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『稲盛和夫一日一言』2/9(木)

 こんにちは!『稲盛和夫一日一言』 2/9(木)は、「仕事の中に喜びを感じる」です。

ポイント:人間が本当に心からの喜びを得られる対象は、仕事の中にこそある。仕事をおろそかにして趣味や遊びの世界に喜びを見出そうとしても、それは一時的なものであって、決して心の底から湧き上がるような喜びを味わうことはできない。

 2009年発刊の『働き方』(稲盛和夫著 三笠書房)の中で、懸命に働くことでもたらされるものについて、稲盛名誉会長は次のように述べられています。

 懸命に働くことが、想像もできないほど、素晴らしい未来を人生にもたらしてくれる。そのことを頭では理解できたとしても、もともと人間は、働くことが嫌いですから、「仕事が嫌だ」「できれば働きたくない」という気持ちが、どうしても頭をもたげてきます。

 それは、元来人間が放っておけば易きに流れ、できることなら苦労など避けてでも通り過ぎてしまいたいと考えてしまう生き物だからです、
 そのような本能に根差した、安楽を求める習性のようなものは、どの時代であっても、基本的には大きな変わりはないように思います。

 私が青年時代を過ごしたころの日本は、好むと好まざるとにかかわらず、一生懸命に働かなくては、とても食べていくことさえできない時代でした。さらに、一度就職した会社を簡単に辞めるようなことも、社会通念上からはけっしてよしとはされませんでした。

 つまり、働くこと、働き続けるということは、本人の意思とは無関係に存在する、一種の社会的要請、あるいは義務であり、そこに個人の裁量や思惑が働く余地は、ほとんど存在しなかったのです。
 それは、一見不幸のように見えて、実は幸せなことだったのかもしれません。嫌々ながらでも必死に働くことを通じて、弱い心を鍛え、人間性を高め、幸福な人生を生きるきっかけをつかむことができていたからです。

 現代において、懸命に働こうとせず、怠惰(たいだ)に生きることが、人生に何をもたらすのかということを、改めて真剣に考えてみるべきです。
 目標もなく、働こうともせずに毎日遊んで暮らせる、そのような自堕落(じだらく)な生活を長年続ければ、人間として成長することができないばかりか、きっと人間としての性根(しょうね)を腐らせてしまうでしょう。そうすれば、人間関係にも悪い影響が出てくるでしょうし、人生において生きがいややりがいを見つけることも難しくなると思います。

 懸命に働いていると、その先に密やかな喜びや楽しみが潜んでいる。ちょうど長い夜が終わり、夜明けのときが訪れるように、喜びや幸福が苦労の向こうから姿を現してくる、それが労働を通じた人生の姿というものなのです。(要約)

 今日の一言には、「人間が本当に心からの喜びを得られる対象は、仕事の中にこそある」とあります。

 学校を卒業したらすぐに就職して社会人になり、働いてやがて家庭を持つ。そうした自分の人生設計に大した疑問を抱くこともなく過ごしてきた私ですが、その後働いてきた40年という時間の長さとその間の人生の密度の濃さのようなものを考えると、仕事の中に喜びを感じることができたのは本当に幸せなことだったなあ、というのが正直な気持ちです。

 しかし、「ワーキングプア」と呼ばれる、働いても働いても貧困状態から抜け出せない人たちにとって、果たしてこの言葉はどのくらい響くのでしょうか。

 世間には「努力すれば、たとえ貧困状態からであっても誰でも成功できるはず。できないのは自己責任」「貧困状態の人がいるのは仕方がないこと」「支援は甘やかしであって、けっして本人のためにならない」などといった自己責任論を唱える人が少なからず存在しています。しかし、「貧困は連鎖する」という統計的数字があるのもまた事実です。

 誰もが一生懸命働くことで、充実感や達成感を感じることができ、それに見合う報酬が得られることで、幸せな社会生活を送ることもできる。そうした社会が一日でも早く実現してほしいと願ってやみません。


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