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僕の両親が同性だったら、こんなことにはならなった

死にそうな父親の姿に、僕は別の意味で泣きそうになった。


僕の父親はもうすぐ天寿を全うする。

父親の病気が発覚してから幾月か経ち、治療をしても快方に向かうどころか悪化する一方。

らしい。僕はそれを遠い親戚から知らされているだけだ。

僕に対してだけでなく、知らない子どもにまでも平気で言葉の暴力が振るえた父親は日頃の行いが悪い人生だったので、いくら治療してもその甲斐がないことを不思議に思わない。

そして、母親の様子がおかしい。

父親は僕を死の淵に追い込んた罪悪感からなのか弱みを見せたくないのか病気に関して何も連絡はしてこない。

母親は先月突然僕に「アマゾンでタム帽買え」と言ってきただけ。

何でタム帽なのか、誰のためのタム帽なのか、親戚づてに父親のためだと分かってからも、父親はいつ頃病気が発覚したのか、母親は昔と変わらず僕に対して指示を出すだけでいつもその理由や根拠を明かさない。

勉強しろ、邪魔だどけ、責任を取って命を絶て。

今度は買え、か。なんだか懐かしくも感じる。

ここ数日になって父親の容態が更に悪化した、と勝手に推測しているが、その理由は母親から僕への連続LINEが止まらないからだ。

「気丈に振る舞う」という言葉のように無理をして普通を装うのではなく、どちらかと言うと「テンションが上がっている」状態に見受けられる。

場面緘黙のように、母親からのLINEの内容はとても見る気になれない。

メッセージの中身はほとんど定かではないが、仕事のLINEと間違えてうっかりタップし母からのメッセージを開いたら、瀕死の父親の顔アップの写真が送られてきていた。

瀕死の父親の顔アップ。

暴力でアドレナリンが出ている瞬間の顔しか知らない父親のそれは、父親かどうか分からないくらい別人だった。

何より僕の脳裏によぎったのは暗殺された直後の故金正男氏のあの写真だ。

顔の筋肉を使う余力もなく、逆に言えばもう苦しんでいる顔でもない、無表情。

自分が瀕死の側だと考えてみよう。

ギリギリの視力の中、自分の命はあと少しかもしれない、走馬灯が見えてきそうだ、そんな自分の視野目一杯にスマホがかざされ、パシャリ。

そして自分に声をかけてくるわけでもなく、スマホに夢中の配偶者。

正しく気丈に振る舞っているのなら、こんな行動は取らない。

先程出てきた故人のような世界的有名人でもないので、このような撮影記録が正しいとも思えない。

「テンション上がって撮っちゃった。これはLINEでみんなに送らなきゃ。」

今の父親からどれだけ母親が見えているか分からないが、心配そうな顔、からは程遠いだろう。

なにせテンションが上がっているのだから。

たしかもうそろそろ実家の何十年ローンは払い終える。

同時に家事のカの字も知らない父親はそろそろ定年を迎える。

僕が学生時代、父親は家に帰ってこない日が当たり前にあった。

仕事ぶりが一切見えないレベルの仕事しかしていないのに。

年を取ってからも、ここ10年で2度転職するような不安定な大黒柱らしい、これも当然親戚から聞いた話だ。

一日中同じ家で過ごし慣れていなければ、家事を手伝ってくれるわけでもない、ハラスメントの矛先がいつ自分に向くかも分からない人が定年を迎えて一日同じ家の中で過ごすようになる。

一つだけ、思うように息子が育たず、僕に対しての自死教唆をしている時が数少ない夫婦の絆が見える連携の瞬間だったが、これが夫婦としての楽しい思い出に刻まれているのだろうか。

父親はドラマのようにタイミング良く、定年退職とローンを払い終える瞬間に命が尽きるようだ。

母親のテンションが上がる理由が浮き彫りになる。

一見母親が変に見えるかもしれないが、母親をこんな人間になるまで追い詰めたのは父親の素行問題なので、父親の自業自得でしかない。


それでも日本の政治家の大半はまだ「異性結婚だけが正しい」と言っている。

男性が働き、女性が家の中に居続け、男性は家事をしなくて良いし、外に女を作って良い。

政治家の皆さんに対してだけではないが、訴えたい。

僕の母がモラルの欠片もなく瀕死の父を記念撮影しばら撒いているこの事実が清く正しい夫婦の姿なのですか。

異性婚しか認めない世の中だけが正解なのですか。

日本が作った男女の格差が、僕の父親を、母親を生みました。

そして僕の両親が同性だったら確実に、僕はこんな意味不明な涙を流すことはありませんでした。


「私が息子に伝えておく」と言って、当日「来ないわね」で終わり、数日後に別の親戚から身内の集まりがあったことを聞かされたことが何度もある。

僕が知らないうちに「身内の集まりに参加しない僕」が出来上がってしまった。

都会の生まれ育ちだけど、父と母たった二人の機転だけで僕は村八分状態だ。


僕は父の葬儀には事前に呼ばれないだろうけれど、式当日に驚いた親戚が僕に連絡してくる、そこで僕は一応慌てて葬儀に向かうことになるだろう。

後からやってきた僕を見て、いよいよ親戚は母親にどう接するのか。

母親はどれだけ本性を剥き出しにするのだろうか。


病気の治療で脱毛した人が被る帽子のことを「タム帽」だと信じ込んでいる母親は、気丈に振る舞ってはいない。

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