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生活と日常

Instagramから転載(2020/10/29)https://www.instagram.com/rpm_ceramics/


僕は世間では当たり前に語られるような
自然から作品製作のインスピレーションを得るということが
ほとんどありません
自然を見立てたり写すのが美の源流であり
根本的な美という意識が特に強そうな陶芸の世界では
自分は異端なのかなあ、と悩んだ事は常々あります

別に異を唱えたいとかそういうわけじゃないんですが
そういう考察も無しに進めていくのもムズムズしますので
ここに記したいと思います

日常生活を一括りで捉えず、生活というものをそのまま
「生きる活動」と捉えた場合それはわりと無意識下で
日常とはまた別の次元での出来事かと思います
生活と非日常の間に日常があってそこに「気づき」が
あるのではないでしょうか?自然がテーマになりやすいのは
生活と一つ置いた対象の「日常」に長くあり続けたからで
家、壁といった物理的に一旦自然を遮る事ができる
暮らしの影響もあるでしょう

縄文時代、原始美術等は対象が人や馬やコト(狩りとか)
の事がわりと多く、あまりにも自然が生活と一体であると
美の対象や気づきとならないのではないのでしょうか?
そしてほとんど自然と離れて暮らす事も可能な現代
その対象が人間(内面とかも)やガジェット、現象
などに移っていく事は、むしろ原点回帰のような気もします
(自分の作品を日用品ではなく、日常品と呼んでほしい欲求の謎もとけました)

あの民藝で有名な方も、実は収蔵品を土偶一つに代えても
成り立つと言い(反対に悩ます事も言ってますが…)
自分の好きな人達、河井寛次郎もコトが中心ですし
乾山も自然がモチーフではありますが
その自然で起こるコトについて表現されていて
自分の嗜好も分析すると色々納得がいきます

まあ、あくまでかなり個人的な考察です
気づきは人によって違うものですし
自然を否定するものでもないです
rpmはこうなんだ、というふうに思って頂いても
頂かなくても😆なんでも大丈夫です
ただ想いに耽る秋の仕業ですので

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