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『稲盛和夫一日一言』 7月1日

 こんにちは!『稲盛和夫一日一言』 7月1日(月)は、「人生は魂の修行の場」です。

ポイント:人生とは魂の修行の場。苦難は魂を純化、深化させるために与えられる試練であり、成功体験もまたその人間がどこまで謙虚でいられるかを試すものでしかない。

 2011年発刊の『京セラフィロソフィを語るⅡ』(稲盛和夫著 京セラ経営研究部編/非売品)「人生の目的は心を高めること」の項で、「試練は心を磨くために神が与えた機会である」として、稲盛名誉会長は次のように述べられています。

 人生の目的は、心を磨き、高めることにあります。生まれたときに持っていた魂を、この現世の荒波の中で洗い、磨き、そしてより美しいものへと変えていく。生まれたときに持っていたよりもさらにきれいにして、魂の新たな旅立ちを迎えるのが死である、と私は思っています。

 魂の新たな旅立ちである死に備えて、生きている間に魂を磨いておく、それが人生の目的です。成功したりすることももちろん大事かもしれませんが、それは人生の目的そのものではありません。
 そうしたものは、ただ単に現世における一つのシンボルのようなものであって、人生の目的というものは、自分の魂を、自分の心を美しく磨いていくことにあるのです。

 人は生きている間にさまざまな試練、災難に出遭います。試練というのは、まさに神が私たちの心を磨くために与えてくださったものです。
 ですから、むしろそうした試練、災難に出遭ったことを喜び、そしてそれをよい方向へと解釈して、自分の心を磨くための機会にしていくべきです。

 長く生きていれば、例えば怪我をしたり、難病にかかったり、また事業に失敗したり、あるいは任された仕事がうまくいかずに会社の中で評価を落としたりと、実にさまざまな目に遭います。
 しかし、そうしたものすべてが、自分の心をつくり、磨くために神が与えてくれた試練だととらえて真正面から受け止め、めげることなく一生懸命努力していくことが大事なのです。

 ときには、友人知人からも非難囂々(ひなんごうごう)であったり、バカにされるといったつらい目に遭ったりもしますが、そうした中でもくじけずに努力をしていく。そのことが、実は自分の魂、心を磨く手段となるのです。
 そういう意味で、試練はむしろ喜ぶべきことだ、と私は思っています。
 人生の目的は心を高めることですから、そういう試練に遭うことをもありがたいと思うべきなのです。

 そして、試練というのは苦難、難儀だけではありません。実は成功する、うまくいく、順調にいくということもまた試練なのです。

 人生、何が幸せで何が不幸かはわかりません。幸運と思えることも不幸につながっていきますし、不幸と思えることも幸運につながったりします。それはまさに、どういう受け取り方をして人生を生きるのかということにかかっているのだと思います。

 まさに人生や仕事はそうした試練の連続であり、その試練をどういう心構えで受け止めていくかということで、人生・仕事の結果も決まってくるのです。(要約)

 2004年発刊の『生き方』(稲盛和夫著 サンマーク出版)の中で、名誉会長は次のように説かれています。

 現世とは、心を高めるために与えられた期間であり、魂を磨くための修養の場である。人間の生きる意味や人生の価値は、心を高め、魂を錬磨することにある。まずは、そういうことがいえるのではないでしょうか。(要約)

 皆さんにも、試練とか成功とかといった大事(おおごと)ではなくても、仕事がうまくいくかどうかの瀬戸際までは気が張っていて、慎重に丁寧に進めていたのに、ひとつ難しいステップをクリアできたと思った途端、気持ちがどこかほっこりしてしまって、普段では考えられないようなチョンボをしてしまう、といったような経験がおありでしょう。

 そうした毎日のように自分の目の前に湧き起こってくる、成功も含めた労苦を、自分の人間性を鍛えるための絶好のチャンスだととらえることができるかどうか。それによって、人生・仕事の結果は違ったものになっていくのではないでしょうか。


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