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遊びを出発点とする社会学の基礎づけについて

おはようございます。今日も良い一日になりますことを願っております。

『遊びと人間』ロジェ・カイヨワ著/多田道太郎・塚崎幹夫訳 講談社学芸文庫 第39刷 2019 (108-124頁)によれば、

昔は、遊びの研究と言えば玩具の歴史でありました。玩具は戦争や狩猟で使用される武器類(弓・盾・吹き矢筒・石投げ器など)が役に立たなくなって、廃れた道具が子どもの玩具として使用されたり、独楽や拳玉も、呪術の道具だったのが、信仰が失われてしまったが、玩具として残こっています。道具に限らず昔の儀式や輪舞や歌などもその形式が遊びの中に再現されて残されるケースが多く見られます。つまり「すべての質が落ちて遊びとなる」と玩具の研究から結論付けれれていました。

これに相反するようにホイジンガがその主著『ホモ・ルーデンス』の中で、「文化こそ遊びから生まれるのである」と正反対の説を唱えました。彼の表現を借りれば、”遊びは自由であり創意である。気まぐれであり、同時に規律である。重要な文化現象はすべて遊びを真似て作られたものである。それらは遊びが作り出し維持する探求の精神、規則の尊重、こだわらぬ態度に依存しているのだ。”とのことです。

ホイシンガが言う、遊びは道具や、慣習、制度がその機能退化に伴って派生してきた”廃れものの残滓”であるとする考え方がある一方で、大人が仕事と遊びに対して同じようにエネルギーを費やすことから鑑みて、仕事と併立する独立した活動であり、”遊びが文化と同質のものである”ということを確証しております。

しかしこれらの異なる考え方は相容れないため、彼は遊びの社会学を考えるのではなく、遊びを出発点とする社会学の基礎づけを考えるアプローチ方法をとっています。