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『稲盛和夫一日一言』4/17(月)

 こんにちは!『稲盛和夫一日一言』 4/17(月)は、「執着からの解脱」です。

ポイント:人間が一番強くなるのは、執着から解脱したとき。我欲が引っ込むことで心は高まっていく。

 2007年発刊の『人生の王道 西郷南洲の教えに学ぶ』(稲盛和夫著 日経BP社)「第六章 覚悟」の中で、欲を離れるということについて、稲盛名誉会長は次のように述べられています。

『南洲翁遺訓』三十条
 「命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は始末に困るもの也。この始末に困る人ならでは、艱難(かんなん)を共にして国家の大業は成し得られぬなり。」(以下略)

【訳】命もいらぬ。名もいらぬ。官位をいらぬ、金もいらぬというような人は処理に困るものである。このような手に負えない大人物でなければ、困難を一緒に分かち合い、国家の大きな仕事を大成することはできない。

 この言葉は、まさに無私の人であった西郷の本領という感じがします。無私の人とは、つまり欲を離れた人のことです。

 その人に欲があれば、お金をあげよう、官位をあげようといえば簡単に動かせますが、欲のない、損得で動かない人間は扱いにくく、始末に困る。
 では、欲で動かない人は何で動くのといえば、誠、仁、義といったもので動く。そういう人でなければ、困難をともに克服し、国家の大業をなすことはできない、と西郷は言っているわけです。

 私は若いころから、この「命もいらず、名もいらず・・・」というくだりが大好きでした。自分自身は決してそうはなれないのですが、そういうことを常に口ずさみながら、そうありたいと願っていました。
 また、自分と一緒に新しい事業に取り組む人、本当に信頼できる仲間になってもらうべき人は、やはりこのくらいの人物であってほしいとも考えていました。

 遺訓一条には、「廟堂(びょうどう)に立ちて大政を為すは天道を行うものなれば、些(ち)とも私(わたくし)を挟みては済まぬもの也」とあります。
 私心を捨て、私欲を離れること、つまり無私であることが、国政をはじめ、人の上に立つリーダーの絶対条件であると喝破(かっぱ)しています。そして、その究極の姿を描き出しているのが、この三十条だと思うのです。(要約)

 今日の一言には、「人間が一番強くなるのは、執着から解脱(げだつ)したとき」とあります。

 「解脱」とは「悟り」を意味する仏教用語で、煩悩(ぼんのう)の束縛(そくばく)から解放されて、安らかで自由な悟りの境地に達すること、いった意味があります。
 「他に善かれかし」と考えれば、その分、我欲が引っ込む。我欲とは、他人のことを考えずに自分の利益のみを目指す欲望のことです。

 あなたの周りにも、自分のことにしか興味がないといったタイプの人はいませんか。みんなでしゃべっていても、「私はね・・」「僕の場合は・・」とすぐに自分のほうに話題を移そうとする。
 「自己主張しないこと」イコール「謙虚であること」とまでは言いませんが、まずは他人の言動にも興味を持ち、それに真摯に向き合うことができることが大切です。

 日常的に「他に善かれかし」という考え方ができるようになるためには、まずはお互いの存在を認め合うことがスタートなのではないでしょうか。
 
 「執着からの解脱」
 今のメンタルでは一生到達できない領域でしょうが、そうありたいと思うことだけは継続していきたいと思っています。


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