされたのである。すなわちB-29による空襲である。
そしてB-29のような爆撃機には、敵(日本軍)の戦闘機から護衛するための戦闘機が一緒に飛んでいて・・・
P-51 マスタング
主な役目は日本の本土を爆撃するB-29を護衛することだが、すでに太平洋戦争末期。日本にとっては“どうあがいても絶望”な状況であり、アメリカ軍がわざわざ平塚まで空襲に来たころ、来襲する敵機をロクに迎撃できるだけの余力はなかった。
アメリカ軍は日本本土空襲においてB-29の護衛としていたが、大戦末期に組織的な迎撃が不可能になったと判断し任務を対地攻撃に切り替え、爆撃機から離れ低高度まで侵入する許可を出した。当初は工場や鉄道などインフラを狙っていたが、次第に漁船や家屋など徴用された可能性のある目標を攻撃し、最終的には走行中の自動車や民間人を直接機銃掃射するようになった。顔が見えるほどの低空で飛来し『動く物は全て狙う』というマスタングは、絨毯爆撃を行うB-29と共に民間人にも知られた存在であった。
※文章は上記サイトからの引用
> 最終的には走行中の自動車や民間人を直接機銃掃射するようになった
まさにこれ!!こういうことなのである。
これによって爆撃や焼夷弾による火災以外にも多くの民間人が犠牲になったという。
広島、長崎の原爆は言うに及ばず、東京大空襲などで大活躍したB-29という悪魔のような爆撃機の陰にかくれがちだけども、こうした戦闘機による一般市民の犠牲も決して少なくなかった。
> 『動く物は全て狙う』
生き死にをかけた緊張感MAXな戦闘機との対決ではない。向こうからしたらまったく無抵抗な一般人を射撃する。ある意味ゲーム感覚で撃って楽しんでいたことだろう。でなければ『人の顔が分かるぐらいの低空を』飛んでいながら子どもなんて機銃掃射できるはずもない。
襲いかかるP-51から必死に逃げるスギヤマ少年。
しかし、履いていたワラジの緒の部分がブチッ!とちぎれて転倒、その瞬間バリバリバリバリッ!!P-51の機銃が放った弾丸は少年の頭をかすめ、轟音とともに過ぎ去っていった。
もしそのときに履いていたワラジの緒の部分がちぎれなかったら、そのまま走り続けていたら、確実にスギヤマ少年は10年の短い生涯を終えていたことだろう。まるで北斗の拳のケンシロウの胸の傷のような形で、少年が撃たれるはずだった場所に、機銃掃射の弾丸は連なった深い穴を残していた。そしてそれはそのまま少年の心に穴を残していた。
ヤギの首チョンパからの戦闘機による機銃掃射
戦争という時代の大きなうねりに翻弄される少年。それは荒波に飲みこまれる木の葉のごとくひどくはかなげな存在。
戦争は少年の心に深い傷を残し、そして少年は肉が食えなくなった。
そこからおよそ50年ほどの月日が経ち・・・
社会人生活もだいぶベテランになり、その間に結婚もしたし子どもも出来たし、そして離婚も経験した。ずっとタバコをたくさん吸い、ずっと浴びるようにお酒を飲むスギヤマさん。
もうね、日本酒なんか南アルプスの天然水でも飲むような感覚でコップに注いでガブガブ飲んでるの。当然翌日アルコールの匂いプンプンで出勤してくるので、よく他の先輩(当時50歳)が『スギヤマさんはありゃあ朝、飲酒運転で警察につかまるだで』とよくブツブツ言っていたものだ。
そんな生活を送ってきたので当然のように胃腸や肝臓をはじめいくつかの問題を抱えた彼は、かかりつけの医師から体の健康状態や栄養状態などの数値の悪さに『スギヤマさんねえ、あんたコレステロール値が低すぎるんだ。コレステロールは高いのはダメだけど低いのもまたダメなんだよ。肉が苦手なのは分かるけどね、ここは体のために無理してでも食べなさい』とややキレ気味に言われることになる。
ぐぬぬ・・・
医者に言われたからどうしても食べなきゃならないけども、もう何十年も食べずに生きてきたし今さら食べる気にもならない。でも先生がそういうからなあ・・・と覚悟を決めて、細かく切って炒めてもらった肉を、鼻をつまんで酒で流し込む。薬感覚で食べる…というか飲んでいた。
しかし毎回毎回そうやって肉を飲むわけにもいかないので、代替案としてのスギヤマさんの貴重なタンパク源は、魚介類と豆腐や納豆など大豆製品だった。
特に昼メシでは納豆を好んで食べていた。
倉庫の近くにセブンイレブンがあってそこでいつも昼食を買う。
パックに入ったご飯
おしんこ
味付け赤貝の缶詰
カップの味噌汁
そして納豆1パック
これがいつもの不動のラインナップだった。
◆今まで生きてきて一番衝撃を受けたんです私
まずは納豆をかき回すところからスタートする。
スタート地点は自分も同じだけどあのプラスチックの容器で納豆上手くかき回すのって意外に難しくて、力を入れすぎてハシでバリッと底に穴を開けてしまい納豆のタレがタラタラこぼれて泣くはめになることも少なくない。(特にボクは不器用なのでよくバリッと穴を開けてしまう)
その点、スギヤマさんは底に触れるか触れないかの瀬戸際で納豆をクルクルクルッと高速回転させて粘りを出す一種の名人芸と呼べるものだった。
こいつは金を取れるレベルだ・・・そういつも思って見ていた。
野球だってサッカーだって将棋だって、この人の技術なら金を払ってでも見たい!という人が大勢いるからこそプロとして成り立っているわけで、その考え方でいえばスギヤマさんの納豆の食べ方も金を払ってでも見たい!と思われるに十分なレベルだった。
おかめ納豆でもくめ納豆でもヤマダフーズでもどこでもいい。どこかスポンサーになってもらえないものか・・・と一時期は割と真剣に思っていたほどである。
名人芸によって十分な粘り気を持った納豆。
普通ならばご飯の上に一口分ぐらい納豆を載せてご飯と一緒にパクリといくはずだ。だってそれが当たり前な納豆の食べ方だもの。
そう思ってかたずをのんで見守っていると・・・
スギヤマさんはパックの納豆を全部ご飯の上にブチまけ、グッチャグチャにかき混ぜるという暴挙に出た。
えっ!おい何してんの?ねえ、何してんの??
全日本プロレスで二代目タイガーマスクとして出場をしていながらマスクを試合中に突然脱ぎ捨てた三沢光晴。そのときの試合の解説をしていたグレート・カブキのようなセリフを横で思わずつぶやく。(わかりにくいわ)
そしてよ~くかき回されたそれをズルズルズルーーーー!!!と盛大な音を立てて食べる。
いや、もう食べるというか納豆まみれのメシをすすって飲むという方がより正確な表現であろう。何という吸引力の衰えないダイソンのような見事なメシの吸い込みっぷり・・・
だがそれが実にウマそうだった。
そして残った半分ほどのご飯は味付け赤貝を汁ごとかけてズルズルっと食べ、合間におしんこをポリポリ、味噌汁ズズズッとすすりとにかく賑やかな食事だった。しかも毎日。
初めて見たその日、家に帰ってすぐマネした。
お皿にご飯を盛ってよ~くかき混ぜた納豆をかけてご飯とぐちゃぐちゃに混ぜて食べてみた。そしてズルズルズルーーーッとメシをすすってみた。
うめえ・・・
もちろん見た目は汚いことこの上ないし、何よりニオイがひどい。元から臭い納豆独特のニオイがご飯の熱によってより一層臭気を発するようになる。そして皿がネバネバだらけになって超洗いにくい。
でも、ウマイ。
そんなデメリットを補ってあまりあるウマさ。
特に感心したのがご飯をすする快感。
納豆によってご飯はスルスル入っていき噛まずに飲み込めるレベルになる。納豆ご飯ののど越し、素晴らしい。蕎麦とかビールとかよくのど越しっていうけど納豆ご飯ものど越しなんだなあ・・・としみじみ思った。
そして、納豆の食べ方に対して”固定観念”を持っていた自分を恥じた。
納豆が大好きなくせに納豆のことなんか何も分かっちゃいなかったんだ俺は
分かったふうな目で見て、薄っぺらく理解していたつもりになっていただけなんだ俺は
そう思った。
ご飯の上に一口分の納豆を載せて口に運ぶ。
ただそれだけの作業を機械のように脳死状態で繰り返していただけではなかったか。
なぜもっと他の可能性を考えつかなかったのか。
ひたすら自問自答が続く。
納豆を通じ興味を持った自分はスギヤマさんのご自宅にお邪魔したこともあった。
◆ネコとスギヤマさん
納豆のプロであるスギヤマさんは家で猫を5匹飼っていた。やよい、ゆう子、ミドリ、あけみ、ゆういちという名前がそれぞれついていた。
家に帰ると、おお、やよい~帰ったぞ~!というので『なんだスギヤマさんも隅に置けねえな』と思ったらネコのことだった。
『いや~最近俺さあ、寝ていて金縛りによく合うんだよねガハハハ』
といって、元々ムキッ!と出ている歯をさらにムキッ!!と出させて大声で笑っていたけど、霊的なものでは全然なくて、ただスギヤマさんが寝ている布団の上で夜中に5匹が集結して寝るので必然的に金縛り状態になっているだけだった。
スギヤマさんの家族は猫だけだった。
結婚し子どももいたけれどお酒が大好きで若干酒乱の気があり、それが原因で離婚していた。
『あの人はさあ、お酒さえ飲まなきゃいい人なんだけどねえ』
と言われてしまう典型的な感じの人だった。
神経質できれい好きなスギヤマさんは仕事から帰るとまず掃除機をかける。掃除機をかけながらコップに日本酒を注ぎ、まるで水でも飲むようにグイグイ飲む。掃除が終わるころにはすっかりいい感じに整っているというわけである。
そして帰り道にあるコンビニで買ったざるそばを食べて寝るというのがスギヤマさんの主な平日における一日の生活のサイクルだった。
朝は立ち食いそば店で蕎麦、もしくは焼き魚等の朝食セット
昼はセブンイレブンで購入したもので作る納豆ご飯
夜は日本酒を5合ほど飲み、シメにコンビニのざるそばを食べる
時おり昼に外食して、野菜炒め(肉は抜いてもらう)とかラーメン(チャーシューは抜いてもらう)を食べに行くこともあるけども、それが基本的な毎日の食事だった。コレステロールあります?って聞きたくなるような食事。それはかかりつけの医者じゃなくても『アンタもっと肉を食べなさいよ』って言うわなあ。
そうしてたどり着いた先にあったアルカディア、納豆。
ちなみに・・・。納豆はずいぶん昔から日本に存在していて、戦国時代では貴重なタンパク源としても非常に重宝されていたらしく、戦場で食べる食事として、ご飯と合わせてズルズルっと素早くすすって食べられ、なおかつご飯の消化吸収を素早く助け、素早くエネルギー源となる全体的に素早い型の非常に優秀な戦場食でもあったという。
元々、戦国時代の食事に非常に興味があって色々と本を読んでいるうちに、そのように納豆は優秀な食品だとわかったときに、ふとスギヤマさんの納豆飯が頭によぎった。
あっ!
思わず声をあげてしまった。
スギヤマさんの食べ方じゃねーかこれ!
メシに納豆を混ぜてかき混ぜて一気にすすり込む。
戦場じゃあ一分一秒の遅れが命取りになる。
そう考えたときにまたさらに あっ!と思った。
空襲でアメリカ軍の戦闘機P-51から機銃掃射されているスギヤマさん。
そのときもまさに戦場ッ・・・
そして古来から『男は敷居をまたげば七人の敵あり』ということわざがあるぐらい職場は男にとって一つの戦場・・・
ッッッ・・・!!!
戦場・・・
スギヤマさんは常に死と隣り合わせで、戦場を生き抜いていたのだ。
長らく平和ボケと言われる戦後の日本において!
まだ戦争は終わっていなかったんだ!!!
スギヤマさんの戦争は・・・!!!!!
だからご飯を、納豆を、あのように食べていたのだ。
倉庫の仕事を辞めて以来、スギヤマさんとは会っていない。
不況のあおりをモロに受け、倉庫をたたむことになった会社から真っ先にリストラの対象となってしまったスギヤマさん。公民館の一室に呼び出され、吸収した側の会社のエライさんから『非常に申し訳ないが新しい会社はアナタとは雇用契約する予定はない』旨を告げられた彼は、その日のうちに辞めていった。いつもにぎやかだった彼がずっと無言だった。
だからこそ、一度きちんと面と向かって御礼を伝えたかった。
スギヤマさん、その節はありがとうございました。
あなたのおかげで、自分は納豆を通じて考え方を柔軟に、物事をフラットに見ることが出来るようになった気がします。
まだまだあなたのように戦場で死を意識しながら生きることは出来ていませんが、平和ボケの頭を何とか振りながら、まだまだこれからと思って頑張っていきます。
先入観、固定観念を捨てろ
ありとあらゆる可能性から目を背けるな
納豆の可能性を信じろ
まだ戦争は終わってないっていうか、終わってない
迷惑メール対策とたまにB級グルメ的なものをご紹介いたします