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『稲盛和夫一日一言』 2月5日

 こんにちは!『稲盛和夫一日一言』 2月5日(月)は、「精進(しょうじん)」です。

ポイント:いい人生というのは天から降ってくるものではなく、自分の心を磨くことによって得られる。心を磨くにあたって基本となるのが「勤勉」であり、仏教ではそれを「精進」と呼ぶ。

 2010年発刊の『六つの精進』(稲盛和夫著 サンマーク出版)の中で、「一途に仕事に励むことが魂の修行になる」として、稲盛名誉会長は次のように述べられています。

 朝早くから夜遅くまで一生懸命に働けば、暇がありません。
 「小人閑居して不全を為す(しょうじんかんきょしてふぜんをなす)」というように、人間というものは、暇があればろくなことを考えないし、ろくなことをしません。
 忙しいということ、一生懸命に働くということは、余計なことを考える暇がないということを意味します。

 禅宗のお坊さんや修験道(しゅげんどう)の修験者は、荒行をしながら自分の魂を磨いていきます。心を一点に集中させ、雑念妄念が湧いてくる間がないくらいに修行をして、心を整理し、心を磨き、純粋な素晴らしい人間性、人格を形成していきます。

 一生懸命に働けば、そうした修行の過程と同じように雑念妄念を浮かべる暇がありません。つまり、一生懸命に働くということは、人間の魂を磨くことにつながっていくわけです。

 私は皆さんに、「魂を磨いていけば、そこには利他の心、善き心、思いやりのあるやさしい慈悲の心が芽生えてくる」と説いています。また、そういう善き思いを心に抱き、「世のため人のためになるような善きことを思い、善きことを実行すれば、必ず運命はよい方向へと変わっていく」ということも、繰り返し話してきました。

 会社の仕事にただ一途に打ち込んで働くだけでも、自分の魂を磨き、美しい心をつくっていくことになっていくわけです。美しい心ができさえすれば、自然に善きことを思い、善きことを実行するようになります。
 自分にどのような運命が授かっているのかはわかりませんが、そうした思い、実践は運命をさらによい方向へと変えていく力となっていきます。

 京セラが今よりはるかに小さかったとき、私は経営者の皆さんからの要請にこたえて盛和塾を立ち上げました。それから今日まで、必死に仕事をやりながら、京セラと第二電電(現KDDI)を発展させ続け、その中で体験してきたことを皆さんに話し、共有しようとしてきました。

 つまり、空理空論ではなく、まさに経営の実学を皆さんに指し示してきたつもりですが、私が皆さんに教えることができる最大のものは、何を隠そう、ただ「一生懸命に働く」ということです。

 「六つの精進」の最初にある「誰にも負けない努力をする」、つまり「一生懸命に働く」ということは、経営をするにしても、立派な人生を生きていくにしても、必要不可欠なものなのです。(要約)

 名誉会長の書籍では「一生懸命」と表記されますが、致知出版社では「一所懸命」と表記されている場合がほとんどです。
 ちなみに、「一所懸命」には「命がけで何かをすること、そのさま」という意味があり、読み方は「いっしょけんめい」、「一所懸命努力する」などのように使われます。

 「一所」とは、文字通り「一つの場所」の意味で、かつて武士が自分の所領を最大の頼みとして生活していたことに由来しています。
 当時、土地は生活のすべてであり、武士にとってはそれこそ命を懸けて守るべきものでした。そうしたことから、「住んでいる土地に全てを懸ける」という意味で、「一所懸命」という言葉が使われるようになりました。

 また、「一生懸命」には「命がけで事にあたること」という意味があり、何かに対し、全力をあげてぶつかることを言います。読み方は「いっしょうけんめい」、「一生懸命お願いする」などのように使われます。
 「必死に」の意味合いだけが残るにつれ、「一生懸命」のほうが一般的に使われるようになったようです。

 今日の一言には、「精進とは、仕事に限らず、何か一つのことに没頭したり打ち込むこと」とあります。

 「誰にも負けない努力をする」
 幸せで素晴らしい人生を送っていくためにも、毎日勤勉に、まじめに、真剣に働き続けたいものです。


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