#148 産業革命期における紙漉きの機械化
『紙について楽しく学ぶラジオ/Rethink Paper Project』
このラジオは、「紙の歴史やニュースなどを楽しく学んで、これからの紙の価値を考えていこう」という番組です。
この番組は、清水紙工(株)の清水聡がお送りします。
よろしくお願いします。
手漉きから機械抄きへの転換
今回は、紙漉きの大きな転換点のひとつでもあります、「機械化」について、歴史を紐解いていきたいと思います。
そもそも紙が発明されたのは、およそ2100年前です。
現在の中国で発掘された麻の紙が、世界最古の紙と言われています。
この紙、名前が付いていて、「放馬灘紙(ほうばたんし)」と呼ばれています。
地図が描かれているので、世界最古の紙は「地図」ということになります。
さて、そんな紀元前に発明された紙は、19世紀になるまで、世界中で「手」で漉かれていました。
紙の歴史で言うと、現在のように機械で作られるようになったのは、最近のことなんですね。
そして、19世紀になると、紙は機械で作られるようになり、生産能力がグインとあがっていきます。
それでは、そんな機械化の経緯を見ていきたいと思います。
長網抄紙機の誕生
時は1798年。
フランス人のルイ・ローベルが連続して紙を抄く機械を完成させます。これこそが、世界で最も古い機械抄紙機です。そして、翌年の1799年には特許を取得します。
このローベルの抄紙機が世界に衝撃を与えます。
どんな機械だったのか?
いわゆるベルトコンベアと同じ発想で、紙を抄くパートと紙を乾かすパートがワイヤーでつながった機械です。
いわゆる、今の「長網抄紙機」の原型となった構造です。
(長網抄紙機については、別の機会に詳しく説明しようと思います。)
紙漉きの桶の上にワイヤーが流れていて、まずはワイヤーに桶の中の原料をのせていきます。原料がのったシリンダーが流れた先に上下2本のロールがあって、そこでプレスをして紙の水分を落とします。そうして出てきた紙を手で受け取る。
そんな構造の機械です。
この、ローベルが開発した抄紙機、ネットでも出てきますし、国内だと東京の紙の博物館に1/2サイズの模型も置いてあります。気になる方は、ぜひチェックしてみてください。
さて、このローベルが開発した抄紙機、アイデアはとてもよかったんですが、なんせ紙質が悪い。特に、ワイヤーに原料をのせる構造がダメで、紙の厚さを均一に出来なかったんです。
ここに改良を加えたのが、イギリスのフォードリニア兄弟。
このフォードリニア兄弟の抄紙機で、現在の長網抄紙機にグンと近づきます。
かなり実用的な長網抄紙機を完成させたフォードリニア兄弟ですが、残念なことに、見本を数台製造した段階で破産してしまいます。
この実用的な抄紙機を世に送り出したい。
そんな期待に応えたのが、イギリスの実業家のブライアン・ドンキンです。
彼は、1804年に、「フォードリニア・マシン」と命名して、産業機械として抄紙機を初めて製造、販売していきます。
そして、ドンキン・アンド・カンパニーとして、1851年までに世界中に向けて191台もの抄紙機を売っていきます。
ここまでが、抄紙機が開発されてから実用化されるまでの大きな流れです。
もう一度、流れをまとめておきます。
まず、フランス人のルイ・ローベルが連続抄紙機のアイデアを世に放ちます。アイデアは革新的でしたが、紙質がダメでした。
このローベルの抄紙機を大きく改良したのが、イギリスのフォードリニア兄弟です。今の長網抄紙機とも大差のない機械を開発しますが、試作機の製造の段階で破産してしまいます。
このフォードリニア兄弟の抄紙機を実用化させたのが、イギリスの実業家のブライアン・ドンキン。彼が世界中に抄紙機を売りだしていきます。
はい、ここまでが、抄紙機が開発されてから実用化されるまでの流れです。
先ほどもちらっと出ましたが、ここで言う抄紙機というのは、「長網抄紙機」と呼ばれている抄紙機です。
実は、抄紙機には大きく分けて二つの種類があります。
1つ目が、今紹介した「長網抄紙機」。
そしてもう1つが、「丸網抄紙機」という機械です。
(「丸網抄紙機」については、後程簡単に説明します。)
丸網抄紙機の誕生
1804年にフォードリニア・マシンが世に放たれてから数年後。
違うアイデアの連続抄紙機が開発されます。
もうお分かりですね。そう、「丸網抄紙機」です。
1809年に、イギリス人のジョン・ディキンソンが、丸網抄紙機の特許を取得します。
丸網抄紙機というのは、パルプの入った桶の中で回転するシリンダーが、パルプの膜をつくって、連続で流れていくフェルトに転写させて抄いていくというものです。
ちなみに補足しておくと、この丸網抄紙機と長網抄紙機は、どっちがいいというものではなくて、それぞれ長所と短所があって、抄きたい紙によって使い分けている、と言った感じです。
機械化とラダイト運動
このように、「長網抄紙機」それから「丸網抄紙機」の開発によって、紙漉きの機械化が本格的に進んでいきます。
そんな機械化の流れを手漉きの職人が黙ってみている訳がありません。
1816年、イギリスの紙漉き職人の組合が、政府に対して長網抄紙機の設置を止めるように請願書を提出します。
また、1830年には、製紙場を占拠して設備の一部を破壊するという暴動が起きて、軍隊が出動する事態になっています。
機械化によって、紙の生産量は飛躍的に増えて、価格も下がりました。
しかし、大きな産業構造の変化で、利益を獲得する人と、収入が激減する人が生まれました。
この産業革命期は、色んな産業でこんな動きが起こりましたよね。
技術革新とか考え方の変化で、産業構造は大きく変わっていきます。
前回の放送で、新聞用紙の国内出荷が28カ月連続のマイナスという話をしましたが、これはまさにデジタル化という技術革新による変化です。
このRETHINK PAPER PROJECTでは、紙の歴史を俯瞰して見たり、リアルタイムの紙業界の動きを見たりすることで、これからの紙の価値を考えています。
未来のことなんて誰も分からないけど、解像度を上げたりする役割を、この番組をやることで担えたらいいな、と思っています。
という訳で、今回は産業革命期における紙漉きの機械化の流れを見てきました。
本日も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
▼参考
長網抄紙機と丸網抄紙機については、竹尾さんのHPが凄く分かりやすいです