私は、ついに、農耕牧畜民になる
なんの話かというと、仕事の進め方を変えてるよって話。
狩猟採集民的な仕事の仕方
ありがたいことに、3月頃から仕事も増えていき、その分、なんとなくでは回らなくなっていった。
納期ギリギリになることもあったし、子どもが体調崩したなど、突発的なことに受けるダメージが大きかった。
計画性もない。見通しもない。
なんとか間に合わせていて、なんとか間に合ってる感じ。
ストックという発想もなかった。
このような仕事の仕方は、狩猟採集民的だったのかも、と思う。
(狩猟採集民を馬鹿にしているわけではなく、定住社会の先の資本主義ベースで仕事しているのだから、おそらく、きっと、定住農耕牧畜民的な仕事の仕方の方があっているだろう。理にかなっているだろうという話)
ビジネス界隈?では、よく「種まき」という言葉を使うけど、
その種まきもなんとなくだった。
蒔けるときに、その辺に、適当に、まく。
たまに、運良く芽が出ることもあったけれど。
このような狩猟採集的な働き方でも、別に悪いわけではないのかもしれない。
1番の問題
でも、私にとっての一番の問題は「不安が、消えない。」ということだった。
とにかく、毎日が不安。
「この仕事間に合うだろうか…」
「もし、子どもがこども園休んだらどうしよう…」
言語化できないモヤモヤも現れてきて、毎朝、毎晩、なんだか胃の辺りが重たく地面に引っ張られるのだった。
狩猟採集民であれば、明日の獲物がとれるか、食料は手に入るのかという不安かもしれない。
しかも、納期にばかり目がいくと、じっくり思考することもできないし、読書(勉強)や自分の発信(種まき)も後回しに。
なにより、毎日がつながっている、積み上げている感覚がなくなってしまう。
余裕を作る
このままでは、いけない。
しかももうすぐ子どもたちは夏休みだ。
どうしたものか?
余裕をもつためには…納期ギリギリにならないためには…
そうか、ストックを作ればいい!
(なんだ、そんなこと?と思われるかもしれないけれど、私にはこの発想がなぜだかしばらく出てこなかった)
農耕牧畜民でいえば、余剰生産物。
お金でいえば、貯金だ。
たしかにあれば安心する。
余剰は余裕。思考だって、新しいことだってしてみたくなる。
農業なら、今日、天気のいいうちに畝でも作っておこうかな、あたらしい種を買いにいこうかなみたいな感じか?知らんけど。
なぜ、こうなったのか(自己弁護)
なぜ、狩猟民的になったのかといえば、思い当たるふしがある。
子育てが一因だろう。
子育て歴13年。
長男もまだまだ幼いうちに4人きょうだいになり、5年飛んでもう一人。
子育ては、イレギュラーの連続で、計画通りに行かないことがデフォルト。
次第に私は、できるときに、できることをやるというマインドになっていた。
「どうせ、スケジュール通りにはいかない。ならば、スケジュールなどはじめから作らない」と。
このときから、もともとそこまで計画的ではない私の計画性が、ゼロになった。
上の子4人は幼稚園から(3歳)入園だったため、10年間ずっと私のそばには子どもがいた。
4人目の入園、2人目の不登校の解決で、ようやく一人時間をゲットしたのも束の間、5人目が生まれた。
赤子を膝の上にのせてパソコンをたたく日々が続いた。
新しい毎日をつくる
自分が全てコントロールできる時間というものが生まれたのは、この4月。第5子が子ども園に入園してからだ。(なんだ、そう思えば3ヶ月くらいしか経っていないのか!)
実際、ひとり時間をゲットした時は、喜びとともに、たじろいだ。時間の使い方が、わからない…と。
ということで、また新しいフェーズに入った気がしている。
仕事の土台、暮らしの土台。しっかり固めていこう。
農耕牧畜民が、余剰生産物をつくり、文化を発展させたように。
(歴史的にみると、まぁいいことばかりではないけれど、それは置いておく)
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