見出し画像

BBQとの新しい向き合い方


私は、BBQが嫌いなのかもしれない。

BBQとは、楽しいものである。
BBQとは、家族や仲間と語らえる、思い出にもなるものである。
BBQは、非日常であり、いつもの食事とは違うものである。

我が家は田舎にあるので、いつでもBBQができる。
子どもが喜ぶからという建前で、主人はよくBBQをする。
買い物も、炭おこしも、焼くのも、片付けも、全部やってくれるので、別に、私は、それでよい。
(そして、よく後輩の子を呼ぶので、その子と子どもたちは遊べて楽しそうだ)

よいのだけれど。

子たちの寝るのが遅くなったり、栄養バランスが気になるところだったり、
1歳児の食べるものがほとんどなかったり、夜にあちこち走りまわって危険なので、追いかけ回して、結局大変だったり…それも別に慣れているし、織り込み済み。

子どもたちが楽しそうで、よかったな、父親と子どもの関わりも増えるので、よいこと、とは思う。

でも、なんでだろう?
別に楽しくない。

星空を見上げると、月や星が綺麗に見えた。美しい。
幸せ。家族がみんな元気で。こうやって、平和に営んでいること。
ああ、これを幸せというのか、と。意識する一方で、お疲れの自分。

なんやこれ。
なぜだ?
楽しもうという気持ちが足りないのか?
いや、そもそも、楽しむ必要性はないのかもしれない。

BBQは楽しいものだという思い込み、楽しまねばならないという固定観念に取り憑かれているだけなのかも。

これはまるで、恋のようで。BBQに対して、漠然と楽しいものだと思っていた幻想が、いろいろなBBQ経験を重ねるにしたがって、良い面も嫌な面も見えてきたから、だろうか?
つまり、恋人のことを知るにしたがって、美化された相手像が、良い面も、嫌な面もみえて、失望を重ね、ニュートラルなものになっていく様に似ているのでは?

…そうかもしれない。
ということはつまり、私には、BBQに対する新たな向き合い方が必要なのだろう。

来週は子ども関係でBBQをしなければならない。(私は、大量の飲み物を買う役目)
鍋奉行のように、その場を采配し、もてなすのは苦手だ。
だから、それができる人をみて劣等感を抱いてしまうのは毎回のパターン。

しかし、苦手なことは仕方ないので、
別のところに注目して興味深く参加できるようにしようと思う。

旧石器時代から火を囲んできた人間の様子をイメージする。
ヒトは集団で協力して生活していくために、親睦を深めてきた。
より動物としての人間に近い、子どもたちの姿がある。

人間観察でもしようか。

とかいいつつ、ママ友と楽しくおしゃべりして終わる可能性もあるけれど。

寝る前に、胃薬を飲んだ。
来週も、胃薬のお世話になりそうな気がしている。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?