生まれたくなかった、だから産まない。それだけ。

産まないことに罪悪感がある。相手さえいないのに。
世の中結婚して子供を作るのが当たり前で、それができない人は“変な人”で、確かにそれはそうなのだけれど、本当にそうなのだろうか。
なんて、そんな無意味な負け犬の遠吠えをしている毎日。どうぞ盛大に嘲笑ってください。今更傷つきもしません。嘘ですグサグサ刺さって痛いです。

正常に生きていられる人はちゃんと相手を見つけて命を繋いでいる。結婚適齢期だから、同級生を見ているとよくわかる。わかり過ぎてしまう。facebookを心のリストカットと表現した人と友達になりたい。まあ未だにいい年してリストカット しているんですけれど。

けれど、それでもやっぱり自分を正当化したいから思ってしまう。死にたい私が命を産み出さないのは正しいと。産み出さないだけなのに。タイトルに反してしまうけれど。産まないのではなく産めない。さすがクズ。

しかし結局、私から生まれた人間は相手がだれであれ幸せになれるとは思えない。私の遺伝子だし、私を選んだ遺伝子だし。劣っているのは確定なのだ。
だからどうということではないが、私はきっとこの判断を誰かに褒められたいのだと思う。こんなクソでも承認欲求の塊だから。良いことをしたと思っていたい。そんなわけないのに。

生きている限り、何らかの評価指標の中にいて、ばってんをつけられたら悲しくなってしまう。それでも新しい犠牲者を産まないことは大切だと思う。
生まれたら不可逆、戻れない。苦しむ人間を作らないことが最善だ。少子化に貢献したとしても。

なんて、言い訳くさいことを書いてしまった。それでも自分のこの判断は間違っていないと思っていたい。


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