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大晦日、ふるさとの思い出

子どもの頃の大晦日の思い出といえば、近所にあった祖父母の家へ行き、ご馳走を食べながら、歳取りの神様をお迎えしたことだ。

仏壇のある和室に、お膳をひとりひとり並べ、歳取りの神様が入ってこれるように、障子と窓を少し開けておく。

雪国なので、マイナスの冷気が入ってくる。だけど子どもの頃の私は、そのスッとした空気が入ってくると、歳取りの神様が入ってきたような気持ちになっていた。

お膳の内容は、なまこ酢、氷頭なます、煮物、蒸し鶏、ピンクの蛸の甘酢づけ…あとは、なんだっけ?あとで母に聞いてみよう。

上座に座った祖父と父が御神酒を飲んでいる。銘柄は秋田の酒「高清水」だ。
熱燗(ぬる燗かも)にして飲んでいた。

祖父が「おみきっこ「おみきっこ」って言っていたので、私は「おみきっこ」という飲み物なのかと思っていた。

(「〇〇っこ」と何にでも「こ」をつけるのは秋田の方言。「飴っこ」「じぇんこ(銭っこ)」など)

今思えば「神人共食」をしていたんだな。

子どもの頃、ふざけて「宴会だ〜」なんて言っていたけど、あながち間違いではなかった、と今更ながらに気づく。

座布団を積み上げてバランスゲームしたり、弟と出し物をしたり、幸せな時間だったな…
物心ついてからも、こういう家族の行事は大好きで、祖母の料理を手伝うようになった。
お膳にのせるお料理は、数日前から準備したりと、手間がかかっていた。
祖母はそれを粛々とやっている感じがした。

私が大学生になって秋田を離れてからも正月に帰省はしていたが、祖母が高齢になり、規模は縮小。

結婚して子どもがうまれてからは冬の帰省が厳しくなり、お正月は京都の田舎で過ごすようになった。(義父母と同居)
もはや楽しい大晦日ではなくなり、実家での楽しい思い出が強い分、ホームシックになった年もあったな。

けれどここ数年は、自分たちの大晦日を創ればいいんだと気づき、無理なく子ども自分もも楽しめるかたちを模索している。

今日は、大晦日。ちょっと思い出に浸ってみた。

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