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『稲盛和夫一日一言』5/11(木)

 こんにちは!『稲盛和夫一日一言』 5/11(木)は、「心にある障壁」です。

ポイント:自らを高めていこうとするとき、最大の障壁となるのは安逸を求めようとする自分自身の心。自身に打ち勝ち障壁を克服してこそ、卓越した成果をあげることができる。

 2007年発刊の『人生の王道 西郷南洲の教えに学ぶ』(稲盛和夫著 日経BP社)の中で、人の心の弱さについて、稲盛名誉会長は次のように述べられています。

 西郷隆盛が最も戒めたのは、人が自分自身を高めていこうという「志」を捨て、努力する前に諦めてしまう心の弱さでした。楽な方、安易な方に流されるままに生きようとする人間の甘さを、「卑怯(ひきょう)」という言葉を使って叱っています。

【遺訓三六条】
 聖賢に成らんと欲する志無く、古人の事跡(じせき)を見、迚(とて)も企て及ばぬと云う様なる心ならば、戦に臨みて逃ぐるより猶(なお)卑怯なり。朱子も白刃(はくじん)を見て逃ぐる者はどうもならぬと云われたり。

 誠意を以て聖賢の書を読み、その処分せられたる心を身に体し心に験する修行致さず、唯か様の言か様の事と云うのみを知りたるとも、何の詮(せん)なきもの也。予今日人の論を聞くに、何程尤(もっと)もに論ずるとも、処分に心行き渡らず、唯口舌(くぜつ)の上のみならば、少しも感ずる心これなし。真にその処分ある人を見れば、実に感じ入る也。(後略)

【訳】
 聖人賢士(知徳の優れた人、賢明な人)になろうとする志がなく、昔の人の行われた史実をみて、自分などとうてい企て及ぶことはできないというような心であったら、戦いに臨んで逃げるよりもなお卑怯なことだ。朱子は刀の抜き身を見て逃げる者はどうしようもないといわれた。

 真心をもって聖人賢士の書を読み、その一生をかけて行い通された精神を、心身に体験するような修行をしないで、ただこのような言葉をいわれ、このような事業をされたということを知るばかりでは何の役にも立たぬ。自分は今、人のいうことを聞くに、何程もっともらしく議論しようとも、その行いに精神が行き渡らず、ただ口先だけのことであったら少しも感心しない。本当にその行いのできてきた人を見れば、実に立派だと感じ入るのである。

 いくら先賢の知識を学んでも、道を究めようという強い信念、高い志、勇気をもって臨まなければ、身に心に深く刻まれることはありません。それでは、いざ実践しようというときに役に立たないのです。

 目標までの長い道のりを前にして、「自分にはとても無理だ」と諦めて前進を止めてしまうのは、自分への甘えであり、逃げでしかありません。どんなことでも、まず強く「思う」ことからすべてが始まるのです。(要約)

 今日の一言には、「より高く自らを導いていこうとするならば、あえて幾重に立ちふさがる障壁に立ち向かっていかなければならない」とあります。

 その道はいばらの道かもしれません。また苦しいことの連続かもしれませんが、固い志に拠って立つ人には、目標へと続く道筋が眼前から消え去ることはありません。

 志を立てて、道を踏む。それは容易なことではないけれども、その困難を楽しめ、と西郷は説いているわけです。
 私たちも、安逸を求めそうになる自身の心に打ち勝ち、眼前に立ちふさがる障壁を何とか克服していきたいものです。


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