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誰も彼も、複雑人生

私は、ちゃんと親がいる。

我が家はシングルマザーでバツ2だけど、
仲のいい家庭です。

母は3年前程、急なガンの宣告を受けました。
骨髄異形成症候群。難病です。
宣告を受けたすぐ入院をするほど時間が無いのだと肌で感じていました。

奇跡かのように、母の姉との脊髄液の形がピッタリだったので、沢山の困難を乗り越え、手術に挑みました。万全の身体では無くなってしまったけれど、母はちゃんと娘たちの元へ帰ってきてくれました。とても自慢に思います。

私たちの家庭は絆の強い家庭でした。
祖父祖母は教育の厳しい方々でした。
幼少期から幼児期小学校卒業まで祖父祖母、父母との生活でした。

私は、自分の気持ちをはっきり伝えることが
難しいです。

教育が厳しかったため、反抗期なんてものは、
やったらどうなるのだろうか。恐ろしくて考えられない程でした。
小学校の時、熱が上がってきてしんどかったのです。でもしんどい事を伝えるのが私には怖かったのでした。嫌な顔をされる。やっかいだったのでしょうか。風邪を引いた時は毎度のように泣いてました。しんどいから。、ではなくて、多分自分が迷惑かけている事に泣いてました。
これはいわゆる、今の私の自己肯定感の低さが物語っています。私は邪魔な人間だとかあの頃から思っていました。

でも家族の輪はとっても分厚いのです。
抜け出すなんてありえない。そんな風にも思えてきてしまう。だから今母が困難なのであれば娘が母の手足になるのだと、当然なのですが、
自然とそうなるのです。

母は私たちに絶大なる信頼を抱いている。
私の元から離れるわけが無いと。私たちも努力してきた母に、できる限り尽くしたいと感じます。
でも、これ程信頼しきっている人間同士でも、
人には、合う合わない。好き嫌い。
それが家族であってもあるのだと考えます。

あー、今すぐ逃げ出したい。どこか誰かと会えるなら夜中でかけて話をしたり、ぷらっと歩きに行きたい。のに、夜中に出るのは嫌な顔されます。
私たちはその嫌な顔が嫌いだ。不安がある、恐ろしい、自由を求めちゃダメなんだと感じるのです

でもこんな私たち家庭とは真逆な方々もいます。

幼児期に親が離婚し、学校を通いながら、
放課後学級にも通い、家に先に帰り、食事を1人で済ませた後、ヘトヘトの親が帰ってくる。

寂しいのです。誰もいない、相手がいない
親は忙しくて、家庭を維持するべく必死で、
子供のお世話にも相手をするにも疎かになってしまう。そうすると自然と夜徘徊するようにもなるのでしょう。ネットが居場所となる方もいるのでしょう。気持ちが荒く言葉でぶつかってしまう事もあるのだと思います。

そんな子供たちが過した日々は誰にも分かるほどでない、寂しさと、孤独がうめつくして、家庭のある、家族の輪がある家庭を羨ましく思うのでしょう。

私は家庭の教育が厳しくて
自分の気持ちを伝えるのが困難で、反抗もできない吐き出せない。つらい。
自由がまるでなくて逃げ出したかった。

彼らの家庭は
親が早くに離婚しシングルマザーファーザー
の家庭で、親との一日会う時間はこれ程も無く、
もっと向き合って沢山話を聞いて欲しかった。
もしくは、家庭内DVで乱れ、消えない傷のつく家庭もあるのかもしれない。

どっちがいいの。
なんてわからなかった。

ある物があって、無いものがある。
良いとこねだり同士で、お互いには無かったもの

だから、争うのはやめよう。
だれが、どっちが辛いとか、やめよう。

これからは、わたしが彼らが
自分のして欲しかったようになればいい。

家庭で己が変わってしまったのなら、
ホントの自分が出せる相手を探しましょ。
そして、
その人と、理想となる子育てをすればいい。

これが、運命であって使命なのだから。大丈夫。


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