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映画レビュー『怪物』(2023)/是枝裕和

私たちは互いにうっかり誤解するのではなく、
常に圧倒的他者性をぶつけ合い、相手を飲み込もうとしている怪物だ。

「地獄、それは他者である」(サルトル)的な他者性をテーマとした作品は数多くあったが、

『怪物』は、よくある1対1のすれ違いの悲劇ではなく、鑑賞者も巻き込みながら関係性N対Nを眺めさせる。

鑑賞している自分自身、
まさに怪物的な眼差しで登場人物を規定しようとしてしまう。

それにより、自分が忘れていた(忘れようとして忘れてきた)よりリアルな経験、途方のないわけの分からなさが氾濫する現実を思い出させる。

この現実の不条理は、
どこかの善良な誰かを暗い水底に転覆させてしまうような歪みを生む。

だから、誰にも言えない(と思う)ようなことが誰にでもあり、

だから、誰かに規定された条件に当てはまるものを幸せというのではなく、誰にも言う必要のない自分に適うものを見つけるのだ。

「誰でも手に入るものを幸せっていうの」

田中裕子演じる校長のこの言葉からは、
自分はささやかなそれすらも失ってしまった(孫を亡くした、家族が壊れた)という深い悲しみを感じるが、

同時に"家族を持ち孫がいる"ということもまた、規定された条件(誰かには手に入らない)なので、

避けられない怪物同士の傷つけ合いや不条理の中でそれでも自分の生を必死に受け入れようとしている(今手の中に残っているものや、この先出会うものを愛する意志)というようにも感じられた。

悲しくて強い言葉だ。
強さがあり未来への意志を持っているからこそ、校長はその慟哭をホルンの音色に替え、
打算的に(人から見たらおぞましくも映るが)孫の写真を安藤さくらに向けて置くことができたのではないか。

校長役の田中裕子の演技と坂本龍一のピアノに鳥肌がたった

いい映画だなあ

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