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痛くても目を逸らさない。「夜が明ける」を読みました。

西加奈子『夜が明ける』を読みました。
読むのが痛かった、でも読み続けなければいけない、という気持ちで読みました。

西加奈子の本は、主人公の激しい心理描写に時には引きずられながらも振り回されながら、最後にはすごい景色を見せられてしまった、という感じだけど、この本もまさにそういう感じだった。

俺はアキに何かを託していたのかもしれない。俺にとってアキは社会に投げつける爆弾だった。優しくて、みっともなくて、無害な奴だったが、アキのような人間が、いや、アキのような人間こそが認められる社会であるべきだという、強い想いがあった。それで俺の生活が変わるわけではない。それでも、アキが世界で居場所を見つけることは俺にとって切実な急務だった。俺はアキを、世界に投げつけた。
仲良いから、美しいから、正しいから権利があるものではなくって、私たちはどんなにクズでも、ダメな人間でも、生きてるから、権利があるんじゃないの?

この日本という国では、「必要とされる人間像」というのがひどく画一的で、ワンパターンで、その型に皆が当てはまるように努力しているように見える。
効率が良くて、要領が良くて、人当たりがよく社交的。リーダーシップを発揮して、人をまとめあげて何かを「生産」する人間。そしていい大学に行っていい会社に入って、適切な時期に異性と結婚して子供を持つ。
まるで、効率が悪い人間は世界から必要とされていないように感じる。うまく人と関われない人も、静かなことが好きな人も、お金儲けに興味がない人も、何も「生産」できない人も。
そんなことない、と思う人もいるかもしれない。でも、社会の通念から外れても幸福でいられる人は幸福で、日本の社会にはまだまだ、広く重く奥底に、このような価値観がどっしりと横たわってしばらく動かないように思う。
枠から外れた人間は、「生きている価値がない」「自己責任」「生活保護は恥」。そんな声が聞こえてくるのは、この世界では全然不思議なことではない。

だから、本当はみんな誰かに言って欲しいのだと思う。「あなたは生きてていいんだよ」「誰の役に立たなくたっていい。命に価値があるんだよ」ということを。西さんは、そのメッセージをこれでもかと本に託して社会に訴えかけてくれているのだなと思う。そして同時に、社会の枠に外れた人は文字通り「生きていけない」社会になっていることを強く警告しているのだと思う。
会社の歯車になって働いていると、資本主義の波に飲まれて物欲に流されていると、社会の通念で自分を洗脳しそうになってしまう。
でも本当は、「こんなのおかしい」と思っていいとこの物語は言ってくれる。要領悪くても、人とうまく話せなくても、自社の製品に全然興味持てなくても。今日も会社で怒られても。自分は生きてていい。だから、皆も生きてていい。

読者に痛い思いをさせながらも、命を愛することを、優しく思い出させてくれる本だと思いました。

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