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1995年の武藤敬司

プロレスが好き。
三代目タイガーマスクのローリングソバットを深夜のワールドプロレスリングで見たのが、一番最初に印象強く残ったシーン。当時中2。
以来途中少しサボった時期もあるが、30年くらい見続けている。
当時は週刊ゴング派。今みたいにSNSもないから、毎週発売されるのを首を長くして待っていた。地元に新日が来るとなれば学校は昼で早退。選手の会場入りを追いかけ、列も先頭にいるくらいのハマりようだった。

プロレス好きは意外と多い。ただこっちが言うと実は、、みたいな人が多い。世代なのかな?
最初のテーマにされやすいのが、「あなたのベストバウトは?」だろう。
迷いなく挙げる。

1995年 5月 福岡ドーム IWGPヘビー級選手権
王者 橋本真也 VS 挑戦者 武藤敬司

1995年の武藤敬司といえば、高田戦を思われた方が大半だろう。
夏にはIWGP王者として初のG1制覇、東スポ大賞MVPも獲った年だ。
だが、私にとっては5月の福岡なのだ。

武藤敬司の代名詞と言えば、結局は「天才」だろう。類まれな肉体に運動神経。スピードとバネ、膝の怪我によりテクニックやオリジナリティが目立っているが、身体の使い方は見事なまでで、全身を使って瞬間的に出るパワーは他のパワーファイターに引けを取らなかった。そもそも、得意技の一つでもあったフランケンシュタイナーは、背筋力が強くなければ出来ない。見ていて美しい動きにならない。さらには運まで味方にしている。入門時は新日選手が大量離脱した時。若手選手もフックアップされやすいタイミングだった。さらには、橋本・蝶野という生涯のライバルたる存在がいたのも大きい。坊主頭・黒のショートタイツの時代から、スペースローリングエルボー・ムーンサルトプレスを使っていたなんて今の時代で考えてもなんとも大胆な選手だ。海外遠征も早く、極めつけには全米マットでTOPスターにまでなってしまう。素晴らしい。
所謂スター街道を驀進していた訳だが、そんな「天才」が初めてブランクに陥ったであろう時が、1995年なのだ。

1995年。1.4東京ドーム後のシリーズ。時期IWGP挑戦者決定戦で当時の最強外国人選手スコット・ノートン(腕回り64cm!)と対戦し、敗れる。ここから急降下していく。下馬評で格下とされる選手にまでシングルマッチで敗れてしまう。あれほどのスターであり、華の塊であり、自己肯定感のみ、のような天才の口から出たのは、

リングに上がるのが怖い。

だった。3月。プロレスを見始めて初めて地元に新日が来るのを楽しみしていた私は学校を早退し、一番乗りで会場に向かうが、この日は欠場だった。
一番見たかった選手だけにショックは大きかった。深夜に見るワールドプロレスリングや週刊ゴングで、欠場中の様子も流れていた。お寺で座禅を組み精神と向き合っていた。これほどネガティブな武藤は後にも先にもないのではないだろうか?

4月。5月の福岡ドームのメインカードが発表される。絶賛大スランプ・欠場中の武藤が挑戦者として。当然周りの選手やファンから批判の声も挙がった。風向きは最悪だ。
そんな中、天才は試合復帰する。復帰戦の相手は、凱旋帰国後連勝街道をひた走り、上位選手の片っ端から勝ち星をあげていた天山広吉。挑戦者武藤に最も反発した選手だ。
そして、天才は敗れる。しかし、試合後の表情には微かに笑みを浮かべる武藤がいた。本人にしか分からない何かを乗り越えたような雰囲気だった。
今の人に分かるように言うなら、ルフィがカイドウに敗れ、ドンドトット♪ドンドトット♪ の音と共に、ニカッと笑うような。

5月。ドーム大会のメインイベント。ドーム大会と言えばド派手な衣装に演出。中でも武藤は他の誰にも勝る華の持ち主だ。その華やかな入場シーンに、挑戦者武藤は髭も伸びたままTシャツ1枚で現れた。
天才でもなく、スターでもなく、ただ純粋にリングを望む一人のプロレスラーだった。
王者橋本の攻めは激しく、重い。その厳しさに苦しい表情も絶え間ない。
しかし、泥臭くもしがみつき、耐えながら勝機を掴もうとする目は死んでいなかった。超重量級の橋本をドラゴンスープレックスで投げ切り前歯も折れた。しかし、最後は正にスターであり、天才だった。咄嗟の閃きからからのトップロープ・セカンドロープからムーンサルト二連発。
長く苦しい暗闇から光が射すことを告げるスリーカウントだった。

その後の活躍は言うまでもない。その活躍はこの苦しさがあってこそのものだろう。あれほどの天才でもこういった時期があったのだ。プロ意識が高く、プライドも高かったであろう人が、あそこまで弱い所を晒すことは想像を絶することだったのではないだろうか。逃げ出した先にあったのは、プロレスがしたい・リングに上がりたい、だったのだろうか。

プロレスは人間ドラマも醍醐味の一つ。ファンは都合よく自分に投影し、勝手に勇気をもらい、日々の生活の力にする。
プロレスを好きで良かった。


ちなみに、長州力のベストラリアットは、
1993年4月 マグニチュードX 対天龍戦のフィニッシュです。


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